第19話 敵わない願い
「お兄ちゃん! あそぼー!」
「お、なにすっかー?」
兄に甘える少女は、暫く首を捻って考え込む。
「うーん……なんか!」
「なんかって」
「じゃあおうちの中でかくれんぼ!」
「かくれんぼ。二人で?」
「二人で! お兄ちゃんかくれて!」
兄の返事を待たずに少女は目を瞑り、数を数え始める。
『おうちの中』と聞けば狭い範囲を思い浮かべるかもしれないが、この場合は違う。
その『おうち』は、まるで城のような巨大な屋敷なのだ。
とはいえたった二人のかくれんぼ。余り遠くに行っても仕方ない、と兄は隣の部屋のクローゼットに隠れる。
「よーし! どこだー!」
暫くして、強く扉を開ける音と同時に廊下から声が聞こえた。
どうやら時間を数え終えたらしい。
これだけ近くだ。すぐに見つかるだろう、と兄は一人小さく微笑むが。
「どぉこだああああぁぁぁ────」
少女は叫びながら廊下を突っ走ったのか、その声はどんどん小さく、やがて聞こえなくなってしまった。いったいどこを探すつもりなのか。
「おっそいなぁ……」
かくれんぼを開始して二十分程経っただろうか、未だ少年の妹はこの部屋に入るどころかこの辺りに帰ってきた気配も無い。
退屈に独り言を漏らしていると、外から微かに声が聞こえた。
その声は少しずつ大きくなる。つまり、こちらに向かってきているという事だ。
既にクローゼットを出ている少年は扉に耳を当て、聞き耳を立てる。
「うわぁぁん! お兄ちゃぁぁあん! どぉこぉおおおおお!!」
号泣。
少年は慌てて扉を開け、妹の前に姿を現す。
「じゃーん! ここでしたー!」
「お兄ちゃぁぁぁん! 見つけたぁぁあん!」
少年は兄の服で目水鼻水を拭うようにしがみつく。
自分から提案したのに。
馬鹿な子だ。
馬鹿で、可愛くて、愛おしい妹。
少年はその頭をそっと撫でる。
古い古い、遥か昔の小さな思い出。
片手剣。
それは薄く、大した大きさも無いものだが、片翼のヴァンパイアがそれを振るう度、爆破魔法を放ったかの如く煙が上がる。
服装は貴族のように上品だが戦い方は似つかず、まるで狂戦士のそれだ。
壮は反撃に出るでもなく、振りかざされる暴力の塊を只々避け続ける。
「このクソジジイ! ちょこまかと……!!」
彼は確かに強い、だろう。パワーだけならば先の純血よりも上だ。おそらく、片親の種族の影響だろう。
が、スピードはエミラと比べ遥かに劣る。おそらくこのヴァンパイア、リリムリムよりも──
「エミラさんの方が強いですね」
「妹の名を……気安く呼ぶな!」
片翼は止まらない。
壮に怒号を浴びせながら、怒りに任せて剣を振り回す。
が、やはりその剣先が壮に届くことは無い。
そろそろ眺めるのはやめよう、と壮が刀を抜いた、その時だった。
「ふざけ……る、妹……ヲ……オオオオオォォ!!」
リリムリムが唸り声をあげる。
彼の声はマスクを被ったかのように段々とくぐもり、その皮膚は少しずつ毛皮に覆われる。
鼻先が前へ伸び、頭頂部からは耳が生える。
遂に頭部が狼のように豹変すると、彼の妹と同じ深紅の瞳は理性を失い、殺意と狂気に揺れていた。
狂戦士のような、ではない。彼の片親は文字通りの狂戦士、俗に言うベルセルクだったのだ。
リリムリムは忘我状態になることによって凄まじい力を得る。
「アアアアッ! グガァァァ!」
リリムリムは片手剣を捨て、数倍にも膨れ上がった両腕を振り回して石畳の地面を抉る。
「ほう……」
「グオオアアアァァ!!」
元々、種族としてかなり上位に位置するヴァンパイア。その力を、更に狂戦士として忘我状態となることで数倍に膨れ上がらせる。
武器を捨てたにも関わらず、攻撃力だけでなくスピードも段違いに跳ね上がる。
先まで余裕を持って避けていた壮も、少しばかりその余裕を失う。
大きく後方へ飛び退いてリリムリムの腕を避けると、今さっきまで壮が立っていた座標を中心に大きく煙が上がる。
リリムリムが半狼となる前ならば、ここでワンクッションのタイムラグがあった。
しかし、今の彼はそこで隙を見せない。まるで地面にバネでも仕込んでいたかのように、一瞬すら止まらずに壮へ一直線に突進する。
翻す余裕は無かった。リリムリムは鋭く伸びた爪を振り下ろし、その勢いで同時に体当りして数軒の民家の壁ごと壮を吹き飛ばす。
「ちょっと……まずいですね」
「ウウヴ……」
崩れる瓦礫の中。煙が引いた後には、瓦礫の山をソファのようにして横になる壮と、右手が中指と薬指の境から肘の手前まで大きく裂けた怪物。しかしその傷も、みるみるうちに回復していく。
「キリがないですね」
壮は思わず、苦笑いする。先のエミラといい、目の前の狂戦士といい、ヴァンパイアとは随分ふざけた種族だ。
とは言っても、ヴァンパイアの血が半分である狂戦士は、純血と比べて回復速度が劣る。
「ここで回復を待ってあげるのは勿体無いですね。ほら、来なさい。妹の仇ですよ。」
「オオオオオオッ!!」
壮の言葉は、理性を失った獣に届いたのだろうか。片腕を失ってすら止まろうとしない獣だ。言葉など通じていないのかもしれない。
壮は刀を真っ直ぐ前に構える。見据えるは、ありったけの殺意と怒りを込めてこちらへ向かう狼、ただそれだけ。離れて戦う仲間も、王も魔王もない。今この一瞬、気を緩めてはならない。
右から迫る横薙ぎの爪。いくらかの臓器と同時に命を刈り取るには十分な威力を誇っている。壮はそれを止めるのではなく、刀を横に滑らせる。勢いを逆手に取られた狼の腕は右腕と同じように真っ二つに裂かれ、しかしまるで痛みを感じないのか、裂かれても触手の如く壮を追いかける。
壮は二つに分かれた腕を八つ裂きにするも、その奥から迫る膝に吹き飛ばされる。
「っ……って、」
腰を擦る余裕もなく、眼前には鋭く伸びた二本の犬歯。壮は既で転がるように懐をすり抜け、標的を逃したそれは木材を咀嚼する。
「ヵ、ハ……ッ」
狼は、腹からこぼれ落ちる塊を治りかけの右腕で必死に抱えていた。先のタイミングで、壮は逃げると同時に脇腹を掻っ攫っていたのだ。
「ク、ソ……ッ」
狼の体毛は次第にひき、体格も元の人間サイズに戻る。
「グ、ぅ……クハッ……ま、まさか俺が……人間に殺される、だと」
「私だって好きでやっているわけではありません。あなたたちが侵攻なぞしなければ、そもそも戦う必要も無かったはずだ」
もし侵略行為がなければ、戦うどころか壮たちはこちらの世界に呼び出される事さえなかった。
「知った……ことか。強いものが勝つ。今回は、お前が強かっただけだ。だが、決して……許しはしない。貴様が我が同胞に殺される時を……地獄で待っているぞ……!」
壮は、その首を切り落とす。
敵ではあっても妹想いの彼に少しばかり同情してしまったのだろうか。せめて死の苦しみの無いように、と。
「ルタさん! これは……!」
ギラが背負っていたルタを下ろす。胴体に大きな裂傷を抱えたルタを見て壮は絶句する。
肩から腰にかけて斜めに大きく走るそれからは今も絶えず血が滴っている。
「ほっほっ、問題ない。相手の油断が少々……高くついただけじゃ」
「えっ、てかなんすかこれ……壮絶っすね」
地に転がる八つ裂きにされた獣の腕に、片腕を失ったヴァンパイアの死体。
辺りを見てギラは暢気に感想をもらすが、それだけの余裕があるのなら本当にルタの容態は大した事は無いのかな、と壮は少し安心する。
だが、なるべく早くユリアナのもとに連れていくに越したことはない。
「ずっと続いていた爆発音が消えました。おそらく柚君たちはそこに──」
壮が言いかけた、その時だった。
轟音。それは先まで爆発音が聞こえてきたのとほぼ同じ方向。
つい先程まで鳴り響いていた爆発音の元凶を柚希が倒したのだとすれば、今の轟音は新たな敵だろう。
「ルタさんは私が。急ぎましょう」
「え、あっはい」
壮はルタをお姫様だっこの形で抱き上げる。
ギラが抱えるよりも、壮が抱えて走った方がよっぽど早いのは当たり前だ。
だがこの時、ルタとギラは気付かなかった。
怪我人を運ぶ、即ち壮は全速力で走るだろう。
その速度が、まだ車や新幹線の無いこの世界の人間にとっては、早すぎるという事に。
「急ぎましょう。」
「申し訳ない。世話をかけるのう。ではよろし──」
ルタが言い切る前に、壮は思い切り地面を蹴る。
建物の入り組んだ街中だ。どうしても速度は落ちる。
だがそれでもこの突然の加速はルタの呼吸を妨げるには十分であった。
「ハッ! ハッ……! ソッ……! ハッ……!」
あまりの衝撃に、ルタは息を呑む。
壮にクレームをつけたいところだったが、最低限の呼吸で精一杯だった。
「あー、ご愁傷様っす……」
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