第36話 幸先は悪く



 入れられた牢獄は、酷く綺麗だった。隅々まで掃除が行き渡り、鬼姑が指でなぞってもホコリが付くポイントは一切無いだろう。

 同時に、使われた形跡も全くなかった。見張りもいない。温すぎる。

 それは、牢獄の形をしているのに、まるで掃除をする為だけに作られた部屋なのではないかと錯覚するほどに。

 こんな部屋なら、喜んでここに永住しようとする者さえいるのではないか。そんな事を考えていると、奥の扉が開かれる。


「来い」


 シンプルな単色のワンピースに純白の肌を包み、強かにこちらを睨みつける美しい者。捕まる側でも捕まえる側でも、とても牢獄には似合わない姿。それが見せた背からは、柳葉色の羽。軽く引っ張れば千切れてしまいそうな、薄い羽。幻想的な姿に見惚れてしまいそうな程の、美しい羽。




 「そろそろ目的地だから」と姫君に仰せられ、柚希は彼女を地に降ろす。同時に、空気を読んでミヤも壮の背から降りる。


「ミヤ、俺がお前担当、みたいな感じになってるから連れてきたけど、余計な事すんなよ。」

「わーってるわーってる」


 そこは、王国から見て北東の山、その頂。深い森林で、同時に深い霧に包まれていた。時折動物の鳴き声も聞こえる。

 既に水浴びと着替えを済ませ、準備は万端。水浴び、というか湯浴びだった。水は、魔法によって生み出せる。それは術者の腕次第で温度の操作すら可能だ。そして優奈ならば自由自在。木を加工して作った樽に湯を入れれば即席の風呂が完成、といった寸法だ。

 魔法様々である。


「詳しい場所はわからないのですよね?」

「ええ。妖精様は人間ごときに教えてくれません。いつ遭遇してもいいように構えておかないと。皆様も、宜しくお願い致します。」


 ユリアナはスイッチが若干お姫様モードに切り替わりつつある。そんな見慣れない姿に驚いたらしく、ミヤも肩に力が入った、その時だった。

 周囲の木々と濃霧。それから今まさに生まれでたかのように、一つの影がユリアナ目掛け、槍を真っ直ぐ刺突の構えで一直線に飛んできた。


「──ふっ」


 柚希は咄嗟にその間に割って入り、小さく息を吐いて。


「──ユ」

「ぅっっらぁ!」


 時速100キロメートルは下らないであろう速度の槍を掴んで奪い取り、刺客の鼻に拳をのめり込ませる。


「──っづ!?」


 拳はクリーンヒットしたが当たりはあまり芳しく無く、内野ゴロで数本の木々の合間をすり抜けたあと大木に背を打ち付けて停止する。

 ヒットかな。

 間一髪だった。

 間一髪、助かった。

 しかし間一髪で助かったはずのユリアナの顔色はストローで一気に血を吸い取ったように引いていく。


「あ、あれ、妖精……」

「……は?」

「はやく! 早くこっちまで連れてきて!」


 ヒットじゃなかった。アウトだった。めっちゃくちゃアウトだった。場外ホームラン級のアウトだ。

 刺客、もとい妖精のもとまで壮が駆け、すぐさま抱えて戻ってくる。


「気絶しているだけのようです。しかし背中の羽……この辺りボロボロになってますが、これは元々こういう物なのでしょうか?」

「違う……チガフ……頼む……治ってクダサイ……」


 その男、妖精は純白のタキシードのようなスーツに身を包み、背からは紅碧の透き通る羽が生えている。周りを刈り上げたツーブロックのような髪型、恐らく整っていたであろう顔立ち。今は柚希の拳によって鼻が陥没し、血塗れで目も当てられない。


「何でおもきし殴ったのさ!」

「いや、コイツが襲ってきたし……山賊とかそんなんかもって……」

「確かに向こうから来たけど! こんな綺麗な格好した山賊いないでしょ! ユズキならもっと穏便に取り抑えられたでしょ! もうちょっと考えて行動して!」

「ゴメンナサイ……」


 こんな格好の奴をどうして山賊とでも間違えようか。柚希は最近誰かに言った気がする言葉を言われて自分にがっかりする。

 ユリアナの治療によって傷と羽は完治したが、意識は未だ回復しない。


「俺がおぶっていきます……。」




「ねぇ、ちょっとあれ!」

「ん……? ニンゲン!? 何故ここに!?」

「それよりあれ! マイルが!」

「早くリリエールさんに伝えて! 私がここで止める!」

「だ、だめよ! どんな手を使ったか知らないけど、マイルがやられてるのよ!?」

「気にするな。あいつは慢心する癖があった。きっとそのせいだろう。……早く!」


 先程柚希がぶちのめしてしまった妖精、名をマイルと言うらしい。それを背負った人間が現れたことに動揺が走り、既に何かドラマが始まろうとしていた。


「なるべく早く頼む。まぁ、一応──」

「あの〜」


 見るに耐えなくなった柚希は無理やりドラマに割って入る。


「ひとつ言いたいのが、こちらに敵意はない、っていうかー……」

「嘘をつけ! 同胞を手にかけて……」

「いやいや! これは正当防衛というか気絶してるだけというか。」

「申し訳ありません! 本当に敵意はないのです!」

「ならば彼をこちらに渡せ!」


 対峙する意思の強そうな女の妖精。それは指輪を一つ外すと柚希と自身との間辺りに投げる。


「その指輪の位置に彼を寝かせろ。」

「はいわかりましたー。ここ? ですかね? こう──」

「もっと丁寧に!」

「うわぁびっくりした! ……はい、丁寧に、こう、おっけー?」

「フン……馬鹿が! 友の仇!!」


 瞬間、その妖精の掲げた右手の上に巨大な氷──否、それは巨大な鉱石だった。

 背景がくっきり見えるほど透き通った鉱石。一度目にすれば視界から外す事が勿体無いとさえ思ってしまうような、美しさだった。

 それを、そこらの石ころでも投げるように、簡単に投擲する。

 その速度だと、射出と言ったほうが正しいだろうか。それを真っ向から受ける形になった柚希は──


「いや、生きてるって言ってるじゃん!」


 蝿を叩くように手で弾き飛ばした。

 それは、その行為自体別段問題ではなかった。

 その鉱石の飛んでいく先が、妖精の住む民家でなければ。

 弾かれた鉱石はその屋根を突き破り、空いた穴から驚愕と動揺の悲鳴が漏れる。


「ユズキィィィ!!」

「ヒィっや、いやいやいやいや、いやいやいやいや! いやいやいやいやいやいやいやいや!! 違うでしょ、違うだろ!!」

「「柚君……」」

「あーあー、おっこらっれるー。考えて動けって言われたばっかりみゃみょみぃ〜。」




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