106 刺客たち


 赤く、忌々しい色の城。

 またここに来てしまったと思いながらも、カランヌは一番内側に位置するイクパル帝城の門前で、広がる赤砂岩の光景を眺めていた。

 依然とまったく違うのは、この城を見上げる人物が自分ひとりではないということ。

 カランヌは自らよりも長い間、物憂げに城の全景を見つめていた青年の背中に目を向ける。

「さて……これからのことを話しましょうか。エトワルト王太子殿下」


「ああ、」

 彼は前を向いたまま頷いて、ゆっくりとこちらに振り返る。その顔はとても静かで、今は悩みも怒りも感じさせない。どこか晴れ晴れとしたようにさえ見える表情で、コンツ・エトワルトは続けた。

「伯の言葉通りに動こう。ただ、その呼び方はやめてくれないか」

「呼び方?」

 困ったように眉をひそめて、エトワルトは首を傾ける。

「〝王太子殿下〟。なんだか自分じゃないみたいだ」


 エトワルトの呟きを聞いて、少し離れた場所にいたアシュケナシシムが声をたてて笑う。

「慣れるよ」

 イクパルの民が纏うローブで身を包みターバンを巻いたその姿は、長い髪を隠していることもあってか、この国で過ごすサディアナの面影を映している。カランヌは並ぶ二人の顔を見ながら、小さく息をついて笑った。

「サディアナ王女の輸送用に、艦を一隻用意致しました。明日の朝には港についている予定です」

「で、僕たち三人がイクパル皇帝のところに乗り込めばいいんだね。僕の役どころは? 姉さんそっくりに動けばいいんでしょ?」

 おっとりした動きを常にしているアシュが、急に颯爽さっそうと動きだす。


「演じる必要はありませんが、とにかく任せて頂きます。三人、ではなく、皇帝の元へ出向くのは私とアシュケナシシム殿下で。エトワルト殿下は、一足先に港に向かっていて下さい」

 三人で向かうとばかり思っていたのか、カランヌの言葉にエトワルトは驚いたような顔をする。

「俺は行かなくてもいいのか」

「ええ、貴方はテナン側についたと知れた時点で、拘束される可能性がある。それをお忘れにならず、あまり目立たぬよう港までお急ぎください。迎えの艦にはメルトロー王国の第二王子殿下が同乗されていますから、親交を深めていてくださるといいでしょう。これから何かと協力しなくてはならない関係にありますので」

「……わかった。向こうで落ち合おう」


 港までは半日ちかくの道のりだ。しかし、馬を使わなければ半日で近づけないため、〝目立たないように〟というのは不可能になる。明日の朝、という期限を提示しているから、おそらく彼は馬を使った移動を選ばない。

 軽く頷いて駈け出してゆくエトワルトの背中に、アシュが手を振っている。

「よかったね。エトワルトが残ってたら、きっと簡単にはいかなかったよ。姉さん、荒れるだろうから。……あぁ、食べられちゃったらどうしようかなあ」


 サディアナの輸送は、おそらく無理やりになる。最悪の場合、鎖でつないで変化も逃走もできないように拘束しなくてはならない。

 そんな光景を、エトワルトが黙って見ているはずはない。推測にすぎないが、嫌がる彼女を連れ戻すのを、きっと諦めてしまうだろう。

 食べられたらどうしよう、と言いながら、アシュの顔はどこか嬉しそうだ。うきうきとターバンを外して、束ねていた長い癖のある巻き毛を直している。

 十六年生きてきて、初めて目にする〝姉〟の姿。嬉しいという気持ちは、かつての自分にもあったものだ。


「どんな奴だろうね、イクパルの皇帝」

「先だってご覧になったのでは?」

 アシュケナシシムはよく、カランヌの視野を盗み見ていた。まるで成り替わったように見えるという彼の能力は、何度かバスクス二世を目にしたカランヌの目線も、当然体感しているはず。シアゼリタの首を見つけさせた時もそうだ。


「見かけだけはね。あんまり優しそうじゃなかったなぁ、眉間に皺寄せてさ」

 言いながらローブを脱いで、中に着こんだ衣装の襟首をただす。開襟の上衣に上着を重ね、細身の下衣に長いブーツを履くその姿は、乗馬をするのに適した出で立ちでもある。公式の場でも認められている、〝王子〟の姿。

 しっかりと装飾の施された上着にかかる金の髪は、今は紐を解いて美しい波を広げている。

 歩きながらさっさと身支度を整える彼を見ながら、カランヌは軽く肩をすくめた。


「召使いがいなければ、着替えのひとつも出来なかった方とは思えませんね」

 薔薇の棘に囲まれた、彼を十五年隠し続けてきた塔での暮らし。そこでの王子然とした、彼の高飛車で高慢な態度も、いつしか和らいだ気さえする。

 自らもローブを脱ぎ、〝メルトロー式〟の正式な衣装を整えながら、カランヌは横を見つめる。

「信じられないよね。でも、僕にはエトワルトの方が信じられなかったよ。身の回りのことを、何ひとつ侍従にさせてないなんて。髪まで自分で切ってた」


「彼は元は軍人ですからね」

 それも、公国の公子という身分には考えられぬほど下級の軍人。彼に目立った地位が与えられなかったのは、それを本人が一番嫌ったからだと聞いている。

 一番嫌ったはずの地位を、流れのままに引き寄せてしまった王太子。それも今となっては皮肉な話だ。

「軍人か、そうだったっけ? なら、ちょうどいいじゃないか。これからのことを考えればさ」

 カランヌの複雑な思いもよそに、今度は器用に手首のボタンをかけはじめたアシュは、さして気にしたふうもなく笑った。


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