第26話 絶望の襲来
「お、親父! 親父!!」
息子の怒鳴り声で本から目を離し、顔をあげる。
「何だ、突然大声だして」
「何だじゃねぇよ! いいから早く来い!!」
息子の横暴な様子に既視感を覚え、背筋に悪寒が走る。恐怖、緊張、混乱。その全てが毛穴まで刻み込まれた顔。膝が大げさに笑っているのが走った疲れによるものでない事は明らかだ。
そう、それは数日前に英雄が来たときの怯えよう。否、それ以上のものだった。あの時は我が子の勘違いであったが、果たして今回もそうだろうか。
「すぐ行く」
栞も挟まず本を放り出して外へ飛び出し、村の出入口まで走る。
言葉を、失った。
膝から、崩れ落ちそうになった。
それは、馬車。どす黒く、しかし絢爛な彫刻の施された馬車。それは悪趣味だが美しく、見ているだけで命をも吸いとられそうな邪悪さ。それを引く二頭の馬には頭が無く、しかし当たり前のように立っている。御者は一人、漆黒のローブに全身を包み、深く被ったフードが顔を隠す。
明らかに、我が子の勘違いではない。
しかし、目の前が暗くなったのはそのせいではない。
黒の馬車の後ろ。そこに見覚えのある荷車が付いていたからだ。
村の、娘の恩人が乗っていた馬車。それが魔王軍の馬車に、さながら見せしめのように引かれて来たのだ。つまり、あの若者たちは。
「おとうさん……」
いつの間にか傍らに立っていた娘が、今にも泣き出しそうな表情で服の裾を掴む。泣きたいのは彼も同じだった。が、今はこの村の長。泣いて逃げ出す事は許されない。自分が、仲間を、家族を守らねばならないのだ。
たとえ、魔王に平伏する事となっても。それが、彼の考えだった。考え『だった』のだ。
この村はそもそも人間とも魔王とも大した関わりは無かった。だからこそ、魔王軍が直々に来たのなら、大人しくひれ伏しておくべきだ、と。
だが、今は少し違った。恩人である彼の男が、打倒魔王を掲げたのだ。彼が言うのなら、出来うるのかもしれない。彼を応援したい。そう思っていた。
だが魔王軍に彼のその考えが知れれば、間違いなく殺されるだろう。自分が殺されるだけでない。村ごと蹂躙される。
恩を忘れるか、殺されるか。
村民が遠巻きに見守る中、彼は今もゆっくりとこちらへ近づく馬車へ歩み寄り、道を阻むように立ちはだかる。穏便に済ますなら、最初からひれ伏した方がいいのかもしれない。だが彼の義が、それをさせなかった。これが、彼なりの精一杯の強がり。
馬車は彼の前でゆっくりと止まる。
やがて扉が開く。実際にかかった時間は一分かそこらだろう。だがそのわずかの時間が、数時間にも感じられた。
開いた扉から、今までの沈黙を引き裂くように勢いよく一つの影が飛び出した。
「とうっっ!!」
「ちょ……うわぁちょっとちょっと!!」
その影が何回転かしながら空を舞うと同時、反動で馬車は横転、中から気の抜けた声、そして叫び声が漏れる。
「着地っ! ……よ! 久しぶり、じゃねえな!」
飛び出してきた彼は、見覚えのある英雄だった。
「本当に、本当に勘弁して下さい………本当に、肝を冷やしました………本当に……。」
ゴブリン村の長、オサリンは腰が抜けたらしく、その場にだらしなくへたれこんでそう漏らす。
このドッキリを持ちかけたのは柚希なのだが、流石にやり過ぎたと後悔する。
よく考えてなかったが、こんなの来たらビビって当然だ。
「おい! ユズキ! 何してくれんだよ! 死ぬかと思っただろ!!」
顔を真っ赤にしてガチギレするのはユリアナ。彼女は渾身の力を込めて柚希の耳を引っ張る。
「ハハハ、残念だったな。今の俺にはその程度の攻撃、ダメージは皆無。嘘、ちょっと痛い。え、まって痛い、痛い痛い! ごめん! ごめんて!」
馬車は既に起こし、ギラが魔法で洗浄から乾燥まで済ませた。わざと派手にやることで泣きかけていた子供たちをあやすにも一役買う。マホウスゴイ。
「やはりやり過ぎでしたね。申し訳ありません。」
「「ゴメンナサイ!」」
壮が頭を下げたのを見て、柚希も慌ててギラと一緒に頭をさげる。このドッキリを持ちかけたのは柚希だが、ギラも趣味の悪い真っ黒なローブを見つけて悪ノリしたのだ。同罪であろう。
「ユズキッ……!」
顔を上げたタイミングで、セナが抱きついてくる。そのまま腹に顔を埋めて未だに耳を引っ張るユリアナから引き剥がすようにグイグイと柚希を引く。
柚希からは顔が見えないが、やがて服が湿る感覚を覚える。
生きている皆に会えたのが嬉しかったのか、先のが怖かったのか。恐らく両方だが、抱きつきながらも柚希の脇腹を全力で抓るのは後者に起因するだろう。
柚希が馬車から登場して以降、ギラの馬車洗浄ショーもあって皆の緊張は溶け、今ではわらわらと集まってきたゴブリンたちで軽くお祭り騒ぎだ。これだけの身長差がなければ胴上げでもされていただろう。
「ところで皆様、どうしてこんなお早いお帰りで?」
「ん、ああ。この馬車でだいたい予想はつくだろうけど、この先の街を占拠してた輩、いるだろ。あれ倒してきたから、それの報告に帰る途中だよ。」
「ほぉ……それはまた……なんと……ほおお………」
「むふぅ」
丁度いい所にセナの頭があるから柚希が手を置いているのだが、時おり変な音が出て面白い。
一方オサリンの息子であるムーアはと言うと首なし馬に夢中。恐る恐る触っては跳び退いて、を繰り返している。
皆、元気そうで何よりだ。とは言っても数日しか空いていないのだが。
「ん、そういえばメーアはどうした?」
オサリンの妻で、なんか喋らない奴。軽くお祭り騒ぎなのに見当たらない。
「ああ、申し訳ございません。妻は今体調を崩して横になっておりまして。」
「え、具合悪いの? 大丈夫? 病気?」
「いえ、只の風邪です。」
「風邪ね。」
「ユズキ。無事でよかった。」
「おう。」
時は少し進んで早めの晩飯。突然の帰還だったにも関わらずゴブリン達は宴を開いた。と言っても大方は肉を焼いて香辛料で軽く味をつけただけだが、結局これが一番美味しいのかもしれない。シンプルイズベストという言葉もある。
食糧難だったら無理しなくて良いと止めたのだが、どうやらこの辺りには人間が狩りに来ないらしく、問題ないという。そもそも人間とも魔王とも交流が殆ど無く、ある意味孤立して暮らしている彼らに今の人間らの混乱は影響がないのだ。
彼らの優しさに感謝しつつ、メーアにキスされたことを思い出して少して柚希は気まずく感じる。
というかあれが死亡フラグにならなくてよかったよ。別れのキス、とか言ったらシャレにならんからね。
「で。私とはいつ籍を入れてくれるの。」
「気が早いなぁ~」
ここまでどストレートにアタックされると清々しくて笑える。元気そうなのは良かった。
セナは一生ふさぎ込んだり、はたまた自殺してもおかしくない程に酷い目にあったのだ。だがこれだけ軽口を叩く余裕があるのなら、少しは安心できる。
「ユズキ様なら大歓迎、というのは烏滸がましいですね。ですが貰って頂けるならぜ是非ともお願いしたいですよ。」
「よろしくお願い致します、御義兄さん。」
「おいおい父親、もう少し娘を大切にしろ。てかムーア、お前兄貴だろ。どう転んでも俺は御義兄さんにゃならねえよ。」
オサリン家が囲む柚希を見て、壮はハハハ、若いですね、なんて笑っている。
いやいや、笑ってねえで助けてくれよ。
「ほら、セナはまだ子供だろ? 若気の至りで一生寄り添う相手を決めるのは良くないって。」
「私。十二。結婚できる。」
うーん、それはダメな歳だと思うんだけどなあ。んー、こっちでは合法なのかあ。
正直なところ、合法なら、というより此方の世界の法なんて柚希には気にする気もないんだが、言い訳くらいにはなると思っていた。
ロリコンとは言わないでほしい。ゴブリンは成長しても結局合法ロリなんだから!
何はともあれ仕方ない。ここは正直に話す事とする。
「いいか、セナ。俺がお前と結婚する気ないのには、いくつか理由がある。互いの事をよく知らないのもあるし、結婚自体する気がない、ってのもある。だが、だがな、一番大切な理由があるんだ。」
ゴブリンと言えど美少女のプロポーズ。それを断る最大の理由。言うまでもないが、彼女らはそれを知らないであろう。
「男ってのはな、恋人や婚約者を置いて戦地に赴くと……死ぬんだよ。」
そう、死亡フラグ。別れのキスなんかとは次元が違う。ファンタジーの世界に巻き込まれた今、『俺、この戦争が終わったら結婚するんだ。』なんて王道の死亡フラグを建てるわけにはいかない。危険な可能性はなるべく摘んでおくべきだ。
柚希はこれを、割と本気で恐れている。
「死亡フラグ……」
困惑するオサリン一家を他所に、優奈が小さく笑う。その手の知識に疎そうなイメージだったから、柚希からしたら少し意外だった。
柚希がどうにかオサリンたちの猛攻から逃れようとしていると、どこからか聞き覚えの無い声が飛んできた。
「もう、あんたたち! ユズキ様をあんまり困らせるんじゃないよ!」
前述のとおり、ゴブリンは大人になっても人間から見ればロリショタだ。声も同じようにロリショタなのだが、そのロリボイスには、ロリボイスの筈なのにどこか包み込むような母性が溢れていた。
つられて声の方向を見やると、そこには見覚えのあるゴブリン。間違いなく、紛う方無き、メーアであった。
「……で、声あてたの誰?」
「ユズキ様、御無事で何よりです。すぐに顔を出せず申し訳ございません。」
いやいやいや。メーアは喋らなかったはず。これはきっと誰かのアテレコだ。そうに違いない。
「ユズキ様はお聞きになった事がありませんでしたね。メーアは時折声を出さない日があるのです。」
「うん。なにそれ」
たまに話さない日? 何それ? 病気か何かなの? 呪いみたいな? と首を傾げていると、当の本人がオサリンの言葉を補足する。
「たまに話したくない日があるんです。何と申しますか、本当に話したくない日が。わかりませんか?」
「わかりません……」
何それ……。わかりませんよ……。
この前は何日か滞在していたが、その間ずっとという事だろうか。
オサリンも納得してるの……? もういいよ。わかんないよお前ら。取り敢えず結婚話からそれて良かった。今はそれでいいや。
宴の後片付けも終わり、皆寝静まった夜。女性二人はオサリン家の客間、男は外に寝袋を拡げて睡眠をとる。外で寝ることをゴブリン達は激しく反対していたが、そもそも彼らサイズが基準の家では人間は体を伸ばして眠ることもままならない。広めの客間のあるオサリン家に女性二人が精々だ。
老人、つまりルタを労わるべきという考えもあるかもしれないが、魔王軍部隊と渡り合える化け物を労わる気は毛頭ない。
と、言ったものの王様御用達の寝袋の寝心地は相当良いものだし、そもそも転移組に至っては睡眠が殆ど必要無い。効率良く深い睡眠を取れるため、一日に小一時間程度で全快だ。相変わらず恐ろしい身体である。
実際、柚希だって馬車で寝ているミヤの一応の見張りとして起きているし、壮は夜風に当たると言って散歩に出かけている。
「でもルタはそろそろ寝たら?」
焚火を挟んで柚希の正面に座るルタ。彼は遅くまで武器の手入れをしていた。いくら化け物といえど爺。自分の武器の手入れもしてもらっているからあまり口出しは出来ないが、夜更かしは良くないだろう。
「うむ……これはわしの剣じゃないからのう。早く『自分の剣』にしたいのじゃ。」
ルタが長い時間をかけて手入れしているのは彼の新しい武器。折れてしまったレイピアの代わりに敵から頂戴した刀だ。馬車と同じ、戦利品。
『自分の剣にしたい』。
それがどのような感覚なのか、柚希にはわからない。長い間剣と付き合ってきた人間だからこそわかる感覚なのだろう。
前のレイピアにはそれなりの思い入れとかあったのだろうか。と、本人に聞いてみると、ルタはほっほっほと笑い。
「わしが剣を折るのはしょっちゅうだからの。思い入れなんぞあらん」
「お前……人類トップの達人が……」
「わしの戦い方が雑というのもあるがの。人類の技術が遅れとるんじゃ。じゃがこれは魔王軍の物。出来が比べ物にならん。長い付き合いになるかもしれん。」
俺は悪くない、人類が遅れているんだ。ルタが言うと本当にそうなのだろうとさえ思えてくる。強いて言うならば人類が遅れているというよりかはルタがぶっ飛んでるといった方が正しいだろうが。
しかし、柚希も壮も武器を壊してはいない。やっぱりルタの戦い方が雑なだけじゃないか。
そのあとも他愛のない話をしていると、家から出てくる影が一つあった。そのシルエットは明らかにゴブリンではなく、と言うか優奈だった。
「あ、優奈ちゃーん、こっちおいでよ。」
その影に向かって手を振って呼ぶ。呼ぶ、と言っても目の前の人間と会話する程度の声量。しかし柚希と同じ超人である彼女が聞き取るには十分なものだ。
優奈はそれに気付くとトテトテと小走りでやってくる。
「何、もう起きたの?」
「……え、と、ちょっと眠れなくて。」
何か悩みでもあるのだろうか。いや、無いはずがない。
まだ、悩みを打ち明けられるような仲ではないかもしれない。が、これから互いに背を預ける仲間。同じ境遇の仲間。今は親睦が浅くても、これから深くしていきたい。
柚希の座る寝袋。横をぽんぽんと叩くと彼女は隣に座る。
「何か悩み的な、あるの?」
柚希が聞くと、優奈は暫く俯いたまま黙り込む。しかしやがてぼんやりと焚火を眺めながら、呟くように口を開く。
「私初めて人……人? 兎に角、言葉を話す生き物を、殺しました。」
柚希も、話だけは聞いた。馬鹿でかい鷹のような男。優奈はそれを一人で倒した、と。
「あの……蚊とかゴキブリとか。虫くらいなら沢山殺したことはあります。……でも、小動物だって殺したことはなかった。それは、普通ですよね。そんな私がいきなり、あれを殺したんです。」
ぼんやりと焚火を捉えていた彼女の視線はやがて下へ落ちてゆき、噛みしめるように唇を噛んで語気を強める。
「なのに、なのになんとも思わないんです……! 精神も強くなる。そのせいですよね。分かってます。でも、でも……このままじゃ私、人間じゃなくなっちゃうんじゃないかって……」
「……」
そう。そうだ。そうだった。それは柚希も、同じだった。
こちらに来たその日に柚希は、人間を殺した。それなのに全くと言っていいほど精神にダメージはなかったのだ。
命を奪ったことに対する罪の意識、後悔。『自分は正しい事をした』という意識に、それら負の感情はすっかりのまれていた。
転移による心身の変化。そういうもの、と思っていた。否。そういうものだとしか考えていなかったのだ。
正直、柚希は『人間』という種にそこまで固執する必要は無いと考えている。別にゾンビもののゲームに出てくるようなクリーチャーになるわけではないのだから、構わないだろう、と。
否。この考えさえ、精神の変化によるものなのかもしれない。元の、『人間』だった頃の柚希では、こうは思ってなかったかもしれない。
「『人間』の心を失う。じゃが戦う以上いちいち傷ついていたら身が持たん。その精神の変化は自分が傷つかないために守る為の変化。何を守る為の変化か? それは『心』を守るためじゃろう。つまりきっとあなたには、守る『心』があるんじゃあないかのう。」
ルタは刀を鞘にしまいながら、ほっほっほ、言葉にするのがへたくそじゃのう、と笑う。
こいつもたまにはいい事言うんだなと、少し感心。
「もしそれで人間じゃないというなら、わしは疾うに人間をやめておるしのう!」
「うん。失うのが怖いって思う事自体、心が感じてるんじゃないの?」
ルタのジョークに続けて柚希も彼女を肯定する。
『人で無くなるのが怖い』。そう思えるのは、紛れもない『人間の心』からきているのだろう。
だが、柚希は同時に思う。『人で無くなるのが怖い』と思う気持ちがない俺は、すでに人間の心を失っているのかもしれない、と。
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