第20話 優奈のはじめて



「アンダランを殺すとは。やるじゃん。」


 部隊の隊長、シュネルは「特別に教えてやるよ」と言いながらボリボリと頭を掻く。


「俺はシュネル。幹部の名前くらい覚えて、逝きな」


 シュネルの武器は見るからに凶悪な爪。両のそれを駆使して柚希を引き裂きにかかる。

 リーチが長い分小回りの聞かない棍でそれを捌くのは中々に骨が折れる。

 同時に時おり割り込む鷹男の大剣も厄介だ。だったのだが。


「邪魔」


 シュネルはその鷹男の脇腹を蹴り飛ばした。

 吹き飛んだ鷹男は近くの壁に激突し、低い唸り声を漏らす。


「ぐっ!? ──た、たいちょう!?」

「こいつは俺がやる。お前は奥の女をやれ」


 鷹男は文句を言おうと少し口を開くが、諦めたように飛び去る。

 こうなると味方の言葉を聞かないのがシュネルだとわかっていたからだ。

 それだけではない。

 シュネルが一人でやると言ったのは、その方が本領を発揮できるからだ。 


「へえ、いいの? 死んじゃうかもよ?」

「抜かせ。久しぶりに本気出せそうだ。あまり簡単に倒れてくれるなよ!」


 殺し合いの場だというのに、シュネルは笑顔を覗かせて迫り来る。顔は蜥蜴だから柚希からしたら表情などわからないが、しかしシュネルの声音から高揚しているシュネルの感情は感じ取っていた。

 甘く、見ていた。

 邪魔のいなくなったシュネルの動きは、数段上がる。それは、単純な動きの速度だけでは柚希の全力にも匹敵する程に。

 今まで、と言っても柚希の戦闘経験は精々がゴブリン村での一件とその周りの森での獣程度だが、そこでは柚希はパワーよりもスピードと動体視力で敵を圧倒してきた。

 山賊を相手取った時だって、相手の動きが柚希よりも相当に遅かった為、十分に余裕を持つ事が出来た。

 しかし、今は違う。

 シュネルの動きは柚希の全力と同程度。つまりあの時とは違い、スピードとしても動体視力としても、全く余裕が無い。

 横薙の爪も、防御の隙間を突くような蹴りも、鼻先を掠めるアッパーカットだって、全て全力を以て、紙一重で避けている。

 だが、問題はない。

 柚希だけではなく、シュネルもまた、全力なのだ。出し惜しみなど一切していない。

 このままだとどちらかがミスをしない限り決着はつかないだろう。

 ならば、何故問題無いのか。

 柚希は気付いていた。

 こちらに高速で向かう、何者かがいる事に。


「余裕こいてっと死ぬぞ! 人間!」


 柚希は棍、相手は爪。だのにおかしなことに火花が散る。

 迫る爪を弾くだけで精一杯、押し返して攻めに転じようとするも蹴りが眼前を掠める。

 手ほどではないが、その足にも鋭い爪が並んでいる。それでも肉を抉るくらいは十分にできそうな爪。シュネルは、体そのものが武器なのだ。

 シュネルは高く跳躍、そのまま落下するように柚希に斬りかかるが、柚希はそれを敢えて避けず──


「柚君。老人を働かせないで下さい。」

「へっへっへ、すいやせん」


 割って入る刀がその凶刃、というよりかこの場合は凶爪だろうか、を防ぐ。


「……てか壮ちゃん。何か雰囲気変わりました?」

「……さすが柚君。分かってしまいますか。後で話しましょう。」


 何というか雰囲気というかオーラというか。そんなものが変わったなぁ、と柚希は漠然と感じる。細かい変化に気付く事のデキる男なのだ。


「うし! じゃあ今度はこっちから行くか!」




「ふわっ! うわっ! ひ、ひああっ!」

「ンの人間っ! ちょこまかとっ……!」


 鷹男の大剣が轟音を上げて石畳を抉り、粉塵を撒き散らす。

 空からの滑空の速度を乗せた一撃一撃は馬鹿にならない。

 優奈はそれを間一髪で避け、避け、避け。

 とにかく防戦一方だ。

 策がない訳では無いが、優奈は一人で敵と対峙するのは初めての事。緊張して、攻めに転じられずにいた。

 優奈も、一応は武器を持っている。王都で貰った槍だ。

 優奈は、魔法適正で弱まってはいるもののそれでも相当な身体能力を持っている。

 魔法を使うにはどうしても隙が生じる。それをカバーする為に武器を持つのは定石だ。例えばギラは、魔法の隙をカバーする為、に留まらず、魔法はあくまでも切り札として取って置き、大抵は武器で勝負を済ませている。

 そこで、優奈は長いリーチによって振り回すだけである程度脅威になり得る槍を選んだのだ。

 だが彼女は魔法の勉強ばかりでそれの扱いには殆ど慣れていなかった。


「何の為の……棒切れだ!」


 優奈目掛けてまっすぐ上空から落下するように大剣が降り下ろされる。

 優奈はそれを咄嗟に槍で防ぐ──が。


「えっ……えぇーっ!?」

「ぬぅあぁっ!!」


 槍は大剣の威力にあっさりと負け、真ん中でポッキリと折れてしまう。

 鷹男は動きの止まった優奈を、バットでボールを打つように大剣の腹で打ち飛ばす。

 打ち飛ばされた優奈は背中で民家を突き破って貫通し、もう一枚壁を突き破ってその建物の中に転がってようやく停止する。


「うっ……ぁ……っ!」


 暫くすると、優奈が背中で叩き開けた穴から鷹男が入ってくる。


「クソッ……面倒かけやがってよぉ……嬲り殺してぇとこだが隊長の応援に行かねえとな」


 「あれはマジでやばいからな」と、男は柚希への警戒を露にする。

 彼は、隊長シュネルがあそこまで本気を出す姿を初めて目にした。にも関わらず、相手はそれと互角に渡り合っていた。

 人間風情が、と男は歯軋りをする。

 男は焦らすように、ゆっくりと優奈に歩み寄る。

 と、その時、ようやく彼は気づいた。優奈の背後、そこに転がる家具の破片の影に、他の人間がいる事に。

 そしてそこから放たれる薄浅葱の光。それが優奈を包むと、その身体中の傷が塞がっていく。


「治癒魔法……!? き、貴様──」


 治癒魔法と同時に、辺りは大量の魔気に覆われる。

 それは、勿論治癒魔法に因る物ではない。

 優奈から溢れだす魔気は尋常の無い量で、部屋全体に収まらず壁に空いた穴から外にまで漏れ出す。


「なっ──」


 鷹男は、魔法を使えない。

 つまりは魔法を回避するには、魔気の漂う空間から逸早く離れるしか無い。

 が、その無尽蔵の魔気は、既に飛んで離れられる程度の範囲では無く。


「お、終わり、です!」


 部屋中だけではない。壁の穴を通し、辺り一帯にまで容赦なく電撃が流れる。

 それは最早雷の比にはならない、神の怒りの如き雷撃。


「うわわわわ! ユナちゃん! やりすぎやりすぎ! ギャアアアアア!!」


 優奈はハッとして魔法を了する。

 見ると、辺りの無傷だった筈の家まで爆撃を食らったように崩れ、所々では火もついている。

 鷹男は、既に見る影も無いほど黒焦げの半ば灰のようになっていた。

 余りの惨状に、ユリアナは軽く引く。


「あ、ユリアナちゃん、えっと、ありがとう」

「う、うん。さ、流石、だね……。あと礼ならルタにね。」

「何、わしはここまで姫を連れてきただけじゃ。」


────

──



「はぁー……あ、ああ……うお、あぶね! ……大丈夫かな……」


 窓の外を覗くと、優奈と人型の鷹が戦っている。というよりかは、一方的に攻められている。

 優奈の力は確かなものだ。ユリアナははっきりとそれを理解している。

 だが彼女は経験が浅い。単純な殴り合いでも十分相手と渡り合える筈なのに、自信と経験の不足から彼女自身がそれに気付いていない。否、わかってはいても、いざというと体がついていかない。

 ユリアナはその様をおっかなびっくり眺めていると、突然後ろの扉が開く。


「うわぁぁ! ごめんなさい許して殺さないで!」

「ユリアナさん、僕ですよ」


 非戦闘員のユリアナは反射的に下手にでるが、扉を開けたのは敵ではなく壮だった。

 その腕に、血塗れのルタが抱えた。


「うわ! ルタ! え、顔色もこんなに悪い……早く治療しなきゃ! ……ってあれ? でも傷はそこまで深くない……?」

「ああそれは、ええと……。優奈さんは大丈夫です。私は柚君の応援に行きますので」

「え、あ、ちょっと待」


 ルタの顔色の悪さには触れず、ルタを置いた壮はさっさと入ってきた扉から出ていってしまう。

 遠くでも聞こえる、柚希と何者かの打ち合いの音。それが壮には気が気でならなかったのだ。


「イッテシマッタワ……」

「は……やく、ちりょ、うぉ……頼む……」



──

────



「剣が折れてしまっての。とはいえいざというときは間に入るつもりじゃったが」

「その必要は無かったね!」

「う、うん」


 優奈は焦げ臭い塊を見る。彼女が殺めたそれは、もうピクリとも動かない。

 これが彼女にとって初めての、殺人だった。

 それを人と呼ぶかどうかは、別として。

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