3話:カレー(ラジコン)
「ねえ! お兄ちゃん、なにみてるの?」
妹が言った。ソファーに寝転んでブンブンと尻尾だけをリズミカルに振っている。
巨大なプロペラが作り出す風切音のようだった。
その尻尾のスイング圏内に入った生物は即死間違いなしだった。
「いや、ニュースサイトみていただけ」
俺はスマホでたまたま、「小学生の好きな食べ物ランキング」というニュース記事を目にした。
今、それを読んでいたのだ。
「なあ、オマエは、好きな食べ物あるのか?」
「私は、お兄ちゃんが用意してくれたものなら、みんな大好きだよ」
にっこりと巨大な牙をみせて笑った妹。
チラノサウルなので、その顎の咬合力は3トンを超える。
地球上の現生生物では対抗不能だった。
一撃でワゴン車も噛み砕く。
そんな妹と俺は、たった2人の肉親だ。
父も母も死んでもういないのだ。
2人きりの家族だった。
「なあ、カレーライスを食べたいと思うか?」
そのニュース記事の1位がカレーライスだった。
「え! カレー! あ、男子とか、給食のときに大騒ぎになるやつね」
妹は学校では給食を食べていない。
チラノサウルスは代謝効率がいいので、1日1食でいいからだ。
そして、動いている物しか食べ物と認識できない。
さらに、食事中に周囲で動くと食われる。
だから、学校給食を食べたことは1年生の時に1回だけだ。
クラスメート1人「も」一緒に食べた。
食事中に動き回ってはいけない。
「ああ、そのカレーだ」
俺は妹を見ながら言った。妹は全長12メートルの巨体を乗り出して、俺を見つめてきた。
その巨大な瞳が期待の色で輝いていたのが分かった。
あまり、感情を顔に出すことの無い妹なのに……
一瞬、その巨大な瞳に陰が走ったのが俺には分かった。
「みんな、お母さんのカレーが美味しいとか言うわ……」
静かに小さな前足を動かしながら、妹は言った。
少しかぎ爪が伸びすぎている。女の子だから、身だしなみに気を付けてほしい。
「お母さんのカレーか……」
俺はその言葉を口の中で転がすように言った。
生まれたときに母を亡くした妹は、母親の作った料理を知らない。
妹と8つ離れている俺は、うっすらとした記憶の中に母親のカレーライスがあった。
「カレー作るか……」
「え! お兄ちゃん、カレー作れるの?」
「ああ、美味しいかどうかは、保障できないけどね」
そう言いながら、俺はスマホで「美味しいカレーの作り方」を検索していた。
そして、こっそりと「爬虫類に与えてはいけない餌」も検索した――
いや、ニワトリの方が近種だっただろうか?
◇◇◇◇◇◇
俺はラジコンショップに来ていた。
店員は爽やかな感じの大学生のアルバイトっぽい男だった。
「だいたい、100キロくらいの物をのせても動くラジコンってありますか?」
「100キロですか? 結構ありますね。 なんに使うんですか?」
「ああ、妹の食事に―― 動かそうと思って」
爽やかな店員に真正面から見つめられ、俺は下を向いて小さな声で答えた。
「ま、ちょっとよく分からないですけど、5CCクラスのエンジンにニトロいれれば余裕じゃないですかね。モータなら、一番大きい奴で1馬力いきますね」
「はあぁ……」
あまり近くによって、話しかけられるので、ドキドキして話が理解できなかった。
俺は、店員に勧められるまま、でっかい車のラジコンを買った。
でっかいモータ付の10分の1サイズの4輪駆動車だった。
一応、100キロ以上のものでも動かせるらしい。
10万円近くした。
お金の問題じゃなかった。
妹のためだった――
そして、近くのホームセンターで大きな寸胴も買った。
ドラム缶を半分に切断したくらいの大きさがあった。
ベニヤ板を買って、その下にキャスターをねじ止めした。
「ねえ、お兄ちゃんなにやってんの?」
尻尾をバランスをとりながら、俺の方に歩いてきた妹。
「ん? カレーだよ。カレーさ! 美味しいカレー作ってやるよ」
「本当! お兄ちゃん! やった! カレーだ! 今日はカレーだ!」
妹はドスドスとリビングの中を走り回る。床も25ミリの高張力鋼なのだが、やはり7トンの巨体では痛みも進んでくる。
いつもはのんびりしている妹だが、最大速度は時速40キロ以上でるんだ。
運動会ではいつもリレーの選手の候補になる。ただ、候補で止まりで選手にはなったことが無い。
妹が「私、バトンが苦手だから」と言っているのを聞いたことがある。
子どもの個性とか能力をきちんと評価してくれる小学校だったらいいのにと思った。
悪しき平等主義が妹を悲しませていると思った。
美味しいカレーの作り方はネットで調べまくった。
要は玉ねぎを大量にぶち込むのが秘訣だった。
肉もブタのアバラ付のものを大量にぶち込む。
合わせて、牛の筋もいれた。
基本的に妹は肉食恐竜のチラノサウルスなので、肉は十分にいれておいた。
ジャガイモ、ニンジンもいれる。キャベツもだ。特に切る必要がないのが楽だった。
巨大な口と、あの出刃包丁のような牙なら問題ない。
なんといっても、咬合力は3トンを超えるんだ。
俺の妹の一番得意なことは噛みつくことなんだ。
俺は、巨大な寸胴でカレーを作った。
味見してみた。
美味しかった――
ちょっと、母親のカレーを思い出した。
◇◇◇◇◇◇
「ワーイ! カレー! カレー! カレー!」
妹が小さな前足をパタパタさせ、カレーを連呼していた。
チラノサウルスの妹にとっては、生まれて初めて食べるカレーだ。
「よし行くぞ!」
俺は、プロポを操った。最大出力1馬力を超える強烈なモーターが唸りを上げた。
10分の1、4輪駆動ラジコンカーだ。
そのラジコンカーに、ロープを付け、キャスター付のベニヤ板に結びつけた。
そのベニヤ板にはカレーのたっぷり入った寸胴が乗っている。
ゆるゆると、ラジコンカーは、ベニヤ板を引っ張って行った。
妹は動きに反応して、一気にラジコンカーに飛びかかって行った。
10万円のラジコンカーが3トンの咬合力を持つアギトの中で粉々に砕けて言った。
圧倒的な破壊だった。
バリバリと砕け散る音が、リビングに響く。
「おまッ! それカレーじゃない。ラジコンカーだ!!」
俺の叫びを無視し、10万円ラジコンカーを粉砕するチラノサウルスの妹。
ああ――
妹よ、それはカレーではないのだ。
カレー動かすための、動力なのだ……
ラジコンカーを飲み込んだ、妹はこちらを見た。
「ん…… これがカレー? なんか、思ってたのと違うけど―― お兄ちゃんが作ってくれたから、美味しい」
チラノサウルスの妹は俺にそう言った。
「いや、妹よ、それはカレーじゃないんだ。こっちなんだ……」
しかし、妹は、チラノサウルスなので、動かない寸胴を食事と認識できなかった。
「動いてないから、食べ物じゃないよ。お兄ちゃん」
妹は笑いながら言った。15センチ以上ありそうな牙と牙の間にラジコンの配線がからまっていた。
「動かそうとしたんだけどね――」
俺は妹に、どうやって動かそうとしたのか、食べたのがラジコンカーであることを説明した。
巨大な眼球をこちらに向け、妹は俺の話を聞いていた。
「お兄ちゃん、それ動かすなら、紐を引っ張ればいいんじゃない?」
小さな、前足をスッと動かし、ベニヤ板に縛ってある紐を爪で指し示した。
俺は、紐を引いた。
チラノサウルスの妹は寸胴に襲い掛かった。
アルミニュウムの寸胴がひしゃげ、カレーがリビングに飛び散った。
「なあ、女の子なんだから、もう少しこぼさないで食えよ」
俺は笑いながら言った。
「うん、お兄ちゃん、今度はこぼさないから、またカレー作ってね!」
高張力鋼の装甲板に包まれた、俺の家のリビングに、チラノサウルスの妹の声が響いた。
明るい声だった。
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