143 智見の王子


 さし詰め、軍議は一刻ほどを要して閉じられることになった。

 フェイリットが立案した戦略に色をつけ、より実現可能な数を将校らが調整。そうして至った着地点は、テナン公国にとどめ置いていた一個師団を率い、コンツェが本土に向け親征するというもの。


 困ったことに、前線の情報は未だ統制されたままだ。指揮を執っていたメルトロー王国第一王子・ディフアストンの持つ五千の精鋭が、どれほど欠かれたのかさえ届いていない。奇しくもカランヌ――アロヴァ=イネセンの報告だけが、味方の危機を救う顛末てんまつとなったのだった。


 軍議の委細は薄手の紙に小さな字で詰めこまれ、たかの脚にくくられた。援軍を送る、という旨でディフアストンに伺いをたて、まずは本土に駐留する味方の兵力を増やす。作戦の展開はそれからだ。

 皆の立ち会いのもと、伝書の鷹はシバスラフの手で空へはなたれた。






「サディアナ・シフィーシュ殿下、」

 途切れなく退出していく将校たちの背を送り、シバスラフが振り返る。薄い茶の瞳が、ぶ厚い眼鏡の向こうに揺らいだ。

「改めまして御礼を……と、おや。サディアナ殿下?」


 フェイリットの返事がない。楕円の卓に両の手をつき、彼女は呼びかけにも堅い表情を崩さなかった。やっと戦略図から顔をあげたと思えば、視線は窓の外だ。

 鷹を数羽、見送った窓は開け放たれ、黄昏をすぎた空が見えている。


「……シバスラフ丞相」

 長い沈黙の末、フェイリットが口を開く。空を見ていた視線が戻り、シバスラフに向けられる。思案げで、緊張に満ちた瞳だった。

「メルトローの手であるわたしが言うことではないのですが……ひとつだけ、いいですか」

「はい」

 もちろん、と答えるシバスラフの頰には微笑さえ浮かんでいた。

 勝利への可能性を示唆した、立役者であるフェイリット。礼さえ口にしようとしていた矢先なのだ。今や、彼女の発言に耳を傾けない者はない。

 しかし、そんなコンツェの思いもよそに、

「テナン公国が危ない」

 フェイリットが断言したのは、世辞にも穏便とはいえない思考だった。


「コンツェが親征軍を指揮して、イクパル本土に出向く。テナン公国に残るのは、丞相あなたと、城を守る連隊が千人。公子殿下たちの私兵が各二百。さっきから何度も考えているのに、ごめんなさい。不安な考えばかりが浮かんで」


 壁に預けていた背を離して、コンツェはフェイリットの手元をのぞいた。

 図上には、本土ばかりに集中する兵棋こまのかたまり。一方のテナン公国はというと、何も並ばず、手付かずの状態だ。

 彼女が危惧する不安を理解する。王が抜け、兵力のほとんどを移動させているテナン公国。

 言うなればここだけに、大きな〝穴〟が開いている。


「懸念だけに終わってくれたらいいのですが、何か策は講じておいたほうがいいとも思えます。父は……メルトロー国王ノルティスは、この状況を見ている、、、、

 ふっと息を吐いて笑ったのは、ギルウォールだった。

「俺があのジジイなら、この機会に奪っちまうかな」

 そう吐露する口ぶりは、苛立ちのまじる強いものだ。

「だから、コイツを連れてきたんだ」

 ギルウォールは、隣に立つ男の背を押しやった。


「ドリューテシア・ファンサロッサ」

 名を明かされ、ドリューテシアは迷惑げに眉をしかめた。

 ファンサロッサ――聞き覚えのある名だった。コンツェが思案をめぐらす間にも、アシュケナシシムが「えっ」と声を上げている。

「まさか四将君子の……メルトロー王国第四王子・ファンサロッサ殿下?」

 たどり着いたその名を、コンツェは驚愕とともに発した。


「……ええ。名乗り出るのがめんど……遅くなり申し訳ありませんでした。しかし、〝将〟というのはお飾り。本業は別に」

 ドリューテシアはまったく響かない声で告げると、つかつかと歩を進めくる。彼が足を止めたのは、ほかでもない、フェイリットの前だ。



「竜――あなたの研究です」



 フェイリットが身をよじらせたが、遅かった。ドリューテシアに手首を掴まれ、ひっくり返され、もう片方の手で首元を撫でられている。

「な! はが!」

 と驚きと抗議のまじる声も、ドリューテシアはその手でふさいだ。正確には、もっと大きく開かせた。口の中をじっと覗き、「ほう」と感嘆の声をもらす。もはや誰も止めようとしない。


「サディアナ、わりぃな。コイツもずーっと、うずうずしてたんだ。許してやってくれ」


 髪をかしたり、背を向かせて首の骨を数えたり。挙句には、懐から取り出した喇叭ラッパ状のものを、フェイリットの背に当て耳をつけている。

 乱暴な仕草ではないが、なにより目まぐるしい。フェイリット自身、「うわ」やら「ひゃっ」やら言いながら、ドリューテシアにされるがままになっていた。


 その様子を横目に見ながら、ギルウォールはげんなりしている。

「そもそも、ここの玉座の間に埋まってた墓は、コイツが予測を立ててたもんだ。竜伝説に取り憑かれて、ずーっと城にこもってたのを引っ張り出してきたが……まあ、うん、あんな感じだ」


 あんな感じって、と呆れた声を出し、アシュケナシシムが頭を抱える。

「噂には聞いてたけど、噂だと信じてたよ」

 ドリューテシアの緩やかに波をうつ銀髪が、フェイリットを追うたびにさらさらと揺れていた。主張の強いフェイリットの癖毛は、今やくくり糸も外されて踊り放題。そのやわらかな髪を、ドリューテシアはやたらと嬉しそうに触っていた。眼鏡をかけたり外したり、氷色ひいろの瞳を熱心に動かしている。

「おまえの兄上だろう。アシュ」

 似ているとも言いきれないが、似ていないとも言いきれない。遠い親戚と紹介されたほうが、しっくりくる風貌だ、とコンツェは思う。


「腹違いだからな。アイツは母親の血筋が濃い」

 コンツェの思考を読んだかのように、ギルウォールは独りごちた。面倒そうに頭を掻きやり、再び言葉をつなげる。

「で、ノルティス王も同じく竜狂い。ドリューテシアの頭ん中の知識を、見す見す殺すような真似できねぇってわけ。だからアイツをここに置いとけ。程のいい人質にでもしときゃいい」


 日に焼けて赤い手をひらひらと軽く振り、ギルウォールは言い結んだ。軽口に見せかけて、〝人質にしろ〟とは。曲がりなりにも一国の王子。それも、末席などではない。四将君子として崇められる、王位継承権も上位の人物なのだ。

 大それた提案に、コンツェは空いた口が塞がらない。

 〝ドリューテシア〟よりも〝ファンサロッサ〟の方が、通り名として有名であったためか。先ほどからシバスラフでさえ、ずっと目を白黒させている。


「つまり抑止力として、ドリューテシア・ファンサロッサ殿下に滞在頂くということですか」

 捻り出したコンツェの言葉に、ギルウォールは頷いた。

「そうだ。信用ならねえか?」

「いえ、」

 コンツェは声音を渋らせ、フェイリットとドリューテシアを見やる。


「なんだか、滞在頂くというより……付いてきそうだと思いまして」

 初見に等しい相手を、信用しろ、と言われてできない面もたしかにある。しかしそれ以上に、彼はフェイリットに夢中、、だ。

「あー、それはな、ははは」

 まったく感情のこもらない、渇いた笑いが戻ってくる。ギルウォールの作戦は、きっと失敗だ。コンツェは何とも言えない眼差しを、宙に漂わせた。


「ギルウォールあにうえぇぇ」

 どうしたものかと考えていたところに、情けない声が響く。間違うはずもなく、フェイリットだった。詰襟の軍衣に並ぶ小さなボタンを手で抑え、ドリューテシアの顎あたりを押しのけている。


「フェイリット」

 いよいよ助けが必要らしい。コンツェは考えるより早く、フェイリットに手を伸べていた。華奢な肩筋に手を触れて、それから、はっとする。

「ほほう」

 ドリューテシアが意地の悪い笑みを浮かべたのも、コンツェには刺さるものがあった。

「失礼いたしました、ファンサロッサ殿下。彼女が……嫌がっていましたので」

 コンツェの言葉に、引き寄せたままのフェイリットが身じろぐ。


「ドリューテシアで構いません。ファンサロッサというと、お飾り大将を指してしまいますから」

 にやにや笑いながら、ドリューテシアは眼鏡をかけ直した。

「君はサディアナをよく知っているらしいですね。後ほどお茶でもどうだろう。二人だけで尋ねたいことが、」


「お断りします!」

 声を荒げたのは、フェイリット本人だった。怒りも沸点を超えたのだろう。いよいよ顔を真っ赤にして、わなわなと肩を震わせている。

「ドリューテシア……兄上。もう充分、触ったでしょう」

「ええ、充分触って楽しみました。ですが、その身体に詰まっているものをもう少し診たい。私を竜専門の医師だと思ってくれたら、」

「い、医師……? だったら、」

 言いかけた途端、フェイリットが表情を曇らせる。何かを思い至ったのか、ぱっと両の手を宙に浮かせた。

「……ごめんなさい。ちがう、何でもありません」

 しおれたように肩を落とすフェイリットを見ては、ドリューテシアも続きを言うことはできないだろう。華奢な身体は、コンツェが不安を覚えるほど小刻みに震えていた。


「あのー、僕じゃだめ? これでも一応、竜から産まれた身なんだけど。ほら、いきなりサディアナを見たって分からないんじゃないかな。順を追って僕との違いをね」

 アシュケナシシムが出した助け舟に、フェイリットが戸惑いの声をあげる。

「アシュ、」

「それにさ、僕はこの国に残るつもりだったし」

 アシュケナシシムの言葉に、コンツェは思わず口を開く。

「おまえ、ここに残ってもすることないだろ」

「失礼だね。前から言ってるけど、泥臭いのはごめんなんだよ。それに、一人くらい信頼の置ける〝伝達役〟を母国に残しておくべきだと思わない?」


「……申し訳ございませんな……」

 遠慮がちな声がシバスラフからもれる。

「あ、シバスラフ丞相ごめんね、今のは言葉のあやだから」

「おまえのがよほど失礼だろう」

「言い直すよ。実際一人でも多く、信頼できるやつをテナンに置くべきだろう?」

 アシュケナシシムが自分の胸元を指したあと、シバスラフ、ドリューテシア、エレシンスと順に指で示していく。


「それはたしかに、」

 言いさして、コンツェは晴れぬ思いで続けた。

「ドリューテシア殿下、いかがですか。サディアナ殿下は、自分に帯同して頂かなくてはなりませんので」

 ギルウォールが〝抑止に〟と連れてきてくれた人物を、なんとかその気にさせなくてはならない。

「ああ」

 ドリューテシアはほんの一瞬、歯がゆい顔を見せた。が、ゆっくりと頷く仕草を見て、コンツェは内心ほっと胸を撫でおろす。


「私が数に入っていたようだが」

 一件落着、と思ったのもつかの間。静観を続けていたエレシンスが、ふと会話にまざった。壁のすみに押し付けていた背を離し、歩きながらコンツェに視線をあてる。

「おまえたちと本土へ行くつもりでいる」

「エレシンス……」

 フェイリットに名を呼ばれ、ふふ、と彼女は朗らかすぎる笑みを浮かべた。中に「え、エレシンス?」と度肝を抜かれたような声もまじったが、誰も気にしない。


「まずは少々、後始末もある。エトワルト王、玉座の間にしばらく人が寄り付かないよう計らってもらえるだろうか?」

 その口ぶりの示す事柄は、考えずともわかった。施錠した玉座の間には、未だアロヴァ=イネセンの亡骸が残されているはず。

 エレシンスは彼を、葬いに行きたいのだろう。

「わかった」

 コンツェが頷くのを見届けると、エレシンスは部屋を去っていった。その道中に、フェイリットの頰をしっかりと撫でていく。まるで涙をぬぐうような仕草。


 彼女の頰は渇いていたが――、その唇がそっと震えたのを、コンツェが見逃すことはなかった。

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