第80話

 

『おはよう、トワ』


『……メール!』


『どうした、トワ? 寝惚けてるのか?』


『……ペール!』


『おっはよー、トワ!』


『……レイ!』


『こんにちわー、トワいますかー?』

『……トワ、今日お休みだよね? 遊びに行こう?』


『……フレド、ティミド!』


『おぉ、トワ! 稽古の続きをするか?』

『トワ、それより打とうぜ?』

『ガッハッハッ! トワ、リバーシで対戦だ!』


『……スティード、ソルダ、アルマ!』


『トワ、お腹空いてない?』

『トワ、これも食べなさいな』


『……カルネ、レギューム!』


『見て下さい、トワ。興味深い魔物の生態が明らかになったんですよ』

『ふふ、トワも一緒に論文を聞くかい?』


『……レーラー、ロワ!』


『トワー! プリン作ってー!』

『トワ、オセロ教えてくれよ!』

『トワ、パンはいつ売るの?』

『トワ、今日はホールの方に来ないの?』


『……みんな!』



 ―― パンッ!



 赤い花が咲く。



 ―― あぁ、これは俺が撃った魔物の頭だ。



 どろりと、魔物の頭だったものが、人の顔に変わる。



 ―― 違う、これは、俺が殺そうとした、ヒトだ。



『トワ、貴方がやったの……?』


『なんて酷いことを……』


『……可哀想』


『最低だな!』


『……酷いよ、トワ』


『人殺し!』

『人殺し!』

『人殺し!』



 ―― 違うっ! だってあれは……!



『人殺し!』

『人殺し!』

『人殺し!』



 ―― 違うっ! 殺してないっ!



『人殺し!』

『人殺し!』

『人殺し!』



 ……




「うわあああぁああぁぁぁあぁぁっ!!!」




 ハッと飛び起きると、最近見慣れてきた馬車の天井が目に入る。酷く汗をかいていて、服がじっとりと湿って気持ち悪い。


「……きゅー?」


 もちが心配そうに、俺に擦り寄ってくる。もちを抱きしめ、その柔らかさと温もりに少し一息つく。


『……トワ、大丈夫?』


 荷台の中からレーダー役をしていたフィーユも、心配そうに俺に問いかける。


『ごめんごめん、最近ちょっと夢見が悪くて……大丈夫だよ』


 心配させないように笑顔を作り、フィーユの頭をそっと撫でる。


『……また怖い夢、見たの?』


『うん、そうだね……』


『……怖い夢、見なくなるといいね』


『……そうだね』



 ―― そうなんだろうか?



 異世界に来て、初めて盗賊を……レッスを切りつけた時も、ずっと夢に見た。何度も魘された。多分怖い夢を見るのは、人を傷付けたり、殺そうとした恐怖や罪悪感が、自分の中にあるからだ。


 魔物を殺して、吐かなくなったのはいつからだろう。最初はあまりの恐怖と罪悪感に、何度も吐いていたのに。気付けばいつの間にか、吐かなくなっていた。


 今も恐怖や罪悪感は感じるけれど、前ほどではない。いつの間にか慣れていた。



 ―― 人を傷付けることにも、いつの間にか慣れるのか?



 俺はそれが怖い。

 怖い夢を見なくなることが怖い。

 怖い夢が怖くなくなることが怖い。


 怖い夢を見ている間は、俺の中で恐怖や罪悪感を失っていないということだ。怖い夢を見なくなったとしたら、それは……



「……やだな」



 俺の呟きに、フィーユが不安げに顔を覗き込んでくる。


『……トワ?』


 俺はそっと笑顔を作ると、フィーユを抱きしめる。



『……なんでもないよ』



 ……



 森に入っても、俺達のパーティーは安定していた。

 レーダー役が常に周囲を警戒し、攻撃役は馬車に近付かれる前に射撃する。


 安定している理由は、銃で倒せない魔物が出ていないということもあるが、一番はファーレスの射撃技術が高いおかげだろう。


『ファーレス、交代だ』


『……あぁ』


『いやでも本当、殆ど練習期間なかったのに、ファーレスの射撃センスは凄いな……。今倒した魔物も、眉間に一発じゃん……』


『……あぁ』


 動体視力がいいのだろうか?

 俺は止まっている的を相手に、何日も何日も練習してやっとまともに当てられるようになったのに、ファーレスは数回練習しただけですぐに当てられるようになった。


 魔物相手でも殆ど外さない。寧ろ、これまでの戦闘経験から魔物の動きを予測しているのか、対魔物なら俺よりずっと的中率が高い。


「はー……天は二物を与えずとか言うけど、絶対嘘だよなー……」


 溜め息を吐きながら、フィーユの方を見る。


『フィーユ、もうちょとレーダー役やって貰うけど平気か?』


『うん、大丈夫!』


 元気に答えるフィーユに安心し、そっと頭を撫でる。頭を撫でられてフィーユも嬉しそうだ。


『魔物はどれくらい出た?』


『んー……3体くらい!』


『3体か、結構多いな』


 今のところ安定して倒せているが、油断は禁物だ。しっかり交代で休憩を取り、いざという時に備える。


『あ、あのね……トワ……』


『ん?』


『あの、あの……えっとね……』


 フィーユはもじもじと何度も口を開きながら、言い淀む。


『どうした? あ、もしかして魔物が怖い? やっぱり、フィーユはレーダー役やめとくか?』


『ううん、それは大丈夫! そうじゃなくて……あの、その……』


『ん?』


『……レ』


『え?』


『……トイレ、行きたい……』


『あ……』


 フィーユが顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに呟く。言われてみれば、森に入る前の休憩時に各自用を足し、それから一度も馬車を止めていなかった。


『き、気付かなくて、ごめん……』


『……うぅ、トワの馬鹿ぁ……!』


 成人男性である俺やファーレスに比べ、身体の小さなフィーユはそりゃあトイレも近いだろう。可哀想なことをしてしまった。


『いや、本当気が利かなくてごめん。えっと、周りに敵は?』


『……近くにはいない!』


『よし、じゃあ馬車止めよう。ファーレスも休憩だ。あー……その、トイレ、忘れず』


『……あぁ』


 ファーレスにも声を掛け、馬車を止める。フィーユはちょっと恥ずかしがりながら、馬車から離れようとする。


『あ、フィーユ! 離れすぎると危ないから……その、出来る限り……馬車の近くで……』


 凄く指示を出し辛い。しかしフィーユの安全のためだ。万が一の時、馬車から離れすぎていて守れなかったら困る。


『……え、えぇ……』


 フィーユは凄く嫌そうな表情で、ちょっと泣きそうだ。


『し、仕方ないだろ……? 大丈夫だよ! 絶対そっち見ないし、ほら、耳も塞いでおくから!』


『……うぅ……やだぁ……』


『フィーユ……』


 フィーユの気持ちも痛いほど分かる。まだ幼いとはいえフィーユだって年頃の? 女の子だ。


『……困ったな』


『……うぅ……わかった……』


 俺の困っている雰囲気を察したのか、フィーユが渋々頷いてくれる。ただ、あまり馬車の近くだと恥ずかしいとのことで、妥協案として俺とフィーユで馬車から離れ、フィーユがこっそり用を足している間、俺はちょっと離れたところで待機することになった。



 ……



 ついでに俺も用を足し、精霊石で出した水で手を洗う。少し待った後、そろそろ大丈夫かな? と思い、フィーユに呼びかける。


『……フィーユぅー? えーっと、その、もういいかーい?』


 気まず過ぎてなんと問いかけようか迷った末、かくれんぼのような問い掛けになってしまった。すると少し離れたところから、フィーユの泣きそうな叫び声が響く。


『とっ、トワぁっ!! 魔物、魔物ぉっ!!』


『えぇっ!?』


 フィーユの悲鳴のような叫び声を聞き、俺は銃を片手に慌ててフィーユの方へ走る。


『フィーユ、どっちだ!?』


『み、右ぃ!』


『クソ……!』


 辺りを見渡すが、木が邪魔で魔物の姿を見つけられない。フィーユが右と叫んでいるが、まだフィーユの元へ辿り着いていないため、どこを起点に右なのか分からない。


『フィーユ、今行くからっ! 出来る限り魔物から離れてっ! 俺の方へ来てくれっ!』


『と、トワ、どこぉ!?』


 フィーユが泣きそうな声で叫ぶ。多分、俺には魔力がないので、フィーユは位置を感知出来ないのだろう。


『こっちだっ! とにかく魔物から逃げることを優先で、俺の声がする方に来てくれっ!』


 俺も必死に叫び、辺りを見渡しながらフィーユの声がする方へ走る。


『フィーユッ!』


 バッと木の影から飛び出すと、目の前に狼のような魔物がいる。その鋭い目線の先に、怯えた様子で腰を抜かしているフィーユの姿が見える。


『クソッ!』


 すぐさま狼のような魔物に向けて、銃を撃つ。



 ―― パンッ! パンッ! パンッ!



 距離が近かったため、発射された魔力弾の殆どがヒットする。狼のような魔物は、攻撃されて初めて俺を意識したようで、驚いた様子でターゲットを俺に切り替える。俺はとにかく狼のような魔物に向けて、撃って、撃って、撃ちまくる。


『XxxXXXx……!』


 断末魔のような唸り声を上げて、狼の魔物が倒れる。


『フィーユ! 無事かっ!?』


『トワぁ! 怖かった……怖かったよぉ!』


 フィーユは泣きながら俺の方に駆け寄ってくる。俺もフィーユの方に駆け寄り、フィーユをぎゅっと抱きしめる。見た所、怪我はしていないようだ。


『フィーユ……無事で良かった……! 本当に良かった……!』


『トワぁ……! ごめっ……ごめんなさいぃ……!』


 フィーユは泣きながら俺に謝る。多分、恥ずかしいという自分の我儘で、こんな危ないことになってしまったと思ってるのだろう。


『フィーユのせいじゃない……! ごめん、俺が考えなしすぎた……!』


『と、トワッ! また、魔物っ!』


 フィーユはハッとしたように、しゃくりを上げながら必死に伝えてくる。


『クソ……! どこだっ!?』




『う、後ろぉっ!!』




 フィーユの悲痛な叫びが耳に刺さる。

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