第29話 休む間もなく


「は、ははは! 優奈ちゃん、顔が引きつってるよ?」

「ゆ、ゆず、くん、こそ、へ、へへ!」


 緊張が一周まわって少し変なテンションで笑う優奈は淡い黄色、パステルカラーのドレスに身を包んでいた。

 決して露出の多い服ではないが、豊満な胸が強調されて自然と視線を誘導される。一方で鬱陶しい程にフリルまみれのスカート部分は靴も見えないほどに長い。丸みを帯びたスカート部分を見て蝿帳を連想した柚希は中々に前時代的な自分の発想にげんなりする。

 しかし元いた世界での歴史ではこの足元を覆うタイプのドレスはそのまま糞を垂れ流すための設計、という話があったが、こちらの世界での便所事情はしっかりしていてよかった。


「大体、ゆず君とそ、壮ちゃんはそんな普通の服でズルイです。」


 そう言って優奈は恨めしそうに、隣に並ぶ二人を睨む。若干吃っているのは「壮ちゃん」と呼ぶことに未だ迷いがあるからだろう。

 衣装を決めるため案内された部屋。そこには柚希がかつて持っていた量なんて比べものにならないレベルの服が用意されていた。

 のだが。その多くは「うわ! ……うわ! 中近世の貴族だ! うわ、うわぁ!」という空っぽの感想を吐かせる服ばかりだった。

 その中からなんとか柚希の感性で良く思えた服を選ぶと、壮も同じような物を手に取っていたのだ。

 優奈ちゃんがこんないかにもな格好をしているのは、メイドたちの着せ替え人形にされて断り切れなかった、という事もある。しかし女物は男物に比べ、基本的にど派手なものばかりなのだ。


「二人共主役なんですから、もう少しシャキッとして下さい。」

「お、おおう……」


 柚希は無事、ミヤと一線を越えはせずに翌日を迎え、もうすぐ昼になる。昨日の王の呼びかけに応じ、王城前の広場にはヒト亜人問わず沢山の民が集まっていた。

 城下目の前の広場は、大衆でごった返している。数少ないヒトと亜人の生き残りだが、こうして集まれば結構いるじゃないか、と思ってしまう。

 『大事な話』。それ即ち柚希達勇者の降臨と、既に前線部隊の討伐に成功した事。

 ヴァイザルは既に民衆の前に立ち、前置きをしている。


「魔王軍になど、我々は屈しない。諦めず戦い、必ず勝利を掴み取るのだ!」


 『諦めよう』という話ではない、と王は民に叫ぶ。

 だが、横からこっそり覗いてみれば、集まった民衆の表情は明らかに不安や疑念で曇り、辺りの雰囲気は靄がかかった様に淀んでいる。

 戦いに出ていない者でさえ、皆分かっているのだ。このままでは滅亡を待つのみだ、と。

 しかし相手は宣戦布告もなければ、降伏勧告もしてこない。


「今日集まって貰ったのは皆に紹介したい人物がいるからだ。さぁ、こちらへ。」

「行きますよ」

「う、うっす」

「はい……」


 ヴァイザルに促される。我らの出番のようだ。

 あー、なんか緊張してきたぞ。全校生徒の前で話したこともない俺が何故国民の前に立つことになったのか。後に続くルタやギラはこの世界では有名らしいから慣れているのだろう、しかし壮ちゃんはどうしてそんなにも落ち着いているのか。ずるい。

 柚希は大きく深呼吸をして彼に続く。

 演説台とでも言うべきか、そこに横一列に並ぶ。左からルタ、ギラ、優奈、柚希、壮、そして先にここに出ていたヴァイザルとユリアナだ。

 見覚えのない三人が急に出てきて偉そうにも王の横に堂々と立つのを見た人々はさらに表情を不安に曇らせて少しざわつく。

 皆が並んだ事を確認したヴァイザルは大袈裟な身振りとともに声を張り上げる。


「紹介しよう。彼らこそ異世界より舞い降りた勇者である!」


 広場が、一気に響めく。

 柚希としてはそれよりも、あれだけヘコヘコしていたヴァイザルがちゃんと国王している事に違和感を禁じ得なかった。

 そんなことはどうでもいい。それより、次。次何するんだっけ。やべぇ、どうしよ。打ち合わせしたはずなのにど忘れした。

 柚希が台本を忘れて焦っていると、隣の壮が一歩前に出る。


「御紹介に与りました、勇者、とは些か大袈裟ですが、刈山壮と申します。」


 それだけ言って一礼すると元の位置へ下がり、柚希へと視線を向ける。

 …………あ! 次俺って事か!


「……っと、はい。ん゛っん゛んー……えー、同じく、斎藤柚希です。………。」


 なんか、恥ずかしい。

 いや、物凄く恥ずかしかった。

 慣れない、というより慣れている筈もない程の大勢の前。緊張して言葉を紡げない事を、誰が責められよう。ほんの少ししか台詞は無いのに、それすらもまともに言えなかった。せめてもう少しハキハキ言えればな……。

 しかし、次の瞬間。柚希はそのまま飛び出てしまうのでは、と思える程に目を見張った。

 自分の次、更に緊張して自分のあがりっぷりを誤魔化す材料となる筈だった優奈は、一歩前へ出ると一言も発さずにただ麗しく一礼したのだ。

 苦手ならば、避ければ良い。

 避けられないなら、無理矢理にでも誤魔化せば良い。

 優奈は声を出せないのなら、寧ろ出さない方向で攻めたのだ。

 これには柚希も一本取られた。この様子なら、人々から見れば「あの女性はいったい……!?」のような都合の良い風にミステリアスな雰囲気を見せられているかもしれない。

 その後にギラとルタも自己紹介をするが、一応、という形だった。やはり二人は元から名が知れている。


 全員の紹介が終わり、辺りは静まり帰る。

 いきなり『彼らこそ勇者だ!』と紹介されても、何が何やら困惑するだけだろう。

 これ、大丈夫なの? と柚希が不安に思っていたが、しかしヴァイザルは柚希と目が合うと『心配ありません』といった雰囲気で小さく頷く。見透かされているようで、何だか少し癪だった。


「彼らの存在を隠していたことをここに謝罪しよう。そして同時に報告がある。彼らが無事魔王軍の一部隊を殲滅し、タルシュを奪還した!」


 ヴァイザルは力強く宣言した。

 只、声を張っただけ。

 しかしそれは、どうしてか高らかに腕を振りげている様にも見え。

 自信と度胸に満ち溢れた王の風格を、柚希は初めてヴァイザルに見た。

 あれだけ謙っていたから、イマイチピンと来ていなかった。

 彼はしっかりと、確かに一国の王なのだ。

 だがそれを聞いた観衆も、やはり湧くというよりは皆口を開け、魂でも抜かれたようにポカーンとしている。

 今までいくら人をつぎ込んでも敵わず、次々に都市を陥落させてきた絶対の壁。それをぽっとでの王曰く勇者なる人物が倒しましたよ、だなんて言っても、「そうですかやったぜ!」なんて信じられるはずなかろう。

 怪しむ、というよりかは考えが追いつかない。

 オーディエンスの様子を見て壮がヴァイザルの言葉を補足しようと口を開いたその時。

 『それ』は、突然動き出した。



「う、おおおおおああああ!!!」


 民衆の集まる広場、その中心よりも少し王城に近い辺り。一人の男が、突如獣のような叫び声をあげる。

 その異様な様子に思わず周りの人間は数歩退き、今までぎちぎちに人で溢れていた筈の広場に彼を囲むような半径二メートル程の円が出来た。

 男は依然、叫びながら両手で顔を覆う。否、それは顔を覆っているのではない。

 彼は、両手で顔面の皮を剥いでいた。しかし、剥いだ皮膚の下から顔を見せたのは真紅の血でも薄桃色の筋組織でも無く、紫色の皮膚。


「ちょいちょい、何あれ」

「わかんねっす! でも、……!!」


 男は顔の半分ほど『人間の』皮を剥いだ状態で懐から小刀を抜く。

 何だ。紛れ込んだむこうのスパイか何か?しかしそれにしては随分派手、というより間抜けなカミングアウトだ。

 さあ、どう出る。無差別テロでもするつもりだろうか。その刀で周りの人間に斬りかかろうものならその前にてめえの首を刎ねてやる。

 柚希は手すりの上に乗って男が動くのを待つ。そして男はその小刀を大きく振り上げて───



 己の左手首を、切り落とした。



「──!?」


 広場から、数多の悲鳴が上がる。

 男の手から溢れ出した大量の血液は重力に引かれ、地面と接触すると同時に不自然な動きをする。

 それは意思を持ったように動き出し、何かを描き始めたのだ。それが何なのか、柚希にはすぐにわかった。

 魔方陣だ。


 魔方陣。

 ゲームやらアニメやらではお馴染みの、魔法を使う際に空中や地面に出現する紋章。この世界ではギラや優奈、その他でも皆魔方陣など出さずに魔法を使っていたから、存在しないと思っていた。


「おい! ギラ! あれってまずいのか? 妨害した方がいいのか!?」

「いや、あれは……。消す必要はないっす。ちょっと賭けっすけど。様子見てみましょう。」


 それを見ただけで何の魔法か理解したのか、ギラは柚希をなだめる。

 血液の魔方陣が完成すると同時、それはまさにその血液と同じような赤黒い光を放ちはじめた。

 やがて直視出来ない程に眩い光となり───


 そこには趣味の悪い玉座、そして勇者を挑発するように座る、一人の女がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る