第11話 静かな武勇


 ──ユズキさんは、優しいのお。


 移動中。と言ってもオサリンから聞いた大まかな方向に闇雲に進むだけだが、そんな中ルタはそう言った。


「いや別に、優しさじゃないって。ただ腹立ったからってだけだし。修行の一環になるなら一石二鳥だし。」


 しかしルタは首を横に振って続ける。


「亜人は差別されてると言ったのぅ。正確には差別されていた、と。ワシは差別に賛成じゃったわけでは無い。が、反対もしておらんかった。」


 特に考えても無かった、と。

 差別は無くなり、奴隷も解放された、と言っても、魔王軍の侵攻の影響が大きいと言う。

 つまりは解放というよりただの放棄だ。彼は、そんな亜人類の状況にも、何も思わなかった。考える事を放棄していた。だから彼ら対してにあそこまで真摯になれる柚希に憧れる、と。

 だが、別に優しさではないと柚希は否定する。同情もあるが、何より腹が立った。それだけなのだ、と。


「……っと、ここですね」


 切り立った崖に、高さは三メートル程の横穴。その中から臭いがする。だがこれは、柚希達の超嗅覚で感じ取ったわけではない。

 中から漂う強烈な臭い。期間を忘れるほど長い間風呂に入っていない浮浪者のような臭いだ。

 どのくらい強烈かというと、


「うわ……くっせ」


 この通り、ルタの口調が崩壊するほどである。表情もすっかり歪み、魅力的なおじいさまの雰囲気は何処へと、無理やり芋虫を口に突っ込まれた女子高生のような顔をしている。

 そんなふうに馬鹿にしながらも、柚希だって同じような面だった。

 これからこの中入るの? やだなぁ!


「柚希君、あれ」


 と。柚希は壮が指差す方を見ると、そこにあるのはトラップだ。

 糸が張ってあり、それに引っかかると鈴のようなもので音がなる仕組みらしい。穴蔵で体も洗わずにすごす山賊にしては手の込んだことをする。


「フム。見たところ侵入者を知らせるだけの機能のようじゃの。……ってユズキさん、何を──」


 トラップに警戒するルタを余所に柚希はそれにずかずかと近づき。

 糸を思いきり踏みつけた。

 それだけではあきたらず、直に掴んで思いきり揺さぶる。


「ちょ……! ユズキさん! 何をしとるんじゃ!」

「フハハハハハ! 呼び鈴があるなら丁度良い! 向こうから来てもらおうではないか!」


 漂う香りだけでも嘔吐を誘発するような穴倉になんて入りたく無いし、向こうから来てくれるなら丁度良いだろう。

 すると、中から柚希の身長程もある槌を担く、身長が二メートルは超える大男が出てきた。

 服は誰かから剥いだのだろう、一応人間の服だが、どれ程洗っていないのか。とんでもなく汚い。小綺麗な弥生時代レベルのゴブリンにも数段劣る。

 彼はいまだに呼び鈴をならし続ける柚希を睨み付けて一言、うるせぇ、とだけ言って槌を振りかぶる。

 問答無用らしい。

 柚希はあえて攻撃を避けず、武器で受け止める。三人はここまでに様々な獣やら魔物やらと対峙しているが、どれも普通の人間が武器を手に戦って通用するような相手では無い。

 その中で生活しているだけはあって、そこそこに重い一撃だった。

 で、あったが、驚異ではない。


「──っ!?」


 大男は驚愕の表情を顔に浮かべ、しかし動揺の隙を見せる前に飛び退いて距離を置く。

 この一撃で柚希を仕留めるつもりだった男からすれば、それが軽く受け止められた事は驚愕に値する。

 対する柚希は、攻撃を受け止めた武器の様子を確認する。

 決して軽くはない一撃を受けたそれは、しかし傷ひとつない。さすが一国王の用意したもの、と言ったところか。

 柚希の武器は勿論王道を征く剣、ではなく棍。ルタ先生の修行が「実戦」という、聞こえは良いが半ば投げやりなものとなった原因はここにある。

 棍の使い方など知らぬ、と。

 最初はてっきり剣を渡されるものと思っていた柚希だったが、案内されたのは武器庫。そこで好きなものをどうぞと言われ、一目惚れしてしまったのだ。

 とまあそれは半分冗談として、剣の心得のない自分にはぶつけるだけで打撃的なダメージを与えられるこれこそ合っている、と思ったのだ。


「RPGみたいに最初王様がくれる武器がクソザコじゃなくて良かったなぁ……まあそんなんだったら王からハジくけど」


 因みに壮は剣道の経験があるため刀。刀があったことに一同ら驚いたが、なんでも300年前の勇者が残した知恵らしい。幾人のやつ、ほかにも色々と残しているだろう。

 そして柚希は自分の考える限り最強にかっこよく棍を振り回して一言。


「よし、正当防衛だ!」


 その台詞は、実にかっこよくなかった。

 大男はそんなことなど聞く気もなく。性懲りもなく。

 柚希に襲いかかる。

 遅すぎた。

 真横から迫る槌が体に到達する前に柚希は相手の懐に潜り込む。

 危機を察知した男の動きは一瞬、停止してしまう。

 そして──


「っと、危ない危ない」


 何もせず、今度は柚希が飛び退いて距離をとる。

 すぐ殺しちゃったら練習にならないから、だ。

 柚希の無礼きった行為に男は心底腹をたてたらしく。


「ンのガキ……ナメやがって……!」


 感情の昂りからか、男の動きが少し速まる。

 だが結局は槌を振り回すだけ。いなす練習には物足りない。スマブラのピコピコハンマーレベルの芸の無さだ。

 だが、ルタに比べれば遠く及ばないにしても、本気で自分を殺しにかかる相手というのは、やはり木刀で殴り合う時にはない緊張感があった。

 案外実戦練習も良いものかもしれないな、と柚希も感心する。

 だが、ぐだぐだと続けるつもりも無かった。

 柚希は槌をいなすとその勢いを速めるように槌の反対側を蹴る。そしてそれに体重を持っていかれ、がら空きになった大男の側面を思い切りに蹴り飛ばす。

 穴蔵の横の壁に叩きつけられた大男は、もうぴくりとも動かなかった。


「……あ、棍使ってねぇ」


 ルタが棍を教えられないが故の実践練習だったのに、これでは練習にになってない。

 独学って、辛いな。


「しかし柚希さん、流石じゃの。戦いの心得は無いと聞いたが、まさか冗談じゃったか?」


 はっはっは、と高らかに笑うルタの言葉を、柚希は慌てて否定する。


「いやいや、力で圧倒しただけでしょ!」

「うむ、しかし本気の殺意を前に全く怯まなかったからのう。」

「あー……」


 勿論、命の駆け引きなんて大層な事をするのは柚希だって初めてである。

 しかし世界を渡ったことによる精神力の強化によってその程度の事で尻込みをする事は無くなった。更にそれだけではない。


「さっきまでの獣と比べれば、ちょっとデカイ男なんて大したこと無いかなって。」

「確かに見た目のインパクトは獣の方が別格じゃな。」


 この森には様々な獣がいる。

 先程ゴブリンがけしかけたフントファイエルだって、野生の個体も生息しているのだ。

 それと比べればゴツい人間など可愛いもの、ではなくとも大したものでは無かった。


「んー、どうする?もっかい呼び鈴鳴らしてみる?」


 こんなくっさい穴蔵になんて入りたくないんだけど。という柚希の心の底からの思いによる提案だ。それは声に出さなくとも全会一致のはずだが、それを止めたのは壮。


「入りたくないのは僕も一緒ですが、そろそろ急いだ方がいいですね。連れ去られたゴブリンが、まだ生きているかもしれない。これ以上刺激して殺されてしまっては冗談にもなりません。」

「じゃあ……………………………………………………入り、ますか」


 ごもっともな理由だろう。そうなのだが。

 やはり決断には時間がかかる柚希だった。








「おう、遅かったじゃねえか。うまそうな飯か……女でも見つけたか? つっても今萎えてっし女にゃ惹かれねーか!」

「ん? ああ、この辺ほんと色々いるよな。でもうまそうには見えねなぁ……」


 アホみたいにデカイ食虫植物。否、食うのは『虫』ではなく『動物』で、更には『動』くから食『肉』『動』物だろうか。ただの肉食動物になってしまった。

 そしてトラックサイズのなめくじ等。嫌悪感は沸いても食欲は沸かないビジュアルばかりだ。

 その上この洞窟に入れば猛獣はいないが充満する汚臭。柚希はもはや食欲などという欲は存在しないのではないかと勘違いする程に失っていた。


「やっぱぁ、何よりこんなとこにゃ住みたくないわぁ」

「なっ……なんだおめぇらっ!?」


 山賊は全部で五人。小さな卓を囲んで輪になっている。

 話しているのはその一番奥の男。ここのリーダーだろうか。

 彼が立ち上がると周りの仲間たちも立ち上がる。まるで洋画でのバーかどこかでのアクションシーンのようだ。雰囲気はバーとはかけ離れているが。

 そして何より。

 男らの輪から少し離れた壁際。そこには服を剝かれ、犯され侵され、汚された女のゴブリンの死体が五体ほど、山を築いていた。

 それはあまりにも無残で陰惨で凄惨で。あまりにも許しがたい、臭いなどよりも遥かに嫌悪感を催すものだった。


「最悪」


 柚希が一言、そう言い捨てると、男らは耳障りな声でケタケタと嗤う。


「おーいおい物騒だな兄ちゃん! もしかしてこんな亜人相手に同情してんのか?」


 するに決まっている。

 棍を握る拳に力が入る柚希を嘲るように、男はなおも嗤いながら続ける。


「あーあー、そうキレんなって。おめえらだって肉とか食うだろ? それと一緒だよ。世の中弱肉強食、弱い肉は強い奴に食われるためにあんだよ。」

「いや、お前らと一緒に……」


 ああああ、もう面倒くさい。

 最早柚希には、目の前の男と議論する気も無かった。練習と言って長く生かす気にも、なれない。


「はいはい、わかった。じゃあ──」

「──は」


 柚希は何の前触れもなく、唐突に棍を一番近くにいた男の額目掛けて投擲する。

 それは棍であって、槍ではない。が、柚希の投げた棍は一筋の矢のように真っ直ぐと男の眉間目掛けて風を切り。

 その眉間を貫いた。

 眉間を貫く、よりも最早頭を吹き飛ばすに近かった。

 奥の壁に突き刺さったそれにつかつかと近づいて棍を抜き取る柚希を見て、リーダーと思しき男は先まで浮かべていた笑みを殺す。


「んー? あー……へえ。表のアイツもそうやって殺してきたのか。」


 男は大きく一回、深呼吸をする。


「只で帰れると、思うなよっ……!」


 瞬間、二人が柚希に飛びかかる。

 柚希と話していた鉈を持つ男と、その隣の刃渡り一メートルの剣を持った男。

 同時に体ほどもある錆びた大剣の男がルタ、短剣を両手で逆手に構える男が壮にしかける。

 頭上から振り下ろされた剣を柚希が素手で掴み受け止めると同時、鉈が投げつけられる。受けた剣を押し退けつつその鉈を蹴飛ばして弾いたその瞬間。鉈を投げた男は一気に距離を詰め隠し持っていた小刀で柚希の首を───


までは、たどり着かなかった。

 体を後ろに反ってそれを避けた柚希は、そのままバク転をする足で男を蹴り上げる。


「……っ!」


 柚希の足は、首を狙うあまりに体が伸び切っていた彼の鳩尾に深く食い込み、完全に動きを封じられる。

 剣を押し退けられた勢いで後ろに下がっていた男も味方をカバーするように剣を突き出すが、それを紙一重で躱した柚希はすぐ横にまで詰め寄り、その剣を握る両手に手刀を振り下ろす。


「っああぁぁっ!!」


 柚希は先程投げた棍を拾い、両手の機能を失って悶え苦しむ男を余所に、蹲るリーダー格の男の背中に突き立てる。

 本来突き刺して使う武器ではないが、それは見事に背中を貫いた。


「がぁ……!!」

「棍はそうやって使うものじゃないんじゃが……。」


 少し呆れたようなルタの言葉に柚希は振り返ると、既に二人の山賊が息を引き取って転がっていた。

 止めを刺していないのは、柚希だけだ。


「あら、まっぷたつ……」


 大剣と双剣、二人の男は打ち合わせでもしたのかと思うほど左右対称に割れていた。さあ、残るは柚希が相手をした二人だけだが。


「……っへへ、分かってたよ。表のあいつ、あれと俺がここのトップだ。三人とはいえあれを相手に無傷で来たってことは」

「うるさしね」

「っああああああっ!!」


 急に語りだす男の腕を柚希は踏みつけて黙らせる。

 更についでと言わんばかりに背中から棍を抜き取り、隣で悶える男にも突き刺す。

 これにはさすがにルタと壮も苦笑する。

 と、その時だった。

 柚希の耳に、かすかに生き物の声が聞こえた。

 それは穴倉の更に奥からで、ひどくかすれた声。死にかけというよりかは、酷くおびえたような、そんな声。

 柚希はそれを辿っていくと。


「──!」


 膝を抱えて小さくなった少女。

 ゴブリンだ。

 怯えてはいるが衰弱はなく、何よりしっかりと服を着ていた。

 柚希が少女の臭いを嗅ぐと、彼女からは男の体液の臭いがしなかった。

 間に合ったのだ。


「良かった。もう、大丈夫。」


 柚希はそう、精一杯優しく、怖がらせないよう慎重に話しかけると、張り詰めた糸がぷつりと切れたように彼女は大粒の涙を流して柚希に抱き着く。

 ゴブリンの年齢なんて柚希は分からないが、その少女はメーアよりも若く見えた。

 そうすると人間なら中高生といったところだろうか、知らんけど。相当に怖かったろう。

 更には柚希が自分でも驚くほどのイケメンっぷり。返り血がなかったことも功を奏した。

 これは、泣くわ。





 穴の中はそれ以上探索してもゴミとゴミであることはわかるなにかしか残っていなかった。


「じゃ、さっさと帰りますか。」

「お、おい……」

「うむ。そうじゃな。」

「ちょ、ちょっと……聞けよ!」


 そそくさと出ていこうとする柚希達に叫ぶのはまだ息があるリーダー格の男。

 腹を貫かれ、腕も潰された彼はもう虫の息だ。そんな彼が叫ぶ間も三人は帰り支度を進めている。三人は何よりも一秒でも早くこの空間から脱出したいのだ。


「ほら……殺せよ。いい気分だろうなぁ! 悪者殺しててめえらはヒーローだ! 俺は惨めに殺されるのを待つだけ! 早く! 早く殺しやがれ!!」

「んなくっせえとこでいい気分なんてなれっかよ馬鹿じゃねえの……。じゃ、帰りますか」

「そうですね」

「うむ」


 男の声がする度、柚希が負う少女が掴む肩に力が籠もる。

 彼女の為にも、あまり長居は良くない。


「なあ、おい! 待、てって! 待って、くれ! 悪かった! 謝るから……せめて、せめ、て、殺して、くれ……! 痛え……イテえ…んだ! ……なあ! あいつら、だけ、楽、なって……ずりィ……じゃねえか! 俺も、早く……楽にしてくれ!」

「柚希君、どうしますか?」

「ほっときゃ、死ぬでしょ。あのままでいいんです。」


 壮はそうですか、とだけ言うとそれ以上は何も言わなかった。


 生存者を背負った柚希を先頭に、三人は悪臭の巣窟を後にする。もう後ろから声は聞こえなくなったが、きっとまだ生きているだろう。

 『復讐なんて死んだ人(この場合はゴブリンだが)が喜ぶと思っているのか』とは、よく聞くセリフだ。

 死んだ者が喜ぶかどうか、そんな事はわからない。復讐は残った者の独りよがりのようなものだから。

 だがその台詞自体、発言者の独りよがりだと、柚希は思う。少なくとも今回のことはゴブリン村のみんなには感謝されるだろう。

それもまた、柚希の独りよがりだろうか。

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