第5話

 

 ……


「おい渡、お前の番だぞ!」


「無茶振りすぎるだろ!」


「トーワー! 早くやれよー!」


「本当無理だって!」


「はーやーくー!」


 ……


 ガヤガヤと騒がしい音が聞こえる。

 その音がひどく懐かしい。


 ……


「あら? 何してるの?」


「内緒ー!」


「トワったら何だか楽しそう」


「後で見せるから!」


「そう? ありがとう、トワは優しい子ね」


 ……


 優しい声だ。

 その声がひどく心地よい。


 ……


「トワ? 何してるの?」


「折角だからさ」


「やだ、やめてよ! 今スッピンなんだから!」


「いつも化粧してないじゃん」


「たまにしてるでしょ!」


「ほらほら、誕生日おめでとう、母さん」


 ……


 聞き慣れた声だ。

 その声がひどく恋しい。


 ……




 異世界生活、90日目。




 ……


 異世界に来て約3ヶ月、俺はまだ森を彷徨っていた。


 衣食住を確保したあとは、川沿いをひたすら下っていく日々が続いた。


 途中傾斜が厳しすぎて遠回りをしたり、天候が崩れ足止めを食らったり、靴擦れが酷く歩けない日が続いたり、体調崩して一週間近く寝込んだり、とにかく色々なことがあった。


 最初はよかった。


 恐怖や不安は確かにあったが、それ以上にやる気に満ち溢れ、見るもの全てが新鮮で、毎日毎日「あれも必要だ!」「これもやってみよう!」と挑戦の日々だった。


 柔らかい蔦を編んで服や靴を作ってみたり、調味料がなくても美味しく調理出来る方法がないか試行錯誤したり、木を削って食器みたいなものを作ってみたり、とにかく色々なことに挑戦した。




「…………くそっ! 何で俺がこんな目にあわなきゃいけないんだよ! 俺が何したって言うんだよ……!」




 異世界生活2週間を過ぎたあたりから、俺の精神はかなり危険な状態だった。


 毎日地面で寝て疲れも取れず、全身が痛い。特に足は靴擦れやマメで酷い状態だ。


 髪も髭も伸び放題で、手足は自分の物ではないかのように痩せ細り、正に骨と皮という状態だ。ダボダボになってしまった服は薄汚れて斑(まだら)に茶色くなり、血痕のようなものがそこかしこについている。


 そんな状態で痛みを堪えながら歩いても、歩いても、歩いても、歩いても、歩いても、歩いても、歩いても、歩いても、森を抜ける気配はない。


「少しずつでも街に近付いてるんだ」

「街につけば大丈夫」

「帰る方法もきっと見つかる」


 そう自分に言い聞かせながら、痛みをこらえ必死に歩いた。


 本当に?

 街につけば状況がよくなるのか?

 帰る方法が見つかるのか?

 言葉が通じなかったらどうする?

 余所者を街に入れてくれなかったらどうする?


 嫌な考えが頭の中をグルグルと回る。


「……大丈夫、大丈夫、大丈夫」


 虚ろな目でぶつぶつと自分に言い聞かせながら、また一歩足を進める。


「死んだら……元の世界に戻れるかな……」


 何度も何度も「死んだら元の世界に帰れるのではないか」「自分は長い夢を見ているのではないか」と考えてしまう。


「違う……!駄目だ、駄目だ、駄目だ!」


 激しく頭を左右に振り、自分の考えを否定する。死んだら元の世界に帰れるなんて、そんな保証は何処にもない。


「今頃、元の世界ってどうなってんだろ……? 俺って行方不明扱いなのかな……? それとも死亡扱いなのかな……?」


 突然俺がいなくなり、やりかけの仕事はどうなってるんだろうと、今考えなくていいようなことばかり頭に浮かぶ。


 異世界に転移したばかりの頃は、物語で読んだ異世界の話ばかり考えていた。妄想していたと言った方がいいだろう。


 最近考えることは、ただただ元の世界の何気ない日常のことばかりだ。



 仕事仲間は恨んでいるだろうか?

 友人達は心配しているんだろうか?

 家族は泣いているんだろうか?



 スマートフォンの中に残る、異世界に来る前に撮っていた動画や写真を毎日毎日、飽きもせず眺める。


 妙に格好つけたポーズをしている同僚の写真、友人達と皆でふざけあう動画、祖母が窓際に座り微笑んでいるだけの動画、そして母の誕生日に撮った動画。


 家は貧乏だったので、家族旅行に行くこともなく、家族の写真や動画を撮る機会など殆どなかった。


 ただ母の誕生日の時、折角だからと本当にただ何となく動画を撮った。


 友人がいて、家族がいて、本当に何気ない日常。これからもずっと続いていくと思っていた日々。



「もうやだ……帰りたい……」



 涙声で呟く。ここ3ヶ月、何度も呟いた言葉だ。最初の頃は「もしかして自分は選ばれた勇者なんじゃないのか?」「森で倒れている美少女を救っちゃうんじゃないか?」なんて考えていた。


 そんなことは起こらなかった。何もなかった。異世界に来て、俺はただただ山を遭難していただけだった。


 1ヶ月を過ぎた頃から、そんな妄想も湧かなくなった。



「帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰らなきゃ……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰らないと……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰りたい……帰らなきゃ……」



 家の鍵を握りしめながら、ぶつぶつと呪文のように呟き、ふらふらと歩く。限界が来たら休み、お腹が空けば集めた食料を食べる。


 毎日毎日その繰り返しだ。



 ……



 いつもと同じように木陰に座り、スマートフォンの動画を見ながらぼんやりと桃もどきを齧っている時だった。

 がさがさと後ろから何か近付く音がする。音的にあまり大きな生物じゃなさそうだ。


「……ウリボーか?」


 この森を彷徨い始めてから、ウリボー、ビッグラビット、ブラックベアー以外の魔物は見た事がなかった。ぼんやりと「ウリボーならまた肉を補充するか」と思い、後ろを振り向く。



 俺の背後には大きくて少し薄汚れた、白い餅があった。



 いや、大きな白い餅が突然現れるはずがない。そう思いよくよく目を凝らし観察するが、なんと言うかバレーボールくらいの大きさの……餅? 大福? マシュマロ? とにかく白くて丸い物体があった。


「何だ……これ……?」


 そっと触れてみると、ほのかに温かく、もちもちしていて触り心地がいい。


「いきもの……? 魔物か……?」


 触ってみた感じ、白くて丸い物体は生き物のようだ。3ヶ月間山を彷徨い、見たことのない魔物だ。異世界に来たばかりの俺だったら即座に逃げていただろう。


 しかし、今は逃げる気力もない。正直、ただ惰性で生きているだけの気もする。決して死にたいわけではないし、元の世界に帰りたい気持ちもある。


 ただ、どうしようもない理由で死んでしまいたい気持ちも確実に自分の中に存在する。死ねる理由を探している気もする。



「……お前も死にかけか?」



 俺と同じようにボロボロの白い餅のような魔物を、指でつんつんと突いてみる。



「……きゅー……」



 弱々しい鳴き声を出しながら、白い魔物がこちらを向いた。その様子は例えるならそう、ひと昔前に流行ったしょぼーんクッションのようだった。


 白い魔物はお腹を空かせているのか、俺の桃もどきをきゅーきゅー鳴きながらじっと見てくる。どうやら桃もどきが欲しいようだ。


「食うか……?」


 そっと桃もどきを白い魔物に差し出す。白い魔物は一際高い声で「きゅー!」と鳴いてから、夢中で桃もどきを食べだす。


 すぐに1つ食べ終わってしまったので、5個くらい取り出して皮をむいて前に置いてやる。白い魔物は「きゅー!」とまた鳴いて、すごい勢いで食べ進める。


「よしよし……お前かわいいなー」


 撫でても嫌がらず、むしろふにふに身体を擦り付けてくる。どうやら懐いてくれたようだ。


「はは、すげー……もちもちだな、お前」


 俺は白い魔物のマシュマロボディを夢中になって撫で回す。



「よし、お前はもちもちだから "もち" だ! よしよし、可愛いなーお前!」



 俺は白い魔物を "もち" と命名し、逃げられない程度に加減しながら撫で回す。




 異世界生活90日目、謎の白い魔物、GETだぜ!



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