プロローグ 3
プロローグ 3
「コーヒー、せっかく買ってきたのに飲まないの?」
私の妄想はその妻の言葉によって一気に現実に引き戻された。
気づけばまぶたが潤んでいた。
いや、ありがとう、飲むよ。そう返しながら、急いで私は手に持っていたアメリカンを口に運んだ。
まろやかな香りと、体の奥に染みわたる暖かさ。何とも言えない至福のかけらが私を包んだ。
助手席では相変わらず妻が両手でペットボトルのお茶をつかみ、手を温めていた。「お〜い、おっ茶ん」と書いてあるラベルは今は手で隠れて見えない。
さりげなく妻の横顔を見てみる。
マスクこそしているが、その上にのぞく瞳は切れ長で、きらりとしたまつげが整っている。肩まで届くセミロングの髪のてっぺんは赤、青、白の縦ラインで構成されたニット帽で隠される。
――奥さん美人ですよね。
このセリフを何度言われたことか。妻は美人で少しは有名なのである。本当に自分の妻で良かったと、何度も実感している。
そんな温かな目で見つめる私に、妻はぐさっと言葉を浴びせる。
「そういえばさ、最近小説書いてるの?」
え? とはぐらかしたい気持ちになりつつも、どうしたらよいのか、足元がおぼつかない気分になった。
「まあ書いているといえば書いているし、読んでいると言えば読んでる。書いたり、読んだり。そうそう、カクヨムっているサイトがあってね、これがなかなか面白いんだよ」
何を言いたいのかよくわからなくなってしまった。
妻の勘は鋭い。
ひょっとして私の頭は全部筒抜けなんじゃないかと思うことがある。
私の小説妄想も実はすべてお見通しなのかもしれない。
浮気は絶対にしない方がいいな、殺されるのがオチだ。そんな事を考えていると妻はこう続けた。
「あなたの小説――嫌いじゃないんだけど。なんかこう……」
嫌いじゃないけどなんかこう、次に来る言葉はきっと衝撃が大きめの可能性がある。私は防御の姿勢をとった。
「暗いっていうか、さみしい感じが多いよね。大体さ、離婚とか死別とか」
え? そうかな。そんなことないよ。とっさに返事をしたが、それにどれだけの意味があっただろうか。少し時間があれば自分にもわかる。
図星だってことに。
妻は寒さを忘れ、両手を大きく広げ、表情はまるで役者のようにきりっとした目に変わった。
「例えばさ、こう世界を股にかける大冒険とか、ダイナミックスペクタクルアドベンシャー、クロニクルみたいな? そっちの方が一般受けすると思うんだよね」
ダイナミックは動きのある、力強い。スペクタクルは規模が大きく派手。
アドベンチャーは冒険。クロニクルは一体なんだ?
妻は腕を組み、眉にしわを寄せ、うんうん、と何かを考えている。
一生懸命思いを巡らせてくれているようだ。
しかし、そんな事言われてもな……。
私は改めて、もう一度その少年を見つめてみた。
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