6話:ラーメン(ゴーレム)
「お兄ちゃん、ラーメンって美味しい?」
俺の食べているラーメンを見ながら妹は言った。
妹の口からダラダラと粘液が垂れている。大量の涎だった。
「これは、俺のだぞ。オマエは代謝効率がいいから、いらないだろ?」
「えーでも、なんか美味しそう。いい匂いがするし」
チラノサウルスの妹はドーンとソファーから立ち上がり、リビングに着地。
7トンの巨体の衝撃に高張力鋼の床が軋んだ。
嗅覚に優れた捕食獣である妹は、食べ物の匂いに敏感だった。
そのため、俺は俺専用の防護用の檻に入ってラーメンを食べている。
自分の部屋で食べても、嗅覚の鋭いチラノサウルスの妹は、部屋までやってきてしまう。
それならば、見えるところで食べた方がよかった。
父と母が亡くなり、俺と妹はたった2人の肉親だった。少しでも一緒にいてあげたいという思いがあった。
「ズズズズズー」と俺がラーメンをすする音。厚めのチャーシューを口に入れた。
インスタントラーメンに、スーパーで買ったチャーシューだが、結構旨い。
「豚肉の臭い―― それに、鳥ね。それは鳥ガラね…… あ、海鮮系出汁の匂いもするわ」
俺の妹の嗅覚は抜群だった。さすが、捕食獣だった。
呟くようにチラノサウルスの妹は言うと、巨大な頭を低く構えた。
小さな前足をガードを固めるように畳み込む。
ブンブンと尻尾を左右に振りだした。
尻尾のリズムに合わせ、上半身も振り子のように揺れ出した。
妹の本気の構え。地球の歴史が始まってから、DNAの生み出した地上最大の捕食獣の戦闘のポーズだった。
全長12メートル。体重7トンの繰り出す突撃だ。
「シギャァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
白亜紀の巨大肉食獣の咆哮が21世紀の空間をビリビリと振動させた。
俺の家のリビングは防音も完ぺきなので、近所迷惑にはならない。
太い後ろ足が床を蹴った。
7トンの巨体を最大時速40キロで疾走させるパワーユニットが爆発的なエネルギーを生み出していた。
ガゴーン!!
リビングの中に設置してある俺専用の檻に頭から激突した。
チタンが配合された、特殊鋼で作られた俺専用の食事用の檻がビリビリと音を立てる。
「ガァァァァアアアアアアアアアア!!」
巨大なアギトを開け、檻に食らいつく、チラノサウルスの妹。咬合力は3トンを超えるが、さすがにこの檻の破壊は無理だった。
長さ15センチの妹の巨大な牙が、ガチガチとチタン鋼の檻に当たる。
結構深い傷ができているが、壊れるほどではない。
小さな前足が、檻の隙間から中に伸びてくる。
俺の顔の近くまで迫ってくる。
まるで、千枚通しの先のような爪をもった前足がブンブンと唸りを上げる。
俺はドンブリをもって、少し下がった。
くるっと7トンの巨体をターンさせる妹。しなった尻尾が檻に叩きつけられた。
鋼がひしゃげるような音が響く。しかし、檻はなんとか耐えきっている。
最近パワーップしている妹のことを考えると、そろそろこの檻も強化する必要があるかと考えた。
俺はドンブリの中に残ったスープを全部飲んだ。インスタントでも手間を掛ければ、結構上手いラーメンができる。
「ごちそうさまでした」
「あーー!! お兄ちゃん全部食べちゃったのぉぉ! ずるいぃぃ! 私もラーメン食べたい!」
小さな前足をバタバタと振り回し、原始の咆哮を上げるチラノサウルスの妹。
「だって、オマエの分作っても、動かないと食べられないだろ?」
「しょうがないじゃない! チラノサウルスなんだから! 動かないと食べ物じゃないの!」
妹は動かない物は食べ物と認識できない。そして、一度食べ物と認識してしまうと、周囲で動く者は全て食べ物と認識されてしまう。
まったく、お嫁に行ったらどうするのか…… いや、そんな心配は早いか。まだ妹は小学生だ。
しかし、妹もいつかお嫁に行ってしまうのか……
その考えを振り払うかのように俺は頭を振った。
「ねえ! 今日の晩御飯はラーメンだからね! ぜったいだからね! プンすか!」
小さな前足をブンブンさせながら言った。
仕方ないか……
◇◇◇◇◇◇
「インスタントでもいいだろ? 俺が作ってやるのに」
「いやーー! せっかく食べるんだから、お店のラーメンが良いの! お店! お店じゃないと嫌なの!」
というわけで、俺と妹は外食することになった。
まあ、船〇駅前まで行けば、妹の巨体でも入れるバリアフリーのラーメン屋はあるだろう。
自宅から駅までは歩いて10分くらいだ。
妹が本気だして走れば、1分で着く。
「あああ! お兄ちゃん、本! 本買って!」
妹が本屋の前で騒ぎ出した。
「ラーメン食べるんだろ? それに、本じゃなくて漫画だろうが……」
「漫画も本なの! お兄ちゃんのバーカ」
「分かったよ。でも、それは食べた後な」
「分かったーー! 約束」
「ああ、約束だ」
漫画は買ってもいいが、食事の前に買うと、読みながら食べるという行儀の悪いことをしかねない。
食事のマナーはしっかり守って欲しい。女の子なんだし。
親代りの俺としては、そういったとこまで考えてしまう。
〇橋駅前にはラーメン店がいっぱいある。全国展開するチェーン店もあるし、旨い店もある。
駅ビルの中には、ラーメン専門店街があるくらいだ。さすが千葉県の第二の人口を誇る60万人の中核都市だった。
しかし……
小一時間、駅前を歩いた俺たちはガックリと肩を落としていた。
「どこも小さい……」
妹の声に元気がなかった。どの店も小さく、全長12メートルで7トンの妹の巨体が入るのは難しそうだった。
俺と妹は夜の船〇の街をトボトボと歩いていた。
俺の考えが甘かった。
妹の入れる店が一つくらいあるかと思っていたのだ……
「あれ? どうしたんっすか? こんなところで」
聞き覚えのある爽やかな声がした。
寿司職人さんだった。
「あ、ああの…… どうしたんですか。そちらこそ」
「いや、ダチと飲み会やる予定だったんっすけどね。急に来れなくなったとかで…… 転移魔法使える奴が、事故っちまったようなんですよ」
「ダチって、あっち(異世界)の方のですか?」
「そうっすよ。今でも時々飲み会やってまして」
凄い男の人だった。また俺の心臓がバクバク言いだした。
「で、お兄さんたちは、どうしたんすっか?」
「私、お兄ちゃんとラーメン食べるの…… でも……」
チラノサウルスの妹が力なくつぶやいた。その声には原始の生命力溢れる力強さが無かった。
こんな妹の声は聴きたくなかった。
ギュッと拳を握った。
頼りない兄の姿を、寿司職人さんに見られたのも耐えられなかった。
俺は悲しくなってきた。
「ラーメンっすか……」
寿司職人さんは、拳を口に当て、思案気につぶやいた。
「ああ、アッシの知り合いの店はどうっすかね? 商店街の裏側ですけどね! あんま、客はこないですが、味は悪くないっすよ」
寿司職人さんに後光が差して見えた。
俺の呼吸が荒くなってきた。
◇◇◇◇◇◇
「ここっすけどね」
寿司職人さんと一緒にそのラーメン屋に来た。
夕食時だというのに、店に客はいなかった。
確かに、ちょっと場所が悪いと思う。
これでは、よっぽど味がよくないと客は来ないだろうと思った。
ただ、この立地で商売を続けられるということは、逆に味はいいのかもしれない。
「いらっしゃーい。今、ドアを外して入れるようにするから、待っててね」
ドライバーをもった初老の人のよさそうな男の人がドアを外し始めた。
引き戸なので、全部外せばなんとか、チラノサウルスの妹でも店内に入れそうだった。
しかし、なんて親切な人なんだろうか……
「お兄ちゃん、ラーメンだね」
「ああ、ラーメンだ」
俺は、胸が熱くなった。
なんだろう。泣けてきそうじゃないか……
バカ――
「じゃ、アッシはここで――」
「待って下さい、せっかくです。ラーメン奢らせてください」
俺は寿司職人さんに言った。ありったけの勇気を振り絞って言った。
寿司職人さんは、そんな俺をみて「ニッコリ」と笑った。
俺はその笑顔に耐えられず、下をむいてしまった。バカ――
「いいっすよ! じゃあ、奢られますか」
爽やかな声だった。声を聴いているだけで体の芯がキュッと締め付けられるような感じがした。
「はい! 取れたよぉ! これでお嬢ちゃんも入れるね」
店主の人が本当に人の良い笑みを見せていた。
「うん! ありがとう! ラーメン! ラーメン!」
妹は7トンの巨体で弾むように店内に入った。そして期待からだろうか、前足をパタパタと動かすのだった。
「じゃあ、決まったら言ってください」
そう言うと、店主の人は厨房の中に消えて行った。
「あ!! しまった!」
俺はガタンと椅子を倒して立ち上がった。
「どうしたんっすか? お兄さん」
「どうしたの、お兄ちゃん――」
「忘れた―― 妹の食事テーブルを持ってくるのを忘れた……」
それはキャスター付のベニヤ板に紐をつけたものだ。
動く物しか食べ物と認識できない、チラノサウルスの妹のため、俺が作った物だ。
「お兄ちゃん……」
シュンとした顔で、俺を見つめるチラノサウルスの妹。
「ごめんなさい。私がチラノサウルスだから…… 動いてないと食べ物と分からないから……」
「違う! オマエは悪くない! 俺だ! 俺が悪いんだ! 取ってくる! すぐとってくるから!」
俺は店を飛び出そうとした。
「ああ、動かないと、食べられないんっすよね―― 問題ないっすよ」
寿司職人さんの声がした。
「え……」
「アッシが手伝いますよ。マスター! アッシが手伝っていいっすか?」
「いいよー」
「んじゃ、妹さんが食べられるラーメン作りますか!」
そう言うと、寿司職人さんも厨房の奥に入って行った。
「お兄ちゃん。ラーメンだね」
「ああ、ラーメンだ」
なんか、俺はもうすでに、胸がいっぱいになっていた。
◇◇◇◇◇◇
「ギャヤァアアアアアアアアアアアア!」
それは一見、ラーメンどんぶりの集合体だった。
トンコツの良い匂いのするラーメンが入ったドンブリ。
それが無数に積み上げられ、人型となったゴーレムだった。
ラーメンどんぶりのゴーレムが店内を歩く。
それに襲い掛かるチラノサウルスの妹。
一瞬でゴーレムの腕が引きちぎられ、ズルズルとラーメンと一緒に食われていく。
「シギャァァァァ!!」
妹が歓喜の咆哮を上げた。ラーメンが美味しかったのだ――
それは、ただのラーメンじゃない。
店主さんの――
寿司職人さんの――
みんなの思いが詰まったラーメンのゴーレムなんだ。
「いやぁ、こっちの世界でゴーレム作るとは思わなかったっす…… ま、異世界で覚えといてよかった」
腕を組んで、ウンウンと頷きながら、妹がゴーレムラーメンを食べるのを見ていた。
俺はただ、スマホでそれを撮影するだけだった。
「アナタ! ちょっと! なにやってるんですか」
まるで、辺り一帯の空気を一気に清浄化するような声が響いた。
俺は振り向いた。
エルフだった。赤ちゃんを背負ったエルフだった。
エメラルドグリーンの長い髪が風の中を待っていた。それは幻想的な一枚の絵画の様であった。
「あれ? オマエ、どうしたんだ?」
「アナタこそ、今日は飲み会だといっていたじゃないですか?」
「いやぁ、ドタキャンで…… あ、この人、この前話したお客さん。いい人だよ。今日も妹さんのために、ラメーンを食べさせるって」
「ああ、それは本当に……」
エメラルドグリーンの長い髪。
尖った耳。
すらりとした細く芸術的な肢体。
まごうことなき、幻想世界のエルフだった。
俺にペコリとお辞儀した。
「寿司職人さん、彼女は……」
声にして焦った。
俺は自分のその声が震えているた。
それを、寿司職人さんに気づかれてしまったかと思った。
「ああ、アッシの嫁です。あっちで知り合って、ガキできちまってね、一緒にこっちに来ましてね」
頭をポリポリとかきながら照れくさそうに彼は言った。平然tと。
「ああ、お兄ちゃん! 美味しかった! ラーメン美味しかった!」
ゴーレムラーメンを完食した妹が言った。
「あれ? どうしたの、お兄ちゃん、どうしたの、泣いてるの?」
心配そうにチラノサウルスの妹が言った。大きな顔が俺の顔を覗き込む。生臭い捕食獣の息が顔にかかった。
「いや、ラーメンにコショウいれすぎた…… バカだなお兄ちゃんは……」
「なんだ! お兄ちゃんって馬鹿だわ。やっぱり、私がずっとついてあげないとダメかも」
「バカ」
俺は妹見つめて、ただそれだけを言った。この世でたった一人の妹を見つめ。
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