覚醒(【白と黒】より)

物語の重要なポイント。


くれない史郎しろうの頭の中には別人格がいる。


・別人格の名前はクロくろ


史郎しろうクロくろは頭の中で会話できる。


以上


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 放課後、僕はいつもの帰り道とは違う道を歩いていた。今日の夕飯の買出しに、近所のスーパーへ寄るためだ。


 両親のいない僕は一人暮らし、いやクロくろちゃんを含めると二人なのかな。まあ、とにかく自炊している。


「(今日の晩飯は何にするんだ?)」


 クロくろちゃんに質問され、僕は考える。昨日は豚カツ、一昨日はカレーライス。そして今日はどうするか。


「(うーん焼き魚かな)」


 悩みに悩んだ結果、魚料理にすることにした。流石に三日連続で肉と言うのは、お財布的にも、栄養バランス的にも良くない。


「(えー魚かよ、肉にしようぜ、肉)」


 だが、クロくろちゃんは不満らしい。献立にケチをつけてきた。


「(にーく、にーく、にーく!)」


 クロくろちゃんは頭の中で音頭をとる。ミンミンゼミならぬ、ニクニクゼミが僕の頭の中に生まれた。


「(いいか、史郎しろう。肉にはな、筋肉を作るタンパク質が豊富に含まれているんだ。お前は成長期だろ、今のうちに肉食っとかねーと、将来ガリガリのじいさんになっちまうぞ)」


 ニクニクゼミがテレビの健康番組で放送されていそうな単語を並べ、もっともらしいことを述べる。


 確かに、タンパク質は三大栄養素の一つ、必要不可欠なものだ。クロくろちゃんの言っていることは正しい。


 でも僕は騙されない。


 クロくろちゃんはただお肉が食べたいだけなのだ。自分の欲望のために、それっぽいことを言っているだけなのだ。僕の健康のことなんて、これっぽっちも考えていない。


 だからちょっと罠に嵌めてみる。


「(そっか、そっかクロくろちゃんは僕の身体のことを考えて、肉を食べるように言ってくれてるんだね)」


「(おう! なんたって史郎しろうは大事な相棒だからな! 史郎しろうには長生きしてもらいたいしな!)」


「(タンパク質は大事だもんね)」


「(ああ! 大事だ!)」


「(じゃあ、今日は鯖にしよう。鯖はタンパク質が豊富だからね)」


「(な!?)」


 クロくろちゃんが絶句する。


 しめしめ、まんまと罠に嵌ってくれた。こんなふうに自分の考えた作戦が上手くなんて、僕は笑ってしまう。


 でもクロくろちゃんは往生際が悪かった。頭の中で肉、肉、と連呼しだす。再びニクニクゼミの大合唱。


「(ああ、うるさい! そんなに肉が食べたいなら、他の家の子になりなさい!)」


「(オカンかよ)」


「(あ。逢原あいはらさんだ)」


「(無視すんな!)」


 スルーして、車道の向こう側を見る。


 ビュンビュン車が走る六つの車線を挟んだ、反対側の歩道。


 そこには逢原あいはらさんの姿があった。


「(よく見えるな、あんなに離れているのに)」


 彼女と僕達の距離は三十五メートルくらい離れていた。それでも僕はあの女子は逢原あいはらさんだと認識できた。


 好きな子を見間違えるはずがない。


 あの髪の色、あの身長、あのたたずまい。走り去る自動車達の間から見えた、少女の特徴は、間違いなく逢原あいはらさんのものだ。百パーセント、絶対の自信がある。


 逢原あいはらさんの他にも男性一人と、小さな子供がいた。


「(なんか、穏やかじゃねえな)」


 クロくろちゃんの言うとおり、和気藹々とお喋りしているようには見えない。


 どちらかというと揉めているように感じられる。


 さすがに話し声までは聞こえないので、確かではないけど。


 しばらくすると、彼らはどういうわけか、人気の無い裏路地に入っていった。


 その時、男は周りをキョロキョロと見ていた。なにやら人目を気にしているようだった。


「(史郎しろう、行ってみようぜ)」


「(う、うん)」


 僕は走りながら歩道橋を渡り、車道のあちら側へ向かった。


 向こう側に渡った僕は、三人が入っていた裏路地にはすぐに侵入せず、少し様子を見ることにした。


 僕はそっと裏路地を覗いてみる。




「だーから! 俺達はそこのボウズにクリーニング代を払ってくれねーと困るんだよなー!」


「……その程度の汚れなら、洗濯機で洗えば落ちる。汚したことはこの子に非があるが、弁償するほどではない」


「うるせえな、てめえには関係ねえだろうが!」





 ガクガク震える小さな子供。


 逢原あいはらさん。


 そして強気な男が一人。彼の上着には、チョコアイスらしき物が付着していた。


 今聞こえた会話と状況から察するに、子供のアイスが男の服についてしまい、怒った男達は大人気もなく子供相手に絡んで……。


「(そこにあの女が助け舟を出したってとこか。なんつー分かりやすい展開だな)」


 確かにとても分かりやすい展開だ。分かりやすいと通り越して、なんというベタなシーンだろう。


 今時、フィクションでもこんな化石な状況起きないかもしれない。


 って、そんなこと考えている場合じゃない。


「(助けなきゃ!)」


「(え、お、おい史郎しろう!)」


 僕は脇目も振らず、路地裏に飛び込んだ。


「(ったく、逢原あいはらのこととなるとすぐこれだ)」


 クロくろちゃんは呆れるけど、惚れた女の子に危機が迫ったら助けるのが男の務めだと僕は思っている。何とかして逢原あいはらさん達を助けなければ。


「あ、あのーすみません」


 僕は低い物腰で男性に話しかける。


 ヒーローのように颯爽と登場し、かっこよく対峙したいところだけど、これは漫画じゃない現実だ。


 それに見たところ、アイスをぶつけたこの子に非がある。男の人はちょっと頭に血が昇っていて、周りが見えていないだけだ。


 ここは穏便に解決しないと。


「あぁ、なんだてめえ」


 男の鋭い視線が僕に向けられる。ちょっと怖い。


 けど、好きな女の子の前でビビッている姿を晒すわけにはいかない。


 僕は勇気を振り絞し、怒りんぼに向かっていった。


「さっきから聞いていたんですけど、この子を許してあげてくれませんか? この子も反省しているみたいですし」


「ご、ごめんなさい……」


 子供が小さな頭をペコリと下げて謝罪をする。


 確かにアイスをつけたこの子が悪いけど、クリーニング代まで請求するなんて大人のすることじゃない。


 逢原あいはらさんの言うとおり、市販の洗剤を使って洗えば落ちるレベルの汚れだ。


 子供相手に怒鳴っている暇があるなら、さっさと家に帰って洗えばいいのに。


 時間が経てば経つほど、汚れ、落ちにくくなりますよ。


「ふざけんなよ! 謝ってすんだら警察はいらないんだよ!」


「うわっ、古!」


 男の古い言い回しに、僕は思わず本音を言ってしまった。


 それが向こうの逆鱗に触れたようだ。


「てめえ!」


 僕は腹部を思いっきり蹴られた。たまらず僕はお腹を押さえ、その場に膝を着く。


 だがそれで終わりではなかった。


 男がまた僕を蹴る。うずくまった僕に対して、今度はわき腹を蹴った。


 僕はたまらず蹴られた脇腹を手で抑える。


「(痛ぇな……頭に来た。おい、史郎しろう! こんなやつ蹴り返しちまえ!)」


 痛覚を共有しているクロくろちゃんの怒りのボルテージが上がっていく。


「(そ、そんなこと言ったって……)」


 最初の蹴りで、僕はすでにグロッキー状態になっていた。


 身体が思うように動かない。


 膝が震え、頭はくらくらする。蹴り返すどころか立つことさえままならない。


「……暴力は良くない」


 逢原あいはらさんが僕と男の間に割ってはいる。


 ああ、優しいな逢原あいはらさん。でも危ないから、下がってて。


 そう言いたかったけど、お腹が苦しくて声が出そうにない。


「うるせえんだよ!」


 抑止しようとした逢原あいはらさんを、男が押す。彼女はよろめき、地面に倒れる。


 それを見た僕は怒った。


 よくも逢原あいはらさんに危害を加えたな。


 かつてないほど激怒した。


 この男を殴ってやりたいと思うほどに。


 でも、身体が動かなった。脳がどれだけ身体に動けと命令しても、指一本動かすことができない。


 僕は自分が情けないと思った。


 好きな女の子も守れない、自分の弱さを祟った。


 何もできない自分の小ささに、絶望した。


 こんなことならクロくろちゃんに言われたように、お肉食べて筋肉つけておけばよかったと後悔する。


 もうダメだ、そう思った。


 何度目か分からない、男の蹴りでメガネが吹き飛び、地面に転がった。


 限界寸前だったのか、その時僕はこれ以上ないくらいの吐き気を感じた。身体中の内臓が反転するような、意識が身体から離れてしまうような、そんな嘔吐感。


 まるで身体が自分のじゃないみたい、そう錯覚するくらいに。


 だがそれは錯覚ではなかった。


 心はほとんど諦めていたので、僕は身体に動く命令を出していない。


 なのに、身体が無断で動いた。


 男の蹴りを、勝手に動いた左手が受け止めていた。


 そして腕だけでなく、口が、声帯が、ひとりでに動いた。


「さっきから、何度も蹴りやがって。調子に乗るなよ、くそったれが……!」


 僕はその声に聞き覚えがあった。


 何度も頭の中で響いた声。


 時にはうるさくて鬱陶しく思っていた声。


 十年以上前から聞き続けていた声。


「(く、クロくろちゃん)」


 また僕の身体が勝手に動く。


 男を背負い投げの要領で投げ飛ばした。


 男は地面に叩きつけられ、砂埃が舞う。


「(どうやら、漫画みてーなことが起きたようだぜ、史郎しろう)」


 クロくろちゃんが頭の中で話しかけてくる。


 どうしてかは分からない。


 今まで一度もこんなことは起きたことはなかったのに。


 今、僕の身体は僕のものではなく、クロくろちゃんのものになっていた。


 人格が入れ替わったのだ。それこそ、クロくろちゃんの言う、漫画みたいに。


「(何のはずみで入れ替わっちまったのかは分からねーが……)」


「てめえ、この野郎!」


 投げ飛ばした男が立ち上がり、こっちに突進してきた。


 だがその瞬間、クロくろちゃんの拳が男の顔にめり込んだ。


「あとは俺に任せな」


 スポーツ番組でプロボクサーがやるみたいに、拳が綺麗に相手の顔面にヒットする。


 男はその場に倒れこむ。


 見ると彼は鼻から血を垂れ流していた。無理もない、自分が突進してきたエネルギーがそのまま顔面に喰らったようなものだもの。


 こういうのをカウンター攻撃っていうんだっけ。


 よく見ると、男の歯が欠けていた。近くに、破片が落ちている。殴られた衝撃で割れてしまったらしい。


 ちょっと可哀想だけど、逢原あいはらさんに酷いことをした罰だと思えば、罪悪感も少ない。


 ざまーみろいい気味だ、とまでは言わないけど、少し胸がスッとした。


「さてと……」


 クロくろちゃんは倒れている男の首をがっちりと左手で掴み、相手を持ち上げる。


 男の足の先は地面から離れ、宙吊りにされた。


「ぐ、ぐるじい……」


 男苦しそうに悶える。クロくろちゃんの手を振りほどこうと必死にあがく。ジタバタと足を振り回す。


 だが、クロくろちゃんの握力が強いのか、脱出できずにいた。


 もがく男に、クロくろちゃんは語る。


「おい、お前。さっきこのガキにクリーニング代がどうとか言ってたな。なら、俺からも請求させてもらおうか」


 クロくろちゃんはまるで悪役みたいにニヤリと笑う。僕の顔って、そういう悪い顔できたんだ。僕は妙なところで関心する。


「さっき何度もお前が蹴ってくれたおかげで、俺の顔は傷だらけ、制服も泥まみれ。ついでにメガネにも傷がついたかもしれねえ」


「あが、が……」


 酸素が足りていないのか、男の顔が徐々に青くなる。


 だが、そんなのお構いなしにクロくろちゃんは話を続ける。


「本来なら、お前に治療費と、服とメガネの弁償代を払ってもらうところだが……。お前の服のクリーニング代を無しにしてくれるなら、こっちの金もゼロにしてやる。どうだ、悪い話じゃねえだろ?」


 クロくろちゃんは腕に更に力を込める。その力に応じ、男の首が圧迫される。男の顔色が更に青くなる。ちょっと可哀想。


「いいでず……それでいいでず」


 男が必死になって搾り出した答えがそれだった。


 それを聞いたクロくろちゃんは鼻で笑う。


「交渉成立だ」


 腕に力を入れるのをクロくろちゃんはやめ、男は地面に落ちる。


 しばらくゲホゲホと肺に空気を取り込んだ後、男は情けない悲鳴を上げながら、何処かへ逃げていった。


「け、威勢がいいのは口だけかよ。ちょっと反撃されただけで逃げやがった。(もう二、三十発くらい殴ればよかった)」


「(それはやりすぎだよ……でもありがとうクロくろちゃん)」


 助けてくれたことを僕は感謝する。


 クロくろちゃんとの入れ替わりがなければ、おそらく自分は病院送り、逢原さんもあの子もただではすまなかっただろう。


 僕はともかく、彼女達が傷つけられるのは見たくなかった。


 逢原あいはらさんが僕……いや今はクロくろちゃんか。ややこしい。とにかく僕達に近づいていた。


「……これ」


 彼女の手には、僕のメガネがあった。


 良かった、どこにも傷はついていないみたいだ。


 メガネのことじゃない、逢原あいはらさんのことだ。彼女の身体は怪我もなく、綺麗なままだ。


「ああ、サンキューな」


 メガネを受け取り、クロくろちゃんはそれをかける。


『(うっ!)』


 メガネをかけた途端、また強い嘔吐感を覚えた。


 さっきと同じ、内臓が反転し、身体が宙に浮くような感覚。とても気持ち悪い。


 僕だけでなく、クロくろちゃんもこの嘔吐感を感じているみたいだった。


 頑張って耐えてクロくろちゃん、逢原あいはらさんの前でゲロをするなんて洒落にならない。


 吐き気が治まると、身体が僕の意思通りに動くようになっていた。僕は指をグー、パー、グー、パーと開いたり閉じたりしてみる。


 さっきまでクロくろちゃんが身体の主導権を握っていたけど、元に戻ったらしい。


 どうやらメガネ着用の有無が入れ替わりのスイッチになっているようだ。


「……平気?」


 気持ち悪そうにしている僕に、逢原あいはらさんは言う。


「ああ、うん平気。そういう逢原あいはらさんは大丈夫?」


 正直言うと身体の節々が痛いけど、そんなことより僕は彼女の方が心配だった。


 もし彼女の身体に異変が怒ったら、町をひっくり返してでもさっきの男を探して、呪ってやる。


「……問題ない」


 良かった。僕は安堵する。


 逢原あいはらさんの後ろにはあの子供が隠れていた。


 僕は膝を曲げて彼の目線に合わし、まだ怖くてガクガク震えている子供に優しく声をかける。


「ボク、大丈夫、安心して。怖い人は帰っちゃったから。もうすぐ暗くなるし、君もお家に帰りなさい」


 僕は彼の小さな頭を撫でる。すると、安心したのか、彼の身体の震えは徐々に静まっていった。


「う、うん……ありがとう、おにいちゃん、おねえちゃん」


 バイバイと手を振りながら大通りに走っていく子供を、僕と逢原あいはらさんも手を振りながら見送った。


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