107 叛逆の蠍たち


 相変わらずのつよい日差しは、泉のある庭から差し込んで視界を白く浮かせていた。トリノは小走りに回廊を駆けながら、額に浮かんだ汗を手の甲でぬぐう。

 ――なんなんだ、一体。

 裸足の彼に足音はないが、それを追うように硬い音が二つ、背後に連なり迫っていた。うかがうように顧みた背後に、トリノはちらりと目を配る。


 長身で、色の白い二人の男。

 ローブはイクパルのように胸部までを覆わず、肩すじを沿って踝に垂れ、衣装は襟の高い腰丈の上衣と、腿の形にぴたりと沿うような黒の下衣を纏っていた。しゃらしゃらと鳴るローブの飾りは、反射の光で思わず目を閉じてしまうほど強くかがやいている。

 ハレムにフェイリットを送り届け、自らの仕事に戻るために皇帝宮への回廊を歩いていたトリノは、目前を遮るように現れた二人の男に度肝を抜かれた。


「メルトロー国王の使者として参りました」


 ひとりの男が温和にそう言い、宝石のように混じり気のない鳶色とびいろの目を細める。明らかに北方生まれとわかる白い顔は紺碧の布で覆われており、鳶色の目の男も、もうひとりの空色の目の男も、トリノにはどんな表情なのか判断することはできなかった。

「使者? そのような話は伺っておりませんが」

 前触れもなく唐突に現れた二人に、トリノは当然の答えを返した。

 他国の、それも敵国とお互いが定めている国の使者が来訪するとなれば、厳密な審議と調整が行われているはず。軍属の小姓を一時的に離れてから、トリノはそういった事情にもっとも近い〝宰相〟の側に付いている。二人に返した返答通り、メルトローから使者が来ることなど、トリノは耳にしていなかった。


「でしょうね。正式な申し入れをしたなら、我々は追い返されるか、三月みつきも審議に時間を割かれてしまったことでしょう」

 鳶色の目の男が答えて、懐に手を差し込む。凶器かと身構えるものの、その手が掴んでかざしたのは手のひらほどの小さな羊皮紙だった。

「メルトロー国王の御璽ぎょじです。無下に断れば、両国の関係は悪化の一途を辿りましょう。わかりませんか? あなたには謁見の許可を願っているのではない。バスクス二世陛下のいらっしゃるところへ、お連れ頂きたいのですよ」


 小姓であるお前に、有無を判断できるものではない。そうはっきりと示された上に、国家間の関係の話題まで出されては。トリノには断ることができない。

 諦めるように駆けだして、いっそ二人が撒けたらいい――そんなことまで考えるが、バスクス帝のいるであろう北区の元老の間は、もはや目と鼻の先。

「陛下!!」 

 滑り込むようにしてバスクス帝のいる元老院の幕を抜け、トリノは跪く。


 そこに並んでいたはずの公王たちは、すでに控えの間に下がった後。テナンという〝さそり〟が針をかまえた現状で、ただ黙って滅びゆく帝国に組するべきなのか、今ごろ決断に迫られていることだろう。

 空席の絨毯が四枚敷かれたままの目前で、トリノは膝の近くに額を落とし伏礼する。

「どうした。フェイリットは?」

 来客を返し、寛いでいたのだろう。玉座へとつづく壇上に腰を降ろし、凭れるように目を閉じていたバスクス帝が、トリノの様子を見て眉をうごかす。

「喧嘩でもしたか」

「いえ、今はハレムに……」


 まるで父親の言うような台詞に、トリノはわずかに口ごもる。けれどすぐに首を振って、背後を窺った。

 振り返るその先で、ずっと自分を追っていた足音がとうとう追いついてくる。

「陛下、メルトローからの使者が、国王の御璽を持って参りました」

 トリノが口を開くのとほとんど同じく。仕切りの幕をくぐり出た二人の人物が、まったく同じに膝を折り、胸に手を当てて礼をする。

 滑稽に見えそうなものなのに、その拝礼は完璧としか言えぬほど揃い、優雅だった。


「突然の謁見をお許し願えますね。イクパル帝国皇帝ディルージャ・アス・ルファイドゥル・バスクス二世陛下」


 波打つ金の髪と、すらりと伸びた長い四肢。しなやかな動きをみせる手は、先ほど目にした御璽つきの証書を掴み、掲げている。

「……メルトローの、」

 低い声を途中で区切り、バスクス帝がふと黙る。トリノはメルトロー人に向けていた目を離して、バスクス帝を振り返った。

「名乗る必要もございませんか? それとも、お聞きでない?」

 振り返り見たバスクス帝はほんの一瞬、驚きを隠せぬ目で二人を見る。


「メルトロー国王付参謀カランヌ・トルターダ・アロヴァイネン。爵位は伯爵にございます」

 トリノが再び使者たちを見やったとき、彼らの顔を覆っていたはずの覆面は、いつの間にか外されていた。バスクス帝の驚いた顔に、ようやく頭が理解する。紺碧の布が取り除かれた二人の顔は、自分たちの〝見知る〟人物とあまりにも近く似通っていたからだ。驚きとともに、訳のわからない疑問が浮かんで離れない。

「メルトロー王国第十三王女、サディアナ・シフィーシュ殿下をお迎えに参りました」


 なぜ似ているのか。同じ国の人間だから、という理由では片づけることのできない、血縁を感じさせる顔だち。

 特に空色の目の男のほうは、緩やかな巻き毛を結って背に垂らし、白みのある顔は女のように繊細だった。目が合ってふわりと笑うその顔を見ては、反射的にも笑みを返しそうになってしまう。鳶色の目の男よりも、フェイリットと混同するほどに背丈や雰囲気が瓜二つ。

 二人の顔をまじまじと眺めたあとでトリノが見やると、バスクス帝はすでにいつもの鋭い顔に戻っていた。


「……話には聞いたことがあるが。サディアナ王女は幽閉されているはずだ」

 ふと鼻で笑って、バスクス帝は首を横に動かした。〝知るわけがない〟というその態度は、よもや完璧だ。

 メルトロー王国のサディアナ王女といえば、諸外国に流れる噂はたったのひとつ。〝醜い容姿を嘆いた王が、城の塔に隠している〟というもの。あまりにも有名で、民草の話の種になることさえ少なくはない噂だ。

 だが、そこまで考えてトリノは首を傾げる。繋がる共通点が〝サディアナ王女〟の存在に集まっていく。メルトロー国王の御璽を持つ、二人の使者。それが「サディアナ王女を渡せ」と言い張っている。消去法で考えても、トリノの知る顔の中で北方の血を持つ少女は、たった一人。

 ――……まさか。


「幽閉、ですか。確かに、サディアナ・シフィーシュという存在は、一度も人の目に触れてはおりませんが、」

 バスクス帝の返答を聞いて、鳶色の目の男――アロヴァイネンは仕方ない、とでもいうように小さく肩を動かして、目を細めた。

「〝フェイリット〟という名前を使って、この国のどこかに紛れ込んでいるのは確かです。それも、バスクス二世陛下。貴方のすぐそばに」

 その言葉を聞いて、バスクス帝は黙ったまま怪訝に眉を動かした。


「見当もつかん」

「……そうですか。ならば、我が王は交換条件をお出しになります」

 怪訝に眉を動かして、バスクス帝が目を細める。

「サディアナ王女と思わしき人物をお渡し戴けるなら、我が国は貴国に中立の誓いを立てましょう。――……わかりますね? もうご存じでしょうが、テナン公国との同盟の話を、白紙にしてもよい、と言っているのです。なにせ我が国は、テナン公国の独立に賛成の立場をとっておりますので、資金の援助や武器調達の援助は惜しまぬつもりでおりました」


 アロヴァイネンの言葉を噛むようにしばらく黙ったあとで、バスクス帝は唇の端を吊り上げ、歪んだ笑みを頬に浮かべた。

「独立の賛同は、テナンの誇る鉄が目当てか。産鉄を他国に頼るメルトローにとって、テナンは是非とも欲しい国であろう。だがそう考えると、末の王女の身柄を同じ天秤にかけてつり合うとは、どうにも思えん話だな」

 その言葉に、アロヴァイネンは声を立てて笑った。〝可笑しくてたまらない〟とでもいうような馬鹿にした笑い声に、聞いているトリノまで顔が固まる。フェイリットと似ている、と感じた最初の印象が、なんだか腹立たしい。こんな笑い方や表情を、彼女は絶対にしないだろうに。 


「さあ、それは私の知るところにはございませんよ。我が王はサディアナ殿下を溺愛なさっておいでですので、鉄なぞとは比べようもないものなのでしょう」

 アロヴァイネンはそう言うと、手に持っていた御璽のついた証書を、元通りに丸めて紐でくくってゆく。

「サディアナ王女をお渡し戴けるか否か、一夜の猶予を与えましょう。ですが返答を待つ代わり、艦一隻をイクパル漁港に碇泊させる許可を願えますか」

「艦?」

「ええ。メルトローの港まで、そう遠い距離ではありませんが。サディアナ王女には一刻も早くお越しいただきたいので軍艦を」

 護衛にもなりますしね、と薄い唇を笑みに引き上げ、アロヴァイネンは続ける。


「ああ、ご安心下さい。あなた方が早まって攻撃を仕掛けたり、王女を隠したりしないかぎり、艦が〝防衛手段〟をとることはございませんので」

 軽い口調で脅迫じみた内容を言いきると、アロヴァイネンは立ち上がった。しっかりと紐で結ばれた巻紙をトリノに渡し、元居た場所に戻ってゆく。

「よいお返事を、期待しております」

 美しい姿勢でメルトロー式と思われる礼を残すと、二人は来た時と同じく、連れだって幕を抜けていった。


「……あの、陛下」

 カツカツと鳴り響く、長靴の床を蹴る硬い音が遠ざかるのを待ってトリノが口を開くと、バスクス帝は深い息を吐きだした。

「なんだ」

「サディアナ王女は……」

 サディアナ王女は、フェイリットなのか。浮かんだ疑問の答えを言えぬままバスクス帝の顔を見上げると、彼はわずかに首を動かして頷く。


「そうだ。だが、あれには言うな。自分が戦争の火種になることを、なによりも嫌っていたからな」

 サディアナ王女を渡さなければ、戦争になる。

 それは政治に疎いトリノにさえ、考えられる結末だった。バスクス帝は間違いなく、この話を受けるだろう。

 トリノは息をついて伏礼をとると、ゆっくりと立ち上がった。

「御意に」




◇◇◇


 愛も告げず、別れも言わず、抱き合うこともせず――その夜、彼らはひたすらに遊戯盤セルトで競い、笑いあっていたと聞く。

 ――その光景を目の当たりにしていたなら、自分は泣いていたかもしれない。



 自らの足で立ち去ってゆく華奢な背中を、トリノは最後まで見ていることができなかった。



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