第7話

ヒラガと別れた俺は、一人アパートまでの道を歩いていた。歩きながら俺はカレンのことを考えていた。

この5日間何もフォローしなかったのは不味かったかもしれない。こんなざまだからヒラガに余計なこと言われてしまう。


(わかってるさ…。)


カレンとの付き合いがギクシャクしているのは、俺が原因だ。カレンへの劣等感から素直になれず、いじけてるだけだ。


(そんなことはわかってる。わかっているけど。)


それで素直になれるなら、苦労はない。頭では理解できても、湧き上がる感情はどうしようもない。


(それならばいっそ…。)


カレンと別れたほうがいいのかもしれない。このまま続けていても、どうせ破綻するだけだ。ならばこちらから別れを切り出したほうが、まだ誠実と言えるだろう。しかし。


(ヒラガに取られるのは気に食わない。)


「最低だな、俺は。」


自らが達した結論に、自嘲気味につぶやく。

アパートに帰ったらカレンにメールを送ってみよう。わずかな延命処置にしかならないかもしれないが、少なくともその期間はヒラガの手に渡らずに済む。

どうせ今更だ。このままみっともなく、不誠実に、引き伸ばし続けよう。

俺が変われなくても、カレンが俺に合わせて変わってくれるかもしれない。来年になれば、俺も大学に合格し、カレンへの劣等感がなくなるかもしれない。

俺は恋人や心配してくれる友人よりも自分のプライドが大事なのだから。


そんなことを考えていたら、不意に誰かに見られているような感覚を覚えた。視線の元を辿ってみると、そこには、公園のベンチに座り込む女の姿があった。


(タジマ?)


俺とタジマの視線が絡み合う。しかしそれも一瞬だった。タジマは俺の視線に気が付くと

顏伏せてしまった。


(どうするか…)


アルバイト先が同じ人間がいたから、たまたま視線で追ってしまっただけ、それならば俺も無視して通り過ぎることができた。

しかし、一瞬だけ見えたタジマはどこか頼りなく、助けも求めているような顔をしていた。


どうにもタジマは何か問題を抱えているようだ。話くらい聞いてやろう。

俺はタジマに話しかけることにした。普段の俺ならば、そのまま立ち去ったに違いない。しかし、今日だけは違った。悩みを抱えている弱者(タジマ)に親切にすることで、誤魔化したかったのだ。

恋人や友人をないがしろにする自分勝手な弱い自分を。保ちかったのだ。自らのちっぽけな自尊心を。


「どうしたのタジマさん?」


俺はベンチに近づき、座り込むタジマに声をかける。


「いえ…。その…。」


タジマは言いにくそうに口をもごもご動かすだけで、なかなか答えようとしなかった。

その態度に俺は若干の苛立ちを感じたが、それを表面に出さないよう飲み込むと努めてやさしい声でタジマに話しかけた。


「なにか困っているように見たんだけど…。大丈夫?」


タジマの目線に合わせるよう屈み瞳を見つめる。タジマは伏せ目がちになり、何か迷っているかのように落ち着きがなくなる。

俺は辛抱強くタジマが話すのを待った。やがて、タジマは意を決したのか、耳を赤くし恥ずかしそうにぼそぼそと話し始めるのだった。


「それが…その。お金が…」

「お金?」

「足りなくて。」


もはや、俺の顔見る余裕もないのか、タジマは完全に俯いてしまう。しかし、そんなことはどうでもいい、タジマの答えを聞いて俺は不審なものを感じるのだった


(金?)


タジマは見たところ地味な女だ。金遣いが荒いようには見えない。

アルバイトも俺と同程度の量をこなしている以上。それなりの収入もあるはずだ。とても金に困る人物には見えないが…。


タジマは俯いたままだ。だが、話しにくいことを話してすっきりしたのか、恥ずかしそうな雰囲気はない。どこかあきらめたようなさびしげな雰囲気があるだけだ。


「1万でいいかな?」

「え?」

「今手持ちがそれしかなくて、それだけなら貸せるけど。」

「いいんですか?」

「貸すだけだけどね。それでもいいなら。」

「その…お願いします。」


タジマはおっかなびっくりといった様子で、俺から1万円を大事そうに両手で受け取る。


「返すのはいつでもいいから。」

「ありがとう…ございます。」


ぼそぼそとお礼の言葉を述べると頭を下げるタジマ。

俺はそれに軽く答えるとタジマに背を向けその場を立ち去る。一万円くらいで大げさなだな。よっぽど困っていたのだろうか?

まあ、タジマの事情は俺には関係ない。深入りして面倒なことになった藪蛇もいいところだ。

1万円は俺にとっても小さい額ではなかったが、おかげで人助けをしたような気分になることができた。

自己嫌悪から少しだけ軽くなった心ともに、俺はアパートへと歩みを進めるのだった。

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