第16話 二手にわかれて side野郎


「はぁーーーー……あれっすね。花がないっすね」


 ギラは酸欠になりそうな程に長いため息をつく。

 彼自身、女性陣と異性としてお近づきになろうとは欠片も思っていない。

 片や異世界より召喚されし勇者、片や一国の姫様。畏れ多いにもほどがある。

 が、気分的には花が欲しいものだ。


「仕方無いですよ、ギラさん。今回のチーム分けは結して柚君に花を持たせてあげたわけではありません」

「そりゃ、わかってるすけどぉ。」


 今回のチーム分け。

 一つ、戦闘力の無いユリアナには勇者サイドを二人つける。

 二つ、魔法使いは分ける。

 この二つの条件を満たす組み合わせだ。


「ほっほっほ。残念じゃったの、ギラ。」

「マギーはうるさいっす。ほんとに下心は無いんすから」


 と、二人が駄弁っていると壮が唇に指を押し当てて。


「お二人とも、そろそろお静かに。近づいてきました」


 現在、三人は壮の嗅覚で敵を追っている。

 曰く、「生物の臭いとは思えないが、無機物の臭いではない、とにかくヤバそうなもの」だ。

 その「ヤバそうな臭い」が二人にも判るほど近くまで来ると、同時に粘液のような、ヌチャヌチャという音も聞こえてくる。

 その正体は──


「あれですね」

「いやー、花がいなくてよかったっす。女性にあれの相手をさせるなんて犯罪的っすね……」


 森で見たものとは比べ物にもならない、二十メートルはあろうナメクジ。それは身体中から絶えず粘液を撒き散らし、見る者のヘイトを一番に買って出るフォルム。臭いと音の正体はそれだ。

 そしてその傍らには女性。胸元の強調された真紅のドレスを着こなし、服が大きく開いて露になった背中から蝙蝠のような羽を生やした、血のように赤い瞳の女性。

 全く、似つかわしくない。全く似つかわしくないのだが、それは場違いにもどこか愛犬の散歩を思わせるような、朗らかな雰囲気であった。


「問題はあの女。あやつ、ヴァンパイアじゃぞ。それも純血」

「ヴァンパイア?」


 ルタが緊張感を込めて言うが、ファンタジーにめっぽう疎い壮にとっては新鮮な単語だ。

 彼にとってこの世界は、本当に未知で溢れているのだ。


「ヴァンパイア。特徴は圧倒的な回復力っすね。見た目は人間と似てるっすけど、人間のそれとは比べ物にならねえっす。僕たちにとっての致命傷なんて秒で回復っす。」

「秒で、とはいっても一秒二秒でというわけではない。分もかからない、という程度じゃ。じゃが純血を見るのはわしも初めて。もしかすると、もしかするかもしれん。」


 壮は二人の解説に礼を言って。


「ならばやはり、初撃が重要、ですか」




「ピギィーッ! ピギィーッ!」

「あぁんもうヌーちゃんったら愛らしい声……そんなにお散歩が楽しいかしら?」

「ピギィーッ!」


 ナメクジは、おそらく嬉しそうに美女に擦り寄る。それは頬擦りしているようで、犬や猫なら微笑ましい光景だったろうが、実際は悍ましいだけだ。

 そのナメクジの粘液には攻撃性がある為、女の肌は高濃度の硫酸を浴びせられた様に溶解する。だが肌は溶けると同時に回復し、そしてまた溶ける。

 溶け、治り、溶け、治り、溶け、治り。

 が、彼女は嫌がる様子など全く無く。


「こらこらヌーちゃん。あなたのそれ少し痛いんだから、そのくらいにして頂戴」


 そう言う彼女の皮膚はやはり、溶けては再生、そしてまた溶けてまた再生を繰り返す。それでも当の本人はそのスキンシップを楽しんでいるようにも見える。

 人間とは桁違いの回復力を持つ、ヴァンパイア。純血ともなるとどんな傷も即時回復する為、体の傷を脳に伝えたり、それを事前に回避する必要が無い。

 つまり、痛覚が著しく鈍いのだ。


「あんもう。やめてって言ってるじゃ──」


 そんな完全にスキだらけの彼女を、斜めに両断するように剣が走る──はずだった。


「あらあら、こんなところで一体どちら様かしら?」


 しかしその剣は寸前で避けられ、左腕を肩口から切り落とすのみに終わる。


「申し訳ない。失敗じゃ」

「ルタさんがダメなら私がやっても同じですよ」

「あら、あらあら! 人間じゃない! 私人間に腕を落とされるなんて初めてよ!」


 完全な不意討ち。

 だが、彼女は驚かなかった。

 否、確実に動揺したはずだ。この場所に人間がいるはずが無いのだから。

 だが、それを微塵も表に出さなかった。切り落とした腕も、既に肘辺りまで修復が進んでいる。


「まるで蜥蜴の尾じゃな」

「フフ、何とでも言いなさい。それより……貴方。」


 ルタの挑発を軽くあしらった彼女は、その真紅の瞳で壮を見つめる。


「久しぶりだわ……こんなにおいしそうな人間。」


 その瞳はうっとりと蕩け、歪に歪む。

 彼女は自分の唇を艶かしく指先で弄りながらそう言った。そして既に元通りになった両手でナイフを構えて。


「本当に……久し──」

「燃ぉえらぁ!」


 行動に出る前にギラが大声をあげる。同時、女の傍らにいたナメクジが瞬時に燃え上がる。


「ピギィィィーッ!」

「ヌーちゃんっ!!」


 が、しかし。ナメクジの全身を覆うほどだったはずの炎も、十秒ともたずに消えてしまう。大したダメージも与えずに相殺されてしまったのだ。


「マジすか……相殺されたんすけど……ナメクジ風情に……」

「ああ、ヌーちゃん。やっぱり良い子ね。大丈夫、あの人間は私が殺してあげるから。……え? 自分でやる? あらあら! 本当に良い子!」


 巨大なナメクジと、それを愛でる美女、なんて恐ろしい光景だ。本当に意思疏通が出来ているのかは壮達にはわからないが。

 彼女は必ず殺す、とギラを睨み付けたあと、壮に向き直り。


「じゃあまず、あなたを頂こうかしら!」


 今度こそ彼女は止まらない。両手に持つ刃渡り二十センチ程のナイフ。その片方をルタに投げつけ、もう片方を壮に投げつける。それを弾く隙に壮へ一気に近づき、懐から出した別のナイフを目元めがけて走らせる。

 壮はそれを反るようにして避けると、そのままバック転、サマーソルトキックでヴァンパイアの顎を蹴りあげる。


「……っ! ふふ、おもしろい動きをするのね」

「ええ、今のは自分でも驚きです」


 ルタとの修行の成果だろうか、壮は咄嗟の判断で雑技団のような動きが出来るようになっていた。

 実のところ、意識せずにやった彼自身が一番驚いている。


「うわああ! 来んなあ!」


 突然あがった叫び声に、一同は目を取られる。

 その声の主は。


「やめろぉ! キモい! ヴォエ! ヴォゥエ! ほんとキモいから!!」


 巨大ナメクジに追い回されるギラだった。

 時折魔法を使っているが、すぐに相殺されている。


「ルタさん、剣が通るかわかりませんが、向こうをお願いします。」


 壮の覚悟を決めた眼に、とやかくいうルタでは無かった。


「……分かりました。どうか気をつけて」


 ルタを見送り、壮は彼女と向き合う。

 すると彼女は、先のように目を歪めて笑う。


「うふ。私と一対一で戦おうなんて人間も初めて。貴方、本当におもしろいわ」


 だが、それだけ言うと彼女は艶かしく揺れていた瞳から笑みを消す。


「私はエミラ=リールヒル。貴方私の部下……いいえ。パートナーで構わないわ。こちらに来ないかしら?」


 彼女、エミラは本気でそう言った。人間である壮を引き込もうと。

 ヴァンパイアが人間を仲間に、なんてあり得ないことなのだが、それを知る壮ではない。


「光栄な事、なのでしょうか。しかし美味しそうと言った後に勧誘とは、どういう風の吹きまわしで?」


 警戒を一切緩めずに問う。

 それに対するエミラもまた、先のような舐めた態度の一切を捨て去って大真面目に受け答える。


「貴方、只者じゃあないわ。殺すには惜しい。出来るならば引き入れたい。それだけよ。」

「なるほど。」


 エミラの言葉に、壮は少し安堵する。

 ルタさえも初めて見たという『純血のヴァンパイア』。それが如何程かは知らないが、決して軽い存在では無いだろう。

 そんな者が、対峙しただけの自分を引き抜こうとしたのだ。

 それはつまり、エミラの嘘という可能性を捨て置けばこちらの力を認め、警戒したとも言える。

 自分の力は、しっかりと敵に通用するのだ。


「申し訳ありません。僕にはもう、居場所がありますので。」


 いつも後輩口調で謙っているのに、敵を前にすれば物怖じしない青年。

 勇者として自分を慕いながらも、師匠としては厳しい老人に、その生まれを疑う程に親しみやすい姫。

 そして気は弱いが誰も見てない所でも必死に魔法を練習する女性と、本人は否定するだろうが正義感の強い少年。

 精々二週間にも満たない付き合いだが、それでも大切な仲間だ。

 裏切るなんて事は、絶対に無い。

 彼もまた、エミラに対して真摯に答える。


「そう、残念ね。じゃあ……無理矢理でも下僕になってもらおうかし、らっ!」

「? なぜ僕の名前を……あ、違──ッ!」


 呑気に勘違いする壮に、エミラは飛び掛かる。

 常人なら目で追うこともかなわない速度。だが「常」どころか「人」の域すら超えた壮にとっては大した驚異ではない。

 壮はエミラのナイフを弾くが、刃がエミラの手から離れようとその度に彼女は懐から次のナイフを取り出し、攻撃の手を止めない。

 次第にエミラの攻めが壮を追い詰める。

 エミラが四本目のナイフを、壮の右側から首筋目掛けて走らせる。

 壮はそれを刀で受け止めるが、同時に反対側から迫る刃には刀では間に合わない。刀から左手を離して、エミラの手首を直接掴んでそれを抑える。

 ──が。


「頂きまぁす」

 

 それこそ彼女の策略。

 エミラは壮の開いた胸に飛び込むように、首筋に齧り付く。


「おっ……!?」


 壮は慌ててエミラを蹴り飛ばすが、想定外の動きに反応が遅れ僅かに血を吸われてしまう。

 只の蹴りでも内蔵を破損する程の威力を誇り、更には掴んでいた片腕がもげる。彼女がヴァンパイアでなければそこで決着がついただろう。

 しかし起き上がったエミラは蹴られたダメージなど気にすることもなく嗤う。


「うふ、うふふふ! さあ! 私のかわいい下僕! 一緒にあのゴミを掃除しましょう!」

「はい? 何を……う、あ、お、おお……!?」


 突然。

 今まで己の底に、蓋をして固めて封じ込め、眠っていた力。その元栓を無理矢理に抉じ開けられたように、溢れ出る。

 それだけではない。

 外からも大量の力が、全身の毛穴から流れ込むように、呼吸で酸素を吸い込むように、入ってくる。体内に入り込んだエネルギーで破裂してしまいそうな程に。

 それは全能感すらも覚えるほどの力の濁流。


「あら、知らないの? 世間知らずね。教えてあげる。ヴァンパイアに血を吸われた者はヴァンパイアになるのよ。しかも私は純血。力の量はそこらの雑魚とは違うわ」


 エミラは頬に手を当て、それに、と続ける。


「血を吸われた者は、主に逆らえない従順な下僕になるの。つまり貴方は、ワタシのゲ・ボ・ク」




「ギラ、どうじゃ?」

「だめっす! どれも相殺される!」


 ギラは何度か魔法を試すが、どれも相殺されてしまう。

 対してルタも同じだ。体表の粘液が邪魔をして剣が滑り、通らない。多少は剣が通ったところで、すぐに回復されてしまう。

 しかもその粘液触れると皮膚を溶かす。迂闊には近づけない。

 走りながら、ルタは一つ問う。


「魔法は相殺されるだけで、効かないわけじゃ無いんじゃな?」


 ギラもまた走りながら頷く。それを確認したルタは念のため、と言って耳打ちで作戦を立てる。


「うっす。じゃああそこの時計台っすね!」

「うむ。着いてこい!」


 目標は近くの時計台。と言ってもこの街の象徴的な建造物、という事も無く、街の中に等間隔に建設されている。巨大な鐘も常設されており、それは緊急時に一斉に鳴らされる。最早必要のない機能だが。

 ルタは近くの民家に飛び込み、階段を駆け上がって二階の窓から屋根の上へと飛び乗る。ギラもそれを追って屋根の上へ、二人は屋根の上を飛ぶように移動する。

 近接戦のルタは勿論、ギラもそこそこに鍛えている。この程度の動きはお手のものだ。


「ギラ」

「うい!」


 時計台から通路を挟んで一番近い建物の屋根。その端でルタは振り返り、片膝をついて手で踏み台を作る。助走をつけたギラはそこに足を掛け、時計台目掛けて跳躍する。

 二人が乗っているのは建物の二階の屋根。時計台は周囲の建物を基準とすれば五階程度の高さだ。到底、頂点には届かない。

 ギラは壁を爆破して内部に突入、階段を駆け上る。その間にルタは時計台の麓にナメクジを引き寄せる。


「マギー! 離れて!」


 魔法の相殺は、行使された魔法と同等以上の力を持たなければ出来ない。そういう意味では、このナメクジはギラと同等の力を持っていた。

 ならばその力を以てしても、干渉出来ない距離から魔法を浴びせれば良い。

 時計台の頂上、そこから更に高く、ギラは射程ぎりぎりまで目一杯離した座標に、魔法を展開する。

 それは、ナメクジでは干渉出来ない距離。そもそも本能的に戦っているそれには、戦略を見抜く、或いは立てる程の脳は無かった。

 降り注ぐ大量の水を、ナメクジは避けること無く無抵抗に浴びる。

 体表の厄介な粘液はそれにすっかり流されて。


「ヌンッ!」


 ルタが一閃。ニ十メートルはあろうナメクジが真っ二つに割れる。が、それの動きは止まない。

 どころか、流したはずの粘液にまたも溢れている。


「もう一度っす!」


 ギラが、もう一度魔法を使う。

 今度は隙を与えない。ルタは更に半分、半分、半分。ナメクジを細切れにする。

 欠片になってもナメクジは動いているが、最早その状態では魔法の相殺なんて器用な真似は出来ない。バラバラになった事で、力も分散してしまう。そこを時計台から降りたギラが一斉に焼却する。

 炎が引くと、そこには灰すらも残っていなかった。




「これで貴方は私の従順な下僕よ! これからよろしくね!」

「……。」


 ヴァンパイアに血を吸われ、眷族となった者は主に逆らえない。

 項垂れて黙する壮を見て、エミラら勝ち誇った顔で高らかに嗤う。

 やがて壮は少しだけ顔を上げると。


「……は、い……」

「うふ……うふふふ!」


 エミラは興奮を抑えきれずに笑壺に入る。

 ヴァンパイアが眷属と出来るのは種族的に自分よりも弱い存在のみ。その中でも人間とは非常に脆弱だ。

 今まで、エミラは人間なんて眷属にした事はない。武器を使うまでもない。ちょっと殴ればそれだけで絶命してしまう様な種族。眷属とする事で多少は強くなるとは言っても、下僕とする気さえ起きない。

 だが、今回は違う。

 桁の違う、特上の男。しかしそれでも人間であるから、下僕に出来る。これが嗤わずしていられるだろうか。


「さぁ! まずはあの人間共を殺しに行くわよ!」


 エミラは歓びに震える身を翻し、二人の人間の方向へ向かう。

 そう、エミラが背を向けた瞬間だった。


「………え?」


 鈍い音と共に、エミラの腹から刀が生える。

 壮が背後から貫いたのだ。


「そ──」


 喋る隙さえ与えない。壮は刀を引き抜かずに真上に走らせ、腹部から脳天まで一直線に両断する。

 それだけでは飽き足らず、自由になった刀身を今度は横に薙ぐ。

 エミラの体は三つに分けられ、文字通りその場に崩れ落ちた。





 男は、相変わらずソファーで寝ている。


「ミーゴとミーギュア、遅いですね」


 傍らに立つ角の生えた男、彼は不機嫌そうに呟く。しかしソファーに横になる男、『隊長』は寝た体勢を崩さぬまま。


「別にいいって。どうせその辺で飯でも食ってんだろうよ」

「それでは見回りの意味が……」


 隊長はいいからいいから、と手を振り回して言葉を遮る。

 角の生えた男は不服そうな表情をするが、隊長に文句は言わない。


「そういえば、アンダランの爆発が止みましたね」


 世紀の天才ゴーレム狂。

 自身の創り出したゴーレムを愛し、攻撃する狂人。その爆破音がいつの間にか収まっていた。

 だがやはり隊長はソファーで転がったままひらひらと手を降ってあしらう。


「さすがに疲れたんだろうよ。一週間は続けてたからな」


 が、次の言葉は隊長も無視できないものだった。


「──! 隊長、あの水!」


 彼は起き上がって、窓から外を眺める。

 かなり遠くの時計台の辺り、そこに巨大な滝が発生していた。明らかに、人為的な、魔法的なもの。


「……ダン。侵入者だ。寝てる二人連れて見に行け。俺はアンダランの方に行く」


 その言葉に、最早先までの雰囲気は無い。

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