【番外編】SIDE:メール

 





 ―― ガタン、と大きな音がして馬車が止まる。




 何かしら?と思い、外の様子を窺おうとしたところで、護衛のスティードが『ペール、メール! 馬車から出るな!』と短く叫ぶ。


 不穏な空気を感じ、旦那であるペールの方を見てみれば、ペールも険しい顔で外の気配を探っている。

 外からは何か叫ぶ声と、荒々しく武器を打ち合う音が聞こえてくる。


『まさか……盗賊……?』


『そうかもしれない……。最近、警備隊が少ないと噂が流れ始めている。盗賊には絶好の機会なんだろうさ』


 私が不安げに問いかけると、ペールも同じことを考えていたようで、憎々しげに言い捨てる。


 私達夫婦はノイとナーエ、2つの街を行き来する商人で、今日も取引を終え、ノイの街に帰っている途中だった。


 普段、街を行き来する道には "警備隊" と呼ばれるギルドから派遣された人達が配置され、盗賊や魔物、怪しい者達を討伐してくれる。


 しかし、最近上で何か問題が起きたらしく、警備隊はそちらに人員を割かれ、道の警備まで手が回っていないと噂が流れてきたのだ。


『スティード……大丈夫かしら……? 私達に何か出来ることは……』


『落ち着きなさい、メール。私達が出ていってもスティードの邪魔になってしまうだけだ』


 私もペールも戦闘で役に立つタイプではない。寧ろ足手まといになり、ペールの言う通りスティードの邪魔になるだけだろう。こんな時、せめて魔力だけでも強かったらと、弱い自分に歯痒さを感じる。ペールも同じく、悔しそうに拳を握りしめていた。


 スティードが馬車から盗賊達を遠ざけてくれたのか、言い争うような声や、武器の打ち合う音が徐々に聞こえなくなり、外の様子が分からない。


 時折、遠くから『まだ馬車にいてくれ!』『外に出るな!』とスティードの叫ぶ声が聞こえるので、まだ戦闘中なのだろう。


 スティードの無事が分かり安心すると同時に、長引く戦闘に不安が募る。



 ……



 スティードの叫ぶ声も聞こえなくなり、少し経った。


『ペール、メール、待たせてすまない。外はもう大丈夫だ』


 謝りながら、スティードが馬車の中に顔を覗かせる。


『スティード!! 無事でよかったわ! ああっ……! でも血がついてるわ……!』


『かすり傷だから大したことないさ』


『大丈夫だったか? 無事でよかった……』


『ありがとう、そちらも何事もなくてよかった』


 多少傷はあるものの、私もペールも元気そうなスティードの顔を見て安堵する。


『盗賊だったの?』


『あぁ、いきなり襲い掛かってきて積荷を寄越せと喚いていた。多分馬車の車輪が壊れるよう、道に罠を仕掛けていたんだろう』


『スティードのおかげで助かったわ……ありがとう。なんの力にもなれなくてごめんなさいね』


『スティード、私からも礼を言う。本当に助かった。護衛料は是非弾ませてくれ』


『いやいや、気にしないでくれ。自分の仕事を果たしただけさ。それに盗賊を倒せたのは俺だけの功績じゃないんだ』


 スティードが影に隠れて見えていなかった人物をそっと前に押す。


『紹介する。トワ、ワタリ トワだ。あっちの白いやつはモチと言うらしい。盗賊がなかなか腕の立つやつでね……苦戦しているところを助けてくれたんだ』



 出てきたのは驚くほどやつれた青年だった。



 その青年は頭の先からつま先まで、あますことなく全身ボロボロなのだ。


 髪は手入れされている様子がなく、伸び放題。前髪の隙間から見える窪んだ目。両頬はげっそりと削げ落ち、髭を剃った痕跡もない。服の間から見える痩せ細った骨と皮のような手足。服も薄汚れて斑に茶色くなっており、血痕のようなものがそこかしこについている。



 ―― 一体何があったのか……



 思わず目を見張り、お礼も挨拶も忘れてトワという青年を見つめてしまう。



 ―― もしかしてこの青年は……



『トワ、ペールとメールだ』


 スティードは身振り手振りを加えつつ、トワに私達のことを紹介してくれる。


『よ……よろしく』


『よろしくね』


 私もペールも、スティードの言葉にハッとして、トワに挨拶をする。


『ヨロシク!』


 トワはとても嬉しそうに挨拶を返してくれた後、自身とモチという白い魔物を指差しながら名前を繰り返す。


『トワ、ワタリ トワ! モチ!』


 その様子を見たスティードは、少し言いにくそうに付け加える。


『あー……それから、その、トワはどうやら言葉が分からないようなんだ』


 よろしくという言葉も、先程スティードと会話した中で分かるようになったらしい。言われてみれば少しおかしな発音だ。


 言葉が分からないという事実に、私の中の「もしかして」という思いがどんどんと強まっていく。


『トワ、ペール。ノイ・ジェンティーレ・ペールだ。よろしく』


『あ、メール! ノイ・ジェンティーレ・メールよ。よろしくね』


 ペールがトワに伝わるよう、自身を指差しながらゆっくりと自己紹介をする。慌てて私もペールを真似、ゆっくり、そしてハッキリと話すよう心掛けながら自己紹介をする。


 トワは少し考えた後、それぞれを指差しながら『ペール』『メール』と名前を呼んでくれる。


『あぁ、そうだよ。よろしく』


 お互い自己紹介が伝わったことにほっとする。




 トワは手に持った小さな箱のようなものをゴソゴソと弄りながら、私達に聞きなれない言葉で何か話しかけた後、箱をこちらに向けたり、箱を指で撫でたりしていた。


 何をしているのかよく分からないが、その隙に私はスティードに気になっていたことを聞く。



『スティード、その…………もしかしてトワは…… "脱走奴隷" なの…………?』



 脱走奴隷。


 その名の通り、主人の元から脱走した奴隷達の通称だ。あまり詳しいことは分からないが、大体の脱走奴隷はあまりに過酷な労働に耐えきれなくなり、死を覚悟しながら必死に逃げ出して来るのだという。


 幼い頃に奴隷として売られた子は、満足な教育も受けさせて貰えず、言葉が分からない子も多いと聞く。


『トワが脱走奴隷かは分からない。ただ、この辺りの者じゃないのは確かだな』


 トワは公用語が話せない様子だ。この辺りで別の言語を話す地域があるとは聞いたことがない。



『……遠いところから逃げてきたのかしら……?』


『そうかもしれないな……』


『こんなにボロボロになって……』


『トワの事情は分からない。ただ事実として分かるのは、トワはこんなにボロボロの状態で、自分の危険を顧みずにこちらを助けてくれたということだ』



 スティード曰く、トワは大きな声を上げて盗賊の注意を自分に引き付け、自身を囮にしながら小さなナイフのような物で盗賊と戦ってくれたらしい。


 そのナイフさばきはお世辞にも上手いとは言えず、不意打ちだったから何とかなったものの、助けに入ったトワ自身が盗賊に殺されてもおかしくなかったと言う。



 更に戦闘が終わったあとのトワは手を震わせ、目には涙さえ浮かべていて、明らかに戦闘慣れしていない様子だったそうだ。あの様子では人を切ったのも初めてだったのかもしれないとスティードは語る。



『あの時、トワが勇気を持って助けに入ってくれなければ、俺はやられていたかもしれない。トワには感謝している』



 もしスティードがやられ、盗賊達が積荷を奪おうとすれば、馬車に乗っている私達も邪魔者として殺されていただろう。


 トワにはスティード、そして私達、三人分の命を救ってもらったのだ。




『トワ、ありがとう……』




 トワの手を取り、万感の思いを込めて感謝の言葉を伝える。


 少し考える素振りをしたあと、トワにも思いが伝わったのか、とても嬉しそうな笑みを浮かべ、少し照れながら


 “どういたしまして“


 と1言いう。


 恐らくトワの使う言語で、礼を受ける挨拶なのだろう。トワの表情からは「よかった」「嬉しい」と言った、プラスの感情だけが感じられる。




 ―― あぁ、この青年は何て優しく、そして穏やかに笑うんだろう。



 ……



 その後、馬車の中で色々な話をして、やはりトワが遠い所から来たこと、故郷に帰りたいこと、そして純粋な正義心から私達を救ってくれたことが分かった。


 トワにお礼を渡そうとしても遠慮して受け取ってくれず、スティードに渡してくれと言う。


 トワの過去は分からない。故郷に帰りたいと言うことは、奴隷として売られて来たのか、トワの意思とは無関係に遠くへ連れて来られたのかもしれない。



 あんなにも全身ボロボロだったのだ。きっとここまでに怖いことも、辛いことも、苦しいことも沢山あっただろう。



 それでもトワは、見返りを求めず、誰かを救おうと勇気を持って行動してくれたのだ。



 ……



 疲れていたのだろう、夕飯を食べ終え寝床に入ると、トワはすぐに穏やかな寝息を立て始めた。



『……ねぇ、ペール、起きてる? 私、トワのことで貴方に相談があるの』


『起きてるとも。はは、考えていることは同じかもしれない。私もちょうどメールに相談しようと思っていたんだ』


『あら、奇遇ね』


『じゃあ、せーので言おうか』


『『せーの』』




『あの部屋をトワに上げたらどうかしら?』

『空き部屋をトワに上げないか?』




『ふふ、やっぱり考えてたことは一緒ね』


『あぁ、君もそう言うだろうと思ったよ』



 小声でくすくすと笑い合う。


 トワは遠い遠い場所に故郷があって、こちらに家……帰る場所がないという。


 うちにはちょうど、昔娘が使っていた空き部屋がある。これはもう運命と言っても過言ではないだろう。


 ペールと一緒に、トワにどうやって伝えようか話し合う。事前に言ったらきっと、トワはまた遠慮してしまうだろう。


 街について、街を案内して、最後に家に連れて来ようか?

 板にトワ達の名前を書いて、扉に打ち付けてしまおうか?


 故郷に帰れるその日まで、うちで暮らそうと言ったらトワはどんな顔をするかしら?


 迷惑じゃないかしら?

 喜んでくれるかしら?


『トワは言葉が通じない。どんな些細な表情でも見逃さないようにしないとな』


『そうね、逆に迷惑にならないように気をつけなきゃね』




『そうだな、トワが喜んでくれればいいんだが……』

『そうね、トワ、喜んでくれるといいわね……』




 ああでもないこうでもないと、ペールと何度も何度も話し合う。



 ……




 当日。


 トワを家に誘い『うちで暮らさないか?』と問いかければ、トワは驚いた顔をして、


『アリガトウ』

『ダメ』

『ペール、メール、迷惑カケル』

『ゴメンナサイ』


 と、片言で何度も繰り返す。

 短い付き合いだが、これは迷惑だから断っているのではなく、私達に迷惑をかけてしまうから断っているのだと何となく分かる。


 お金の使い方や、宿の場所や相場を聞いたり、街が近づくにつれ、段々と不安そうにしていたのは気付いていた。


『トワ、私達は貴方に救われたのよ。お礼をしたいの』


『そうだ、トワ。頼ってくれ』


『そうよ、一人で全部抱え込もうとしないで?私達を頼っていいのよ』


 私はトワをぎゅっと抱きしめ、必死に言葉を重ねる。ペールも何とかトワに思いを伝えようと、力強く頷く。




『アリガトウ……アリガトウ……!』




 私達の思いが通じたのか、トワは泣きながら抱きしめ返してくれた。すると袋に隠れていたもちも出てきて、トワの頭の上で優しく跳ねる。




 何だかその様子が可笑しくて、私達は抱き合いながらくすくすと笑ってしまった。




 ―― その日、私の家に一人と一匹の、家族が増えました。



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