5話:寿司(ケルベロス)

「お兄ちゃん! またお寿司たべたいなぁ~」


 リビングのソファーに寝転がって妹が言った。

 ゴロンと寝返りをうって、俺の方を見た。

 ソファーがギシリと軋む音を上げた。

 戦車の足回りに使用されているスプリングの軋み音だった。


「オマエ、最近大きくなったんじゃないか?」


 ソファーの上げる軋み音が変わってきている気がする。

 チラノサウルスの妹は全長12メートル、体重7トンのはずだ。

 この前の学校の健康診断の数字だ。


「えー! 酷い! 私は代謝効率がいいから太らないのに!」


「太ったとは言ってないだろ。大きくなったと言ったんだ。小学生なんだから普通だろ?」


 ただ、チラノサウルスの場合、死ぬまで成長期なので、小学生とかはあまり関係ない。


「ふーん、もう、お兄ちゃん、言い方気を付けてよね! だから、彼女できないのよ」


「バカ! 俺は彼女なんかいらねーんだよ」


「なに格好つけて…… イケメンのくせに……」


「え、なにか言ったか?」


「ううん、何にも! とにかく、私はお寿司が食べたいの!」

 

 チラノサウルスの妹は前足のかぎ爪で、牙を磨きだした。

 あの小さな前足は、巨大な牙に挟まった食いカスなど取るのに便利だった。


「あの、寿司美味しかったなぁ。ねえ、お寿司! お寿司食べたい」


 妹は上下にブンブンと尻尾を振りだした。

 高張力鋼の床に何度も尻尾が直撃する。

 250キロ爆弾の直撃に耐える装甲板が歪んできた。


「おま! 家が傷むだろ! 静かにしなさい!」


「だから、お寿司! お寿司がいいの!」


「ったくもう…… 分かった。でも今日は無理だぞ。もう、晩ごはんの用意してあるし」


「うーん、じゃあ、明日ぁ!」


 巨大な上半身をむっくりと起こし、小さな前足を上げて妹は言った。


「分かった。また寿司職人さんを呼ぶよ……」


「やったー!!」


 妹は巨大な口を開けて笑った。そこから見える見える牙は、肉食に特化した鋭い刃だった。

 現存生物―― どのような存在でも寸断する鋭さとパワーを持った存在だ。


「じゃあ、今日は、生きたダチョウだからな――」


 今日の夕食は生きたダチョウ。最近は食用として肉も出荷されている。

 体重100キロを超えるダチョウを6羽。

 檻から、リビングに放つ――


 逃げ回るダチョウを次々とアギトに捕える妹。

 前足の鋭い鈎爪が唸り、ダチョウの細い首が切断される。

 リビングが鮮血に染まっていく。


 スマホを構えた俺は、妹の食事風景を撮影するのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 俺と妹は両親を失い。2人きりの兄妹だ。妹はチラノサウルスだ。

 兄として、幼い妹の親代わりとして、好きな物を食べさせてあげたかった。


「寿司か……」


 今、妹は学校に行って今はいない。俺は、PCで昨日の食事動画の編集を行っていた。


「アギャァァーーーー!!」 

 

 断末魔の叫び声を上げるダチョウ。次の瞬間、妹の前足の一撃で細い首が切断され吹っ飛んだ。

 ダチョウあたりでは勝負にならない。

 

 俺は、キャスターのついたベニヤ板を見た。

 妹にカレーを食べさせるために、俺が作ったものだ。

 妹は動く物しか食べ物と認識できない。チラノサウルスだから。

 生餌ならいいのだが、それ以外の食べもは、この板の上にのせて、ロープで引っ張ることにしている。


 要するに妹用の食事テーブルだ。


 以前、出張寿司職人を呼んで、自宅で妹に寿司を食べさせた。

 そのときに、寿司職人が食われた。

 今でも、それは俺にとって苦い思い出になっているのは事実だった。

 妹は動いている物しか食べ物と認識できない。そして、一度、食べ物と認識した状態になると、周囲で動く者は全部食べ物と認識する。

 それを避けるための食事テーブルだった。


「でも、これななぁ……」


 ただ、このテーブルを使用しての食事は、動画としてあまりPVを集めることができない。

 世界的な動画サイトに、妹の食事動画をアップして、そこに組み込んだ広告収入が我が家の家計を支えている。

 月に五ケタを超える収入があることはあるが、妹の食事代も大変なのだ。

 安易な食事は、家計を危機に叩きこむ可能性すらあったのだ。


 俺はブラウザを立ち上げ、「出張寿司職人」を検索する。


 ふと、脳裏にある男の顔が浮かんだ――

 未練だった。


 画面をスクロールさせていた俺の手が止まった。


「なんだこれ?」


 俺はモニターに表示されている文字を読む。

 なぜかモニターが歪んで見えてくる。

 キーボードにポツポツと滴が落ちてきた。


 涙だった。


 俺の目にはいつの間にか、涙があふれてきていた。


 俺はその店の名前をもう一度確認する。


『異世界寿司 -チラノサウルスに食われて異世界に転生して現世にカムバックした店主が握る-』


 その店のホームページには、爽やかな笑顔の彼がいた――


        ◇◇◇◇◇◇


「いやぁ、死んだと思ったら、神様がでてきたんっすよ!」


 変わらなかった。爽やかな笑みを浮かべ寿司職人さんは言った。

 妹はまだ学校から帰ってきていない。

 俺は、すぐに「異世界寿司」に電話して、話しをした。

 

 そして、事前に打ち合わせをしたいと言って、彼を自宅に呼んだのだ。

 俺は、ドキドキして彼の顔をまともに見ることができなかった。


「神様ですか……」


「そうっすよ! なんでも、爆笑できる面白い死に方をすると、転生できるらしいんっすよ」


「そうなんですか」


「ええ、それで、異世界? あれっすよ、中世のヨーロッパ風の世界ですね。ゲームとかでよくある。剣と魔法の世界っすよ―― 転生しちゃいましてね」


 彼は俺の出したお茶を口に運んだ。

 俺の中で、その湯呑は永久保存となることが決定した。


「大変だったですね。それは……」


「まあ、色々ね。そこは異世界っすからねぇ。ま、そこでもアッシは寿司職人としてしか生きられませんでした。不器用な男なんっすねぇ~」


 そう言って笑いながら、頭をかいた。

 なんと魅力的な笑みなのだろうか。体の芯が熱くなってきた。

 しかし、そうじゃない。


 俺が彼を呼んだのは、俺のためじゃない。妹のためだ。

 チラノサウルスの妹のためだ。


「で、妹さんに、美味しくて珍しい寿司を食べさせたいと……」


「そうです。どうしても、寿司が食べたいときかないもので」


「いやぁ、いいっすよッ! こっちも異世界帰りの寿司職人。妹さんに凄い寿司を作ってあげますぜ!」


「お願いします!」

 

 俺は頭を下げた。これ以上、彼の顔を直視できなかったからだ。


        ◇◇◇◇◇◇


「わーい! お寿司だ! どんなお寿司なの? 私、ジンベイザメすきーー!」


 チラノサウルスの妹は前足をパタパタと動かし、満面の恐竜の笑みだった。地上最強の捕食獣の笑み。


「はは、妹さん、中々、通だね。こりゃ、握る方も緊張するっすよッ」


 爽やかな笑顔で寿司職人さんは言った。

 

「あの~ 今日は店員さんはいないんですか?」


 リビングにはシャリが運び込まれていたが、ネタが見当たらない。

 それに、弟子らしき、店員は、帰ってしまった。


「あ、もうアッシ一人で大丈夫なんで――」


 そう言うと、寿司職人さんは、一歩前に出た。

 両手を水平に伸ばし、目をつぶる。


「アーガリ アガーリ トロ ウニ イクラ―― 冥府の王にして多重次元の支配者よ、我が魔力を贄とし、今ここに、望みし、巨獣を召喚せし事を願う者なり――」


 なんか唱え出した。

 足もとに、青く輝く魔法陣が展開されていく。青白い光がリビングの中に満ちていく。


「ああ! すっごい! なにこれ? 魔法みたい!」


 チラノサウルの妹が叫ぶ。ビリビリと周囲の高張力鋼の壁が震える。


「ヘイ! ケルベロス! 一丁ぉぉっす!」


「シギャァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 碧い魔力光に包まれて、地獄の番犬と称されるケルベロスが現れた。


「え、アッシも異世界で色々握りを研究しまして、向こうじゃ、モンスターを握ってたんすよ――」


 呪文を唱え終えた寿司職人さんが言った。

 召喚寿司職人さんだった。

 

「アギャァァァァ~ ヤヤアアアアアアア!!!」


 ケルベロスの三つ首が吼えた。

 それは地獄の底から響き、耳にするだけで人の根源的な恐怖を呼び覚ますものだった。


「あらよっと!」


 寿司職人さんは、米を手に取ると、あっという間に巨大な握りを作り上げた。

 米俵よりでかい。

 魔力で空間をコントロールしているようだった。


「サビはありっすか?」


「当たり前よ! 子どもじゃないんだから」


「さすがっすね、お嬢ちゃん」


 べっとりとワサビがのっかる。


 そして、寿司職人は、すばやくケルベロスを捕まえると、板の上に置いたシャリの上に置く。

 ケルベロスは腹の下にシャリをくっつけられ足をバタバタしだした。


「ほら、一丁! ケルベロスの握り」


「わーい美味しそう!!」


 妹は腹の下にシャリがついているケルベロスを見やった。


 ケルベロスの3つの頭も妹をみやる。


「グルグルリュゥゥゥウゥゥーー」


 低いうなり声で妹を警戒している。円を描くように、妹の攻撃制空圏外を、まわっていた。


 妹は頭を低くし、腹の底に響くような唸り声を上げていた。妹の本気の構えだった。


 俺はスマホの録画を開始した。


 妹の原始の咆哮が、リビングを支配し、時空を貫く。

 ケルベロスの幻想の叫びが現実を突き崩す。


 一瞬だった。

 ケルベロスも、妹の前には寿司ネタにしかすぎなかった。

 

 もちゃもちゃ――

 ぐちゃぐちゃ――

 はむはむはむ――


 妹の咀嚼音が響く。

 ケルベロスの肉片と血がリビングに散乱している。


「いい食べっぷりすね。次はなにを握りますかい? ドラゴンでいきやすか?」


 爽やかな、寿司職人さんの声。

 永遠にこの時が続けばいい――

 俺は思った。

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