第2話
「あっシェンが帰ってきた!」
やっとの思いで帰り着くとすぐに里の子供たちがシェンを取り囲むように集まってきた。祭りが近いせいかみんなそわそわと浮足だっているようだ。
「ただいま。里長はどこる?」
「オババのとこにいるよ!」
子供たちにオババと呼ばれているのは村の先々代の巫女で、シェンの祖母である。きっと明日の祭りのことでなにか話し合っているのだろう。
ホォグアンの里には土を固めた壁に草葺きの屋根といった簡素な家が立ち並んでいる。里の中心には高く積まれた土塁の上に材木を使って建てられた丈夫で立派な社があり、そこは里の人間が崇める神フー、そして龍を祀る祭壇が置かれていた。
先々代の巫女であり神の声を聞くことができるベーネ・エルガはそこに住んでいて、シェンの家族だけでなく多くの人間が、身の回りの世話やもしくは彼女の占いによる助言を求めるために出入りしている。
お屋敷の入り口をくぐると部屋の中央にある囲炉裏のそばで父ジョワ・エルガとベーネが膝を突き合わせ、なにやら難しい顔をして話し込んでいた。
「ただいま帰りました」
ジョワ・エルガは大柄で肩幅も広く岩のようにがっしりとした男だ。声をかけるとひげを生やした顔に難しい表情を貼り付けたままふり向き、しかしすぐにシェンを見て笑顔になった。
「おお、帰ったか。むぅ、なかなか大きな鹿じゃないか」
「うん。これで奉納演舞のお供えものの準備はばっちり」
「あぁ・・・そのことなんだが・・・」
また難しい顔になり、なにか言い淀む様子だ。
「どうしたの。なにかあったの?」
コンッと音がしてそちらを見ると、オババが煙草のパイプを囲炉裏の縁にあてて灰を捨てていた。そしてシェンに目を向けて手招きした。
「こっちへおいで、シェン。大事な話があるからね」
すぐに側仕えの女性がシェンに近寄ってきたので鹿を渡すと、屋敷の奥の部屋に持って行った。
シェンは囲炉裏の近くに歩いて行って、オババの隣に腰かけた。
長い年月をかけて川に削り取られた谷間のような皺だらけの顔に愛おしむような微笑を浮かべている。まばらで枯草のように細くなった髪、枯れ木のように痩せているけれど背中は曲がっていない。落ち窪んだ両の目にはまだ力強い光が宿っている。
「もう奉納の舞はしっかり覚えたかい?」
「うん!大丈夫。十二回目の誕生日から二年間、昨日まで母様にみっちり仕込まれたもの」
「そうかい、それじゃあきっと御使い様もお喜びになるだろうよ」
ホォグアンの里では毎年夏の終わりごろになると、食料が少なく厳しい寒さの冬を乗り越えられるように秋の豊穣と狩りの成功を願い龍神祭という祭りを催す。そこでは里の巫女が龍の角を削って造られた龍槍を用いて、主神フーと神の御使いである龍に演舞を奉納するのだ。
演舞は毎年シェンの母であるケイネが行っていたのだが、今年は春に十四になったシェンが一人前の巫女として演舞をすることになっていた。二年前からこの日のためにシェンは母から毎日厳しい槍の稽古を受けていたのだ。
里には古くからある言い伝えがある。それは自分たちの先祖は龍の火から生まれたというものだ。
『むかしむかしの話だよ。世のなかにあるすべての物は神フーによって創られたのさ。山も川もそこに棲む鹿や猪、魚なんかもね。シェン、今お前が食べているウサギもそうさ。
そして右腕として龍をお遣いになり、万物とそこにに宿る精霊たちを治めさせた。
常に天空を棲み処とする龍はねぇ、空からすべてを見渡すことができるんだよ。でもそれだけでは不充分だと考えた龍はその口から吐く火でもって大地を燃やし、その灰から生まれた人間たちを使って地上を治める手伝いをさせることにしたのさ。
それがわしらのご先祖さま。わしらの髪は白いじゃろ?それは灰から生まれたからさ。わしらの目は紅いじゃろ?それはまだ体の中に龍の火が残っているからなのさ」
みんなで囲炉裏の火を囲んでご飯を食べながら、よくオババはそんなふうに話してきかせる。
そういえば体の中に火が残っているのにどうして熱くないんだろうなんて聞いたこともあったっけ。でも母の演舞を見ればそんな疑問は氷解してしまうのだ。
龍神祭では日が暮れると、村の中央の広場に薪を組み上げて造った祭壇に火を点し、巫女はその手前の縄で囲われた舞台の中で囃子方の笛と太鼓に合わせて舞う。
はじめは静かにしかしだんだんと槍が速さと激しさを増していくにつれ、穂先が龍がその口から炎を吐き出すように妖炎を纏うようになる。その時巫女は生き物のように躍動する龍槍に従うだけの道具と化す。
祭壇の灯りに明滅する中空の闇を刃が切り裂き真紅の軌跡を描く。その刃に身体はどこまでも純になる。そして心までがそこに付き従うようになった時、巫女の白い髪は燃えるよな真紅に変色し全身から火の粉のような燐光を発するようになるのだ。
ホォグアンの里の人間はその姿を‘‘焔がえり”と呼ぶ。
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