第5話

鏡に映った俺は難しい顔で頭をいじっていた。


(髪がうまくまとまらない。)


ここ最近、出かけるときでもヘアスタイルに頓着しなかった結果だろう。久しぶりに手にしたヘアクリームは違和感しかなかった。


(やっぱり、断ればよかった。)


髪がうまく決まらない、それだけで気持ちが萎えそうになる。


(馬鹿なことを言っている場合じゃないか…。)


時刻は既に14時30分を回っている。カレンとの待ち合わせは15時だ。待ち合わせまでの時間を考えるともう家を出なければならない。

俺は決まらない髪型に見切りをつけると、ハンガーにかかったジャケットを手に取り、アパートを後にした。


**********


「お、メノウ君!こっちだよ。こっち。」


待ち合わせ場所には既にカレンがいた。カレンはどこか不安そうに辺りをキョロキョロ見回していたが、俺の姿を見つけるなり、はしゃぐように大きく手を振った。


(約束をすっぽかすとでも思われていたんだろうな。)


俺のことをそんなふうに思うカレンにほんの少し不快な気分になるが、すぐに思い直す。

ここ最近の俺の行動を見ていれば、そう思われても無理もないことだと。


「お、いいね。そのジャケット!すっごい似合ってるよ!私好みのいい男!憎いね~このこの。」


カレンはそう言って俺のことを褒めちぎる。別にいつも着ている安物のジャケットだ。褒められるようなものではない。だ

が、否定して話が長くなるのもめんどくさい。適当に答えておくか。


「ありがとよ。」


俺はカレンの言葉に簡単に答えると目的地であるアイスの屋台へ向かおうとする。しかし、カレンの奴が俺のことを、どこか期待したように見つめる視線に気が付き足を止める。


「どうした?」


カレンの態度を不審に思った俺は、直接訊ねることにした。

俺の言葉にカレンの奴は心外とばかりに肩を落とすと、あきれたとように俺を非難してきた。


「どうしたって…もうなんでこの男はなんでこうなんですかね?いいですか?私はこの日のためにいろいろ準備してきたんですよ。具体的には美容院に行ったり、ブラウスを新調したりと。その乙女の健気な努力に答えないようじゃ、男がすたるってもんじゃないですか?ええ?」


そう言って、カレンは俺に見せびらかすようにポーズをとる。


「…似合ってるよ、その髪型。」

「なんですか!その投げやりな態度は、まったく失礼な男ですね!まあ、いいでしょう許してあげます。こんな無粋な男の心無い一言も許してあげるのがいい女ってもんです。まあ、いわゆる惚れた弱みというやつですね!」


いやんと照れたそぶりを見せるカレン。まったくこいつは変わらないな。


「それより行こうぜ。人気のアイス店なんだろ?」

「そうですね。こんなところで立ち話もなんですからね。でわでわ行きましょ行きましょ!」


そう言うと、カレンは自分の手を俺の手に絡め、にっこりと笑顔を浮かべた。

その楽しそうなカレンの様子とは裏腹に、俺の心が冷めていくのを感じられた。

どうしてだろう?以前はカレンの一挙手一投足が俺の心を温かくしてくれていたというのに、今はカレンの行動にいちいち答えるのが面倒でしかなかった。


アイスの屋台に並んでいた時についてはとくに語るほどことはなかった。

カレンは自分が面白かったテレビや雑誌について楽しそうに話をし、俺はそれに適当な相槌を打つ。ただそれだけだった。

2時間ほど並んで手に入れたアイスの味については、甘い以外の感想が思いつかなかった。

カレンの奴は、味音痴と不満そうに口を尖らせたが、それ以上に感想が思いつかないほど、俺は疲れていた。

久しぶりに過ごした彼女とのひと時は、甘いものではなく、依然と同じよう振る舞うカレンからは、言外に責められているような錯覚を俺に与えるのだった。


もうこの場からさっさと逃げ出した。疲れたから帰るとカレンにそう切り出したが、カレンの奴はなら喫茶店で話そうと譲らなかった。

俺はその態度にいらだちを感じ、カレンの手を払い強引に帰ろうした。しかし、必死に引き止めるカレンの瞳にうっすら涙が浮かんでいることに気がついてしまった。

俺は後ろめたさから抵抗することが出来なくなった。


**********


「それでね、そこでお母さんたら涙ながらに、ハエたたきを…。」

「…。」


喫茶店でも俺たちがやることは変わらない。カレンが一方的に話し、俺は適当に頷く。はたから見たら、何が楽しいのか分からないだろう。

いや、当事者である俺は苦痛でしかない、そしておそらくカレンもこの状況を決して楽しんでいるわけではないのだろう。


「そしたらね、おかしいんだよ。ご飯を食べていたお父さんが…」

「…話さないんだな。」

「え?なになに。どうしたのメノウ君?」


相槌しか返さない俺が別の反応を示したことに嬉しかったのか、カレンはどうしたのとばかり、嬉しそうに俺の顔を覗き込む。


「大学のこと。」

「え、そうだっけ?おかしいな、私話してなかった?ごめんごめん。でも、一年生なんて講義ばかりで退屈なんだよ。私サークルとか入ってないし、別に話して面白いことなんて…。」

「気を使っているのか?」

「ち、違うよ。ホント!私もホント退屈で…。それに講義が難しくて…。」


俺の言葉にカレンはしどろもどろに言い訳をする。

カレンの気遣いは別に普通のことだ。付き合っていた彼氏が浪人していれば、話しづらい内容には違いない。

ただ、そんな風にカレンに気を使われているというのが、どうしようもなく俺の癇に障るのだった。


「合格したお前がついて行けないんじゃ、俺じゃ無理かもな。」

「そ、そんなことないよ。メノウ君なら大丈夫だよ。私より頭がいいじゃない。ほら、いつも私のほうが模試でも下だったし。」

「そうだったか?忘れたよ、もう。」

「そうだよ!ほんと私今かなり無理しているんだからね。もしかして講義について行けなくて、単位取れないかもしれないほど、危険が危ない状態なんだよ!まあ、そうしたら来年メノウ君と一緒に講義を受けられるわけだから、それはそれでおいしいかも?」


カレンの奴はおどけたような態度でそんなこと言った。表情とは裏腹に、目は怯えるような俺からそらしたままで。


「来年か、来年俺が受かる保証なんて、どこにもないけどな。」

「そんなことな…。」

「お前に何がわかるんだっていうだよ!」


苛立ちから俺はつい、声を張り上げてしまう。俺の言葉を受けたカレンは俯き、普段からは考えられないようなか細い声でごめんなさいと口にしていた。


「悪い言い過ぎた。バイトが忙しくて疲れていたから、つい八つ当たりしてしまった。」

「ううん。私のほうこそ、無理言ってごめんね。」


そう言って笑顔を浮かべようとするカレン。しかし涙をにじませながらゆがめた顔は、

どう見ても泣いているようにしか見えなかった。


「帰るぞ。」


後ろめたくなった俺は一方的にカレンにそう告げると、逃げるようにその場を後にする。カレンもおとなしく後をついてきた。


(やっぱり、会うんじゃなった。俺はこんなことがしたいわけじゃないのに。)


2か月ぶりのカレンとのデートは、お互い傷つけあうという最悪な結果で、幕を閉じるのだった。

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