第5話 亡羊の嘆


「………。」


 一同が会すは、最初にヴァイザルと対面した部屋。一同とは、柚希、壮、優奈とヴァイザルの四人である。

 集まった理由は他でもなく、柚希の起こした行動だ。


「ユズキ様、当然ですが、私はあなたを罪に問うつもりは全くございません。」


 重苦しい沈黙に堪え兼ねてか、まだ会話は始まってもいないのにヴァイザルが柚希をフォローする。

 しかし、他二人はともかく柚希が黙り込んでいる理由はそこにはなかった。

 まず、立場からしてヴァイザルが自身を責める筈が無い、という考えもある。『勇者様』の機嫌を損ねる事は極力避けるだろうし、今回の件はこの城の使用人の為に起きた事件でもあるからだ。

 だが柚希にとって、それよりも重要な問題があった。


「悪いけど、俺が殺した奴の件は後回しにして。」

「柚希君……!?」


 ここに居るメンバーには大方の事の流れは既に説明してある。その上で細かい話を、とここに集まったのだ。

 その目的を覆すような柚希の台詞に、壮が少し動揺するが、今の柚希にはそれに取り合う余裕すら無かった。


「思い出したんだよ。幾人は、佳純は、海斗は、美羽は、俺と一緒に落ちてきた友達は、どこいった。」

「落ちてきた……落ちて、きた──」

「……」


 柚希の言葉に、壮も顎に手を当てて考え込む。何か引っかかるものがあったようだ。

 此方側へと落ちてきた。

 突然開いた黒に吸い込まれるように。

 体中を切り裂かれながら。

 共に歩いていた、友人と共に。

 それだけでなく、もっと多く、沢山の人間がいたはずだ。

 柚希は血の香りでそれを思い出したのだ。

 暫く口を閉ざしていたヴァイザルだが、やがて諦めたように口を開く。


「思い起こされました、か。」


 するとヴァイザルは椅子から立ち上がり、その横へずれる。そのまま膝と手を順に床につけ、やがて額も地面に擦り付ける。


「あなた方が忘れたままであれば、隠し通すつもりでいました。本当に、本当に申し訳ありません」

「おい、どういう事だよ……!」

「柚希君!」


 声を荒げてヴァイザルに掴みかかる柚希を、壮が慌てて止めに入る。ヴァイザルは普通の人間。鳥羽龍二よりも簡単に壊れてしまう。今の柚希を放っておいてはヴァイザルまで殺されると判断したのだ。

 ヴァイザルは体勢を全く崩さぬままに続ける。


「あなた方以外、同時に転移した315名は、お亡くなりになりました。」

「は……っ」


 壮を押し退けて殴り掛かる勢いだった柚希は、電池が切れたようにその場にへたり込む。

 立っている力すら、意欲すら沸かない。

 死んだ。

 幾人が。

 佳純が。

 海斗が。

 美羽が。

 あの場の、全員が。


「え……そ、そんな、あ、絢音、が……」


 話を聞いて思い出したのか、優奈も誰かの名を呼びながら涙を溢す。

 一番冷静な壮も、柚希を抑えていた腕にもう力は入っていなかった。





 恐る恐る手を伸ばし、頬にそっと触れる。白くなったそれは、こちらの熱を奪うかのようにように冷たかった。


「佳純……」


 ついさっきまで、と言う程ではないが、感覚ではつい一日ほど前まで馬鹿みたいにうるさかったのが嘘のように、彼女は眠り続ける。


「かーすーみー……佳純佳純佳純佳純、かっすっみーーーっ」


 柚希がいくら名前を呼んでもそれは変わらない。普段は少し鬱陶しくさえ感じていたあの騒ぎ声が、今では恋しい。

 今いるのは遺体安置所。と言っても王城の一室を使っているため部屋の雰囲気は遺体安置所という言葉からはかけ離れている。

 ここには二百と少しの遺体が安らかに眠っている。全員死んでいるとはいえ傷は塞がれ、服も整えられている。王の気配りらしいが、その気遣いがまた憎らしい。

 柚希は佳純の右手を握りながら、彼女の腹に頭を乗せる。そうしてれば、もしかしたら「おもい」なんて言って起きてくれるんじゃないか。そんな自分でも訳のわからない淡い期待を抱いて。

 既に海斗と美羽とも会ってきた。不幸中の不幸中の幸い、と言っていいのかわからないが、目立つような大きな傷は無かった。しかも二人手を繋いだままだったらしい。あいつららしいといえばらしいものだ。だが──

 柚希はふと、視線をあげる。傷口は塞がれているが、彼女の左腕は肩口から無くなっていた。それだけではない。毛布をかけられ隠されているが、彼女のへそから下は無い。どこに行ったかも分からない。

 だが、それも最悪ではない。ここに眠るのは約二百人。残りの百人は別の部屋にいた。いた、というのは既に処理されているからだ。幾人もおそらくその中にいたのだろう。

 何故、『おそらく』なのか。理由は簡単。それらは遺体の判別すら困難だからだ。四肢が千切れ、皮膚は切り刻まれ、内蔵はかき回され。何処からどこまでが一人の人間なのか、そもそも人間だったのかすら分からないような状態になっていた。


「ごめんな……。」


 柚希は佳純の手をそっと置いて、彼女の元を離れる。

 自分だけ生きてて、なのか。

 仇も討てずに、なのか。

 何に対しての「ごめんな」なのか、自分でも分からない。ただ、その言葉が出てきた。

 いや、きっと。

 あの、落ち続けてるとき。自分の名前を呼んでいた声があった。あれはきっと、彼女だ。

 そして、あの時。何かを抱いていた。

 きっと、佳純だったのだろう。

 守れなくて、ごめん。

 思えば、仇を討つことはできる。

 仇は自分らを呼んだ男、ヴァイザル。簡単である。さっきと同じように、頭を蹴飛ばすだけで終わる。本人だって、そうされる覚悟があっての選択だったのだ。

 だが、彼を殺したところで何になる。

 龍二は、悪意と身勝手な欲望を以ってアネットを襲った。だから、殺した。しかしヴァイザルは違う。

 勿論、悪意がなければ人を殺してはいい、なんて柚希は考えている筈もない。それは自身を棚に上げているも同然だ。

 しかし、民草の為に、最後の希望として柚希達を呼んだヴァイザル。

 見ず知らずの人間に恨まれたり、国を荒らされる事をも覚悟した上での、決死の決断。そんな人間を今殺したところで、何か意味があるのだろうか。

 俺は、どうすれば──


「柚希様!」


 仮遺体安置所を出ると、一人のメイドに呼び止められる。

 それは柚希の目覚めた時にいた一人。長い金髪を後ろで一つに纏めた、背の高い女性。その耳は尖っていて、人間とは少し違った雰囲気を放っている。


「もしかして、エルフぅ、とか?」

「御存知なのですか!? 仰る通り、エルフです。リーミアと申します。」

「へぇ〜。」


 彼女、リーミアは自己紹介と共にスカートの裾を摘み、柚希に敬意を込めて一礼。

 と、挨拶としての礼を終えた後、更に深々と頭を下げる。


「えっ!? なにっ!? 突然」

「先程はアネットを助けて頂き、本当にありがとうございました!!」


 柚希は、アネットを助けた。

 龍二を、殺して。

 あの後すぐ、やはり柚希と同じように遠くから音を聞きつけたのであろう壮が一番に駆けつけた。が、事が起きたのはアネットが寝起きする部屋。他の使用人の部屋も隣やその隣とすぐ近くに点在する。

 つまり、すぐに人が集まってきたのだ。

 夜に突然扉をぶち壊す爆音が響き、喧騒、そして鈍い音。人が集まるのは当然だ。

 いざ部屋を覗いてみれば、服を引き裂かれた状態で失神したアネットと、その横には首の無い下半身裸の男の死体。極めつけに、その男の血に染まったであろう血塗れの男。

 地獄絵図である。

 必然的にパニックが起き、そしてそれを収拾するためにも柚希達の素性をバラす事になってしまった。

 このリーミアも地獄絵図を目撃した者の一人。この短時間で自分に声をかけるとは随分と度胸があるな、と柚希は感心した。


「あの男が部屋に押し入る所から私達……少なくとも私は気付いていたんです。でも国王陛下の御客人ということでしたので迂闊に文句も言えず……。本当に、本当にありがとうございました……!」


 何だか騒がしいな、とリーミアは少しドアを開けて廊下の様子を覗いていた。

 そこにいたのは、アネットとそれについてきた龍二。アネットは嫌がるもはっきりと断る事もできずに、龍二を部屋に入れる事に。リーミアも何も文句を言えなかった。

 アネットは柚希達の素性を当時唯一知っていた使用人。機嫌を損ねる事は出来ない、と考えたのは当然だろう。下手をすれば自分が殺されるどころではない、人類最後の希望を失う可能性もあったのだから。

 リーミアは、只黙って耳を塞ぐ事しかできなかった。


「いや、こっちこそありがとね。」

「え……?」


 しかしそのリーミアの言葉こそ、少しだけ柚希の救いになった。

 はじめて人を殺め、それなのに他の事柄の発覚もあって有耶無耶のごちゃまぜになって。自分の味方になってくれる者はいないのでは、と思っていた。

 そんな自分を肯定してくれる存在がいるだけで、何だか落ち着いたのだ。

 それじゃあ、とだけ言って柚希はその場を後にする。

 柚希の殺人の件については翌日、と言ってももう日付は変わっていたのだが、少し時間をおいてつめる事になっていた。

 柚希何も考えず、今は只休息を取ることにした、のだが。


「あ、そうだリーミアさん」

「? 何でしょう。」


 ひとつ、柚希には気になることがあった。


「百年前? だっけ。この世界を助けたっていうご立派な勇者様のこと、教えてほしいんだけど。」

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