3.
恥ずかしがっていた彼女が一瞬で真顔に戻る。
「え?だってほら、ハーモニーすごい綺麗だったじゃん」
「……ユウさんどうした?寝ぼけてる?あははっ」
声をあげてひとしきり笑うと、彼女は一瞬とても寂しそうな目をした。
「どんな子だった?」
「小学生っぽかったかな。上目に見積もっても中1くらい。華奢な子だったよ。楽器を吹くのが楽しくてしょうがないって感じだった」
「――そっかぁ。会いたかったな」
すずめが鳴きはじめた青空に、泣きそうに震える水咲さんの声が吸いこまれていった。
「これね、たっくんが入院するまで吹いてたやつなんだ」
少し擦り傷のある楽器ケースを示しながら、水咲さんはさっきより落ち着いた声で話し始めた。ケースにはどこかの備品であることを示すシールが貼られている。
「ほんとはたっくんの小学校の備品なんだけど、たっくんがいつも吹いてた楽器だから形見に持っていてくださいって先生が譲ってくれて」
小学校低学年の子どもが持つにはずいぶん大きい楽器だと思う。しかしこれを、入院するまで確かに貴史くんが吹いていた。リードケースにはひらがなで貴史くんの名前が記され、新幹線のシールが無造作に貼られている。リードケースだけは貴史くんの私物だったようだ。
「あたしさ、普段はボーンだけど、昔ちょっとだけクラも習ってたんだよね。ボーンと両立できなくて結局やめたんだけど、やっぱりなんかクラを諦められなくて最近ここで練習してるの。あの子が聞きに来てくれてたのかな」
未練がましいよねとうつむく水咲さんに、そうだねとは返せなかった。病気さえしなければまだまだ生きたはずの弟を亡くして、そう簡単にそれを受け入れられるものなのだろうか。
いつだったかの講義で、「受容のプロセス」について学んだ。癌の告知や親しい人の死などショックの大きい出来事が起こってから、自身や周りの人がどのような心の動きを経てその事実を受け入れていくかというものだ。そのプロセスを全うするのに、きっと1年と数カ月は短すぎる。講義の後、彼女は誰とも目を合わさず逃げるように帰ってしまった。
「これね、あたしのお守りなんだ」
楽器ケースをきゅっと抱きしめて、水咲さんはどこか嬉しそうにそう言う。
「成績とか全然良くないけど、それでもあたしは医者になるって決めたの。たっくんがここから見守ってくれるから、あたし頑張れる。いつまでも泣いてばっかりじゃいられないし、たっくんを支えてくれた人もいてくれるから、だから、このクラはあたしのお守りなの」
今までただ柔らかい印象だった水咲さんの瞳に、何かひとつ芯が通ったような気がした。弟の夭折を受け容れはじめた瞬間だったのかもしれない。
「ああっ、長いこと引き留めてごめん! お腹すいたでしょ」
水咲さんの驚いた声で我に帰ると、途端に空腹が頭をもたげてきた。時刻はもうすぐ午前9時になろうとしている。昼食を奢ると言って聞かない水咲さんに礼を言い、一旦それぞれの家に戻ることにした。
多分今日は何もないんだろうけど、いい1日になりそうな気がした。
FIN.
After the balloon 紅音さくら @aknsakura
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