第10話

「おのれ、外道どもが!」


死にかけていた老体のどこにそんな力が残っていたのか。オババが激昂してユリウスに飛びかかっていった。

 

 地面に転がった龍槍を拾い上げ、娘の仇とばかりに切りかかる。


 ユリウスそんな老人を歯牙にもかけず、一瞥もくけずに長剣をふるった。


 凶刃は哀れな年寄りの股座を滑り上がりそのまま龍槍を跳ね飛ばして肩峰から抜けた。


 骸が伏したケイネの上に覆いかぶさるように倒れた。


 龍槍は空中で綺麗な弧を描きシェンの手もとの地面に突き刺さった。


「ふん、すぐに親のところに送ってやる」


ユリウスが近づいてくる。


 ああ、今からこの男は自分を殺すのだ。それなのにこの身は震えるばかりで指いっぽんまともに動かせない。


 恐怖と絶望がシェンの心を飲み込み、這い上がることのできない谷の底におちてしまったかのようだ。


 ユリウスがシェンの目の前で歩みを止めた。右手の長剣が高々と掲げられ、日の光を赤く白く反射した。


 シェンはほとんど無意識にその様子を見上げる。シェンの首を落とそうと血に飢えた刃がゆっくりゆっくり降ってくる。



 と、絶望の谷底のさらに奥、暗い闇の中でシェンに語りかけてくる者があった。


『・・・エ。タ・・・エ』


それは強い意志の光を宿した双眸でシェンを睨んでいる。


『・・タカエ。タタカエ。』


両頬の端まで裂けた口の端からめらめらと炎が溢れでている。その火の粉に照らされて一山ほどもあろうかという生き物の姿が闇に浮かび上がった。全身を翡翠色の鱗に覆われたそれは・・・。


『タタカエ!』


はっと、シェンは我に返り心の谷から現実に引き戻された。


 ユリウスの剣はいまだに空中にあって、先ほどの場所からそう動いていない。


 シェンはユリウスの背後に目をむける。瀕死のケイネが唇を動かしてなにかを伝えようとしていた。


「——―生きて――—」


胸の底に小さな火が灯った。


 その火はどんどん勢いを増していき、やがて灼熱の大炎となって全身を包む。シェンの髪が紅く色を変える。全身から燐が燃えるような光がにじみ出した。


 地面に突き立った龍槍に触れると、龍槍が歓喜に脈打っている。



 ――—時間の流れが勢いを取り戻す。



 何が起きたのかユリウスは理解ができなかった。己の振り下ろした刃が獲物のうなじを捕らえんとしたその瞬間、視界が紅蓮の閃光に包まれ、眩さに目を閉じたやいなや、この身は一陣の暴風吹き飛ばされ地面に叩きつけられたのだ。


「なっ・・・。何が起きた」


右目の視界が暗い。左手を当てるとどろっとした血が指を濡らした。右手を見ると長剣の刃の根元から先がない。


 背中に岸の小石ではなく草と土の感触がした。どうやら茂みの手前まで飛ばされたらしい。


「ユリウス様!・・・貴様、よくも!」


部下が叫んでいるのが聞こえる。なんとか顔を向けると、部下たちが十重二十重に陣を組んでいる。その中心に紅蓮に燃えあがる少女が立っていた。力なく垂れ下がった両手にゆるりと槍をぶら下げている。


 反応のない少女に痺れを切らした一人の部下が、少女の喉元に剣を突き出した。

 

 途端に剣を握っている方の腕の肘から先が消失し、まるで奇術でも見たかのように呆気にとられている顔の人中から上が斬り飛ばされた。


 一連の動作のあまりの流麗さに、その場にいた全員が放心した。


 続けざま少女は体を回転させながら隣の兵士の胴を抜いた。槍頭が着ていた鎖帷子ごと切り裂いて血飛沫で紅い弧を描く。

 

 後ろで槍を構えていたはずの兵士の両手首が弾け飛び、驚いて一歩下がろうとしたその左足の膝から下が斬り飛ばされ地面を転がった。


 ここに至ってようやく正体に戻った兵たちは、一斉に少女に斬りかかった。


 少女は舞う。


 燐光をまき散らしながら紅い軌跡を描く龍槍は、間合いに入ったもの全ての命を刈り取る竜巻となって吹き荒れた。


 さらに三人が斬られた。


 その牙で命を屠るたびに槍の動きは変化を増し、より速くより鋭く、まるでそれ自体が意思をもったように躍動し兵士たちに襲いかかる。


 さらに三人が斬られた。


「ひっ、たっ助けてくれ」


最期の部下が持っていた弓を弓手ごと撥ね飛ばされ、血だまりに足を滑らせて尻もちをついた。命乞いをしながら後ずさるが、同僚の骸が邪魔なのと片腕なのもあってうまく距離を稼げない。


 少女はなにも答えない。ただ無感情に男を見据えると、無造作に槍を振るい男の首を落とした。


 すべてを終えた少女がゆっくりとユリウスの方に歩いてくる。


 先ほどまで透明に晴れていた空に、墨をぶちまけたように雨雲が広がっていた。


 呆然自失していたユリウスは雲の中に何か巨大な生き物が泳いでいるのを見つけた。


「あれは・・・龍か」


龍は少女を見つけるとゆっくりとその身体をうねらせながら降りてくる。


「お前はいったい・・・なんだ?」


その問いを彼女は聞こえているのだろうか。


 眼前で紅く輝く槍を振り上げる少女に表情はない。近づく死の気配を感じながらユリウスはただ彼女を見つめていた。






 





 

 

 


 


 


 






 







 


 


 


 


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龍槍の少女 @genmaicha

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