その3 ガードレール

1番肝を冷やした経験だ。

これを超える経験はまだないし、

これを超える経験を、できればしたくない。


卒業旅行で湯畑に行った。湯畑の一角からは少し離れた場所に宿を取っていて、温泉プールの隣接した大きなホテルだった。旅行のメンバーの中には女の子もいて、プールがあれば、彼女らの水着姿を見れるのではという無粋から、そのホテルにした。


日中はプールに入り、バイキング形式の夕食を済ませ、夜中に男たちだけでトランプをした。(女の子たちはプールに入らなかったし、バイキングはおいしくもなかった。)


トランプで大貧民をやった。最初は盛り上がったものの、すぐに飽きた。皆、この卒業旅行にスリルとドラマ、そしてアバンチュールが足りないと思っていた。何か、最後の『はしゃぎ』というか、自分たちだけの思い出となるような体験を作りたいと思って悶々としていた。


そこで友人の1人が、湯畑まで走って競争しないか?と提案した。


『ホテルから湯畑まで歩いて30分程度、走れば10分くらいだろう、走れるだろう、夜道を爆速しようぜ!』とやる気満々の友人を尻目に、他のものたちはあまり乗る気ではなかった。


なんとなくその提案した友人が可愛そうだと思った、それにこのまま寝るのはなんとなくもったいないと思った僕は、その提案に乗った。

2人ですぐさま部屋を飛び出し、ホテルの外に広がる墨色の夜道に繰り出した。


夜の山道は、真っ暗で曲がり角ごとに小さな街灯があるだけだった。街灯はシャワーヘッドのような形で、柱の部分が、周りの樹木の幹に比べるとなんとも細く、貧相に思った。


2人でその街灯を目指して走っていた。友人は陸上部で足が速く、僕の5メートル先くらいを走っていた。僕はもう息が上がっていた。


1つ目のシャワーヘッドを曲がる直後に、2つ目の街灯が目に入った。


やけに明るく見える。シャワーヘッドの足元には白いガードレールがあった。

よく見るとガードレールと地面の間の隙間が光っていて、そのせいで曲がり角一帯が明るく見えていたのである。


事故を避けるための反射板でも貼ってあるのかな?と思った。

しかしそうではなかった。

そうではないことは、すぐに分かった。


ガードレールの下から、たくさん光る顔がこちらを覗いていた。ちょうど鼻から上の顔が頬をくっ付けるようにびっしりと並んでいた。男もいれば女もいた。目は無表情で、1人も例外なく、こちらをじっとみている。


はぁ!!と声を上げたとき、少し前方を走っていた友人が、急に方向を変え、元来た道へと踵を返した。


自分も倣って、ホテルの方向へと、声を上げながら走る。友人は走っている間、お前にも見えた?!と声を上げた。


自分だけじゃないんだ。そう思って、肯定の声を上げたかったが、息切れと混乱でなにも返事ができなかった。


ホテルに着き、友人たちにガードレールの話をした。一生懸命2人で話したが、皆信じてくれない。


嘘こけ、嘘じゃない、じゃあ明日見に行こう、いややめとこう、嘘なんか?、嘘じゃない、じゃあ行こうということで、翌日友人たち全員で、そのガードレールを見に行った。


チェックアウトのあと山道を歩いた。

昨日とは変わって、辺り一帯明るく、空気の澄んだ、気持ちの良い山道だった。時たま湯畑を目指す大型観光バスが通っていった。


昨晩の曲がり角に顔たちはいなかった。シャワーヘッドと寂しく突っ立っている。シャワーヘッドに寄りかかりながら『嘘やんけ』と茶化す友人たちの中、自分と走った友人だけは言葉を失って、顔を見合わた。そこにはガードレール自体、なかった。

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