エピソード3
コードネーム:YOS 前編
男は歩いていた。
黒のダウンジャケット、手をポケットに突っ込み、首元には幅の広いマフラー、顔はほとんど見えない。
そのまま、凍りつくような夜の空間をずんずんと突き進む。目的はその視線の先にある一人の少年だ。
男が軽く手を挙げると、少年はゆっくり頷いた。
少年の表情はよく見えない、辺りがもう既に日が落ちきってしまっていて真っ暗なせいもあるが、いちばんの原因は少年の後ろ。うるさいくらいに眩しく光るコンビニエンスストア、セブンファイブの明かりのせいだろう。
男は少年を確認できる位置まで近づいてから、ぼそっと呟いた。
「ヨウスケ」
少年は笑みを浮かべた。
正確には笑みではない、口元の端を上げた、と言ったほうが正しい。
FBI捜査官ならきっと見抜いていただろう、少年の表情はいわゆる人工的な笑顔といわれるもので、自然にこぼれる笑顔とは似て非なるものであったことに。
「……」
二人の間にしばしの沈黙が走った。
セブンファイブの店内はもうすぐやってくるクリスマスキャンペーン一色で、クリスマスツリーや赤い靴下、「クリスマスケーキ予約受付中」などのポスターで賑わっていた。そんな暖かな空気の中、店内ラジオの声が響く。
——7時のニュースです。カメリア合衆国のトランク大統領は、本日行われた朝韓民国との外務大臣レベルでの交渉は決裂し、戦争は回避できないとの考えを示しました。トランク大統領は朝韓民国が秘密裏に大量破壊兵器を開発している疑惑を払拭できないことをその理由の一番に挙げています。
対する朝韓民国側は、大量破壊兵器の疑惑は事実無根であるとカメリア側の主張に異議を唱えています。二国間の開戦となれば、日本、中国さらにはロシアを交えたアジア戦争と発展する恐れもあり……
セブンファイブの自動ドアが、ギー、と開き、二人の男連れが出てきた。
「うー、さぶっ。ついに戦争だってよ、やっちゃえやっちゃえ」
頭に白いタオルを巻いた男は出入り口近くの喫煙所まで来ると、持っていたタバコに火をつけた。紺のジャンバーには白いペンキのような汚れが所々についている。よれよれのズボンと合わせるといわゆる典型的な「作業着」の様相を呈していた。
斜め上45度を見上げながら、ぷはー、とタバコの息を吐くその男の横に、もう一人の男が並んだ。
その男は、タオル男より頭一つ飛び出ていた。ひょろっとしたシルエットに青のツナギ、買ったばかりの缶コーヒーを両手で包み、暖をとっていた。そのコーヒーの表面には「お仕事お疲れ様〜」と書いてあった。
タオル男は右手でタバコをつまみながら、足をバタバタさせたり、軽くジャンプをしたりして寒さを誤魔化していた。そしてまた一つ白い息を吐きながら独り言のように呟く。
「朝韓なんてちっちゃい国なんだからさ、さっさとつぶしちゃえばいいんだよ。核兵器でもぶっぱなされたらたまったもんじゃねえ」
一方ツナギ男は、この氷点下との言える状況にもかかわらず、微動だにせず直立不動。わずかに動いた口からはこんな言葉がこぼれ出た。
「そうも限らないぜ。何しろ大量破壊兵器を実際に見つけたという情報はデマだという説もある」
タオル男は震えながら、一つ唾を思いっきり地面に吐いた。
「そんなこと、ちまちま言ってるから後々大変なことになるんだろ。それに『しー・あい・えー』は掴んでるんだろ? 確固たる証拠をよ」
ツナギ男はプシュッと缶コーヒーを開け、一つ口をつけた。そしてその暖かさを確認してから肩の力を抜く。
「証拠なんていらない。カメリアは自国のためにはなんでもやる国だからな。今回、トランク大統領が当選したのもむしろ朝韓と戦争するためだといっても過言ではない。何が何でもやるさ、たとえ証拠なんてなくても。事実なんて後からどうにでもなる」
タオル男はつまんでいたタバコを吸い柄入れにとんとん、と先の灰を落としてからもう一度
「ネオ・リベラル派か」
ツナギ男は沈黙を放った。
ネオ・リベラル派とは現在のカメリア合衆国大統領、トランクを支持する派閥で、自国の利益を最優先と考える集団だ。そしてのその自国の利益を最優先とするやり方があまりにも過激なため、世界各国が大きな不安に包まれている。
ツナギ男はこう続けた。
「今、カメリアは不況のどん底だ、失業率はついに15%を超えた。政府内の不安をそらすためにも、また経済活性化の起爆剤にするためにもネオ・リベラル派が開戦を扇動してるんだよ。それに対する不利な情報は全て裏で潰されてるって話だ。昨日の『TV・ハッスル』で言ってた」
「たとえ、大量破壊兵器を持っているという情報がガセネタだったとしても、か?」
ツナギ男はまるで電池が切れたかのように、何も答えなかった。
突如吹きかかった氷の刃に、タオル男はさらに身を屈める。
ツナギ男は岩のようにただただ立ち尽くしていた。
タオル男は右手で左腕をこすり、左手で右腕をこする。そうやって少しでも寒さを和らげようと必死になりながら言った。
「でもよ、朝韓は戦争なんかしたくねえんだろ? どうせカメリア相手なんて勝てっこない。だったら、工作員か何かがうまいことやって、戦争回避しようとするんじゃねえのか?」
「まあそうかもしれない。ただ難しいだろう、各国の電話、メールなどの連絡手段、外国への渡航、その他ほとんどの肝となるポイントをCIAは押さえているからな。俺たちのメール一つ一つですらだ。もしそんな中、戦争を食い止めるために奔走している朝韓の工作員でもいるのなら、むしろ応援してやりたいくらいだ」
タオル男が投げ捨てた吸い柄は吸い殻入れの上を、ぽん、と跳ねてその奥に吸い込まれた。
「ま、俺らには関係ねえ話だけどな。ぱっと戦争でも起きてくれたほうが日本も少しは景気は良くなるんじゃねーの?」
そう言いながら、そそくさと目の前に停めてあった白いワゴンに乗り込むと、ツナギ男も助手席に乗り込んだ。エンジンのウイーンという音が鳴り響くと、そのままワゴンは夜の闇へと消えて行った。
その背後に残されたのは、少年とダウンジャケットの男。
二人の影だけが黒く、冷たい夜に浮かび上がっていた。
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