第32話 不穏はすぐそばに
「ユーズーキ」
廊下を歩く柚希に、背後から声がかけられる。
「おう、ミヤ。どした?」
「どした? じゃ、みゃいよ。」
ミヤは柚希に駆け寄ると、その肩を軽く殴る。
「みゃーは一応監視対象でしょうが。ほっときすぎ!」
「ああ……」
一応、そうだった。
しかしミヤには叩き潰されるリスクを背負ってまで何か起こす理由がない。敵方に寝返ってまで拾った命をそう簡単に捨てようともしないだろう。
そういう考えから、柚希はミヤに殆ど注意を向けていなかった。
「でもその方がお前からしたら都合いいんじゃねえの? なんでわざわざ自分からいいにくるんだよ。」
わざわざ。
俺のもとに。
縛られに。
するとミヤは先よりも更に不機嫌そうに眉間にしわを寄せて。
「……うるさい。うるさいっ」
また肩を殴る。さっきよりも、強く。
そんな二人を微笑ましく思いながらやってきたのは。
「柚君。あまり女の子に意地悪するものではないですよ。」
「あ、壮ちゃん。いや、なにそれ。」
やれやれと苦笑する壮に、柚希は小首を傾げる。
壮の言い分ではまるで、ミヤが自分に甘えてるようではないかと。実際そういいたかったのだが、しかし柚希はそうは思えなかった。
自分は、この子の第二の親の仇なのだから。
その考えが、どうしても頭から離れないのだから。
「ところで、こんな時間に何を?」
「広場のあれ、見てみようと思って。」
広場のあれ。
転移魔法により、突如として現れた謎の女。その跡には魔法を行使した男の死体と、幾何学模様のみが残されていた。
現場は殺人現場を警察がブルーシートで覆うように布の壁で覆われ、その後ギラやその部下によって調査されていたが、柚希達は実際に近づいて見てはいない。
「ご一緒しても?」
「もちのろん」
「みゃーもいくっ」
人は皆眠ったのか、辺りはすっかり静まりかえっていた。もしかしたらどんちゃん騒ぎの宴でもやっているかな、と考えていた柚希からしたら少し拍子抜けだ。
宴をする食糧がないのだから、仕方のない事だが。この世界は、そもそも人の寝静まる時間帯が早い。
そして暗闇の中に、ひと際異様な存在感をはなつ布で区切られた一角。その内側から、何者かの気配がした。
と言っても、柚希と壮にはそれが何者か、目で見ずともわかっていた。
「ワッ」
「うわっびっくりした……驚かさないでくださいよ。」
「勤勉だねえ、ギラくぅん」
あまり大きな声を出されて人が寄ってきても困るから、控えめに驚かす。
そこにいたのはギラ。昼過ぎにも調査をしていたのにこんな時間にまでとは、頭が下がる。
「ちょっと目がさえちゃったから来てみただけっすよ。……それより」
ギラはその鋭い視線を柚希の背後に送る。
「なんでそれ、連れてんすか?」
「あ? みゃんだ文句あっか」
睨みつけられたミヤもノリノリの喧嘩腰で応戦する。
柚希は、今回ともに戦ったメンバー全員にミヤの生い立ちをそれなりに説明していた。
そこには確かに同情の余地はあるが、しかしギラとユリアナはなかなか割り切れずにいる。
「はいはい喧嘩しない」
「ギラさん、その模様は一体……?」
話題を変えるように壮が指さすは、例の男がその血液で描いた幾何学模様。柚希と壮にとっては初めて見るものだ。
「ギラも優奈ちゃんも、そんなんなしに魔法つかってたよね。」
「ああ、魔法陣すか。……えー、これはっすね、まぁ、難しい魔法使う時に必要なんすよ。」
「難しい魔法?」と問うと、「あー違うな」とギラは頭をかきむしる。
「難しいっつーより、自分の処理能力が足りないときっすね。」
要するにそれは、計算式なのだ。
例えば小学生なら二桁の足し算だってひっ算を用いなければできないが、中学生にもなれば暗算でできるだろう。高校生にもなれば二桁の掛け算だって暗算でできる者もいる。場合によっては、更に上を往く者もいるだろう。
そのように、才能があればあるほど、式を省略できるのだ。
「転移魔法ともなるとかなり高難度っすから。僕でも陣書かないと無理っすよ。こいつの場合はそれでも力不足だった。身の丈に合わない魔法なんて使うから、こうなるんすよ。」
「おめえは出来んのかよ」
軽く言ってのけるギラに、柚希は若干引く。お前、普通の人間だろうが。
「彼はその陣を描くのに血液を使っていましたが、血液でなければできないことなんですか?」
壮の疑問に、柚希も「確かに」と声を合わせる。ペンのインクよりも血の方が溶媒としての質が高い、なんてのはありがちな話だ。
しかし、そのありがちイメージは簡単に破られる。
「いや、そんなことないっすね。木の棒で土を抉って書こうと、骨と肉をぐちゃぐちゃにまぜた汁で書こうと同じっす。大事なのはあくまで自分の力っすよ。」
「え、じゃあなんで血なんてつかったんだ?」
「只のパフォーマンスじゃないすかね。」
転移魔法ほどの大技を使えば自分がどうなるか。それはこの男自身わかっていた筈。だからこそ、どうせ死ぬのなら、とより派手に見せるために己の血液を使ったのか。
より衝撃的な演出の、そのためだけに。
「たかだか一回の御挨拶の為だけに部下一人使い潰すとは、流石は魔王様って感じだなぁ。」
随分と人員に余裕のあることで。
話がひと段落したところで、壮が「そろそろ」と柚希の後ろを指さす。
「お部屋に戻った方がいいのでは?」
「こっ……こいつ、立ったまま……!?」
「んぁ……? や、みぇ、てみゃい……」
額を柚希の背中に押し付けて体を預けていたミヤは、確かに立ったまま睡魔に敗北していた。
やはりまだまだ子供なのだ。寝てない、と意地を張る辺りが尚更に。
布の幕をくぐって外に出ると、その四人に気付いてそこに駆け寄るものがいた。
見た目は人間。身長は170を切るくらいで、やせても太ってもいない健康体。上下ともに薄着である事と頬をつたう汗から察するに、ランニング中といったところか。この世界でもランニングとかする人、いるんだな。
彼は四人のもとにまで駆け寄るとビシッと音がなりそうなほど固く気を付けの姿勢をとる。
「あっ! あのっ! ギラ様とっ! 勇者様でいらっしゃいますよねっ!?」
『者』で声が派手に裏返る。
本人は姿勢を正しているつもりなのだろうが、肩は限界まで上がってジャミラみたいになり、見開かれた目の焦点はあっていない。
緊張しすぎだ。
「ええ、一応そういうことになってますね。」
「あっ! ああああの、あのっ! あぁ、えっと、ああ、うー、あ、握手を! あっ……あせが……」
何を言おうか散々迷った挙句に『握手』に着地したが、自分の状態を見て余計に取り乱す。
慌てて服で拭った後、「申し訳ございませんっ」とひっこめる手を柚希は無理やりひっぱって握手をする。
そこまで湿ってはいなかった。
「あっ……! あ! ありがとうございますっ! 一生洗いません!」
「いや、帰ったらまず体流そうね」
ランニング帰りから洗わないとか、どこのテロリストだろうか。
「にしてもこんな時間に運動って……普段から?」
「はい! 夜中が集中できるので! ……しかし、久しぶりです。今日は、なんだか居ても立っても居られなくて!」
ここのところは運動なんてする気力もなかったという。しかし今日は、テンションが上がってとにかくじっとしていられなかった、と。
因みに家族は『久しぶりにゆっくり眠れる』と早々にベッドに入ったそうだ。宴もなくこんなに静かなのも、そういった理由かもしれない。
そうして少しだけ話すと、「引き留めて申し訳ありませんっ!」と青年は走り去ってしまう。
「こうして生の声を聞くと、悪くないですね。」
「まぁ……ですね。」
二人が王城の関係者以外と話すのはこれが初めて。こうして感謝されれば、悪い気分はしない。
だが、それと同時に。
「なんつーかもう、後戻りできないなぁ……」
前途は多難。
それをしみじみと噛み締める。
「ぅみゅぅ……子供だと……思ってるでしょぉ……」
「思ってるも何も子供だろうが」
「うるさい……」
負ってきたミヤをベッドに寝かせると、文句をつけられる。夜更かしができないのは確かに子供っぽいが、ミヤは実際に子供だから致し方無い。
ベッドに寝かす、とは言っても柚希は今日もソファーで睡眠を取るわけではない。ミヤも同室だから、という事でベッドの二つある部屋へと変えたのだ。
わざわざ、変えたのだが。
「なんだよ。」
「……」
ミヤは自分のベッドへ向かう柚希の袖を引っ張って引き留める。
「……ここんとこずっと一人で寂しかったんだぞ」
「あー……」
とんだ甘えん坊さんだ。
しかし俺に甘えるのはどういう思考なのか、と柚希はやはり、しつこいまでに疑問に思う。
「わーたわーった。寝るまで一緒にいてあげるよー。」
「……そんみゃお願いはししてみゃい。」
そういいつつもミヤは瞳を閉じ、やがてゆっくりと寝息をたてる。
「寝るまでも何も速攻だな」
柚希の方も文句を言いつつ、なんだかんだミヤには付き合ってしまう。
ああ、こいつを拾ったトカゲも、もしかしたらこんな気分だったんだろうか。
ミヤの寝顔を見ながらふとそう思った柚希は、無意識にその茶髪に触れていた。
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