52 孤島の王子
海をはるかに眺める、真っ白な白磁の城――それがテナン王城だった。
おとぎの国の王城のようだと、人々は口にする。城は船を直接搬入できるよう、海上に大きくせり出した形に建てられている。そのため満ち潮がくれば、まるで本当に、海上にぽっかり浮かぶような風情になるのだった。
「エトワルト王子、あとのことは我々にお任せになって、どうぞ先をお急ぎ下さいませ」
船を搬入することができる城だが、その船というのも王の許可紋がなければ直接横付けにすることは叶わない。漁船に乗り急ぎ来たコンツェたちは、いくら急用とはいえ城下の港に一度降りる必要があった。乗っている人物が王城の人間でも、船に紋がなくては通れない。それが決まりなのだ。
「ありがとう」
伴ってきた〝鷹〟たちに礼を言い、コンツェは船を跳び下りた。
まだ間に合う。本土からここまで、追い風と潮の流れが幸いした。報せをもらってからまだ、二日も経っていないのだ。急ぎ港で馬を借りて、コンツェは久しぶりの故郷に感慨を抱く間もなく王城へと駆け出した。
*
真鍮の扉を押し出すように開け放ち、円卓に座する老中たちを見回す。
それぞれが驚いたように、目を大きく見開いている。無理もない。彼らのとった通信手段での報せを待っていたなら、到底間に合うはずがなかった。
妹の、シアゼリタの手紙がなければ。今頃すでに自分が王太子として承認されていた頃だろう。
「おや……エトワルト王子……。これは、随分とお早いご帰還でしたな」
最長老でもある宰相が、傍らの王の顔をちらと見て、立ち上がる。それにならって円卓についていた十人の元老たちがぞろぞろと立ち、コンツェに向けて拝礼をとった。
「いえ。報せをお聞きしたのが存外遅かったのですが、他の王子たちはどうしたのですか」
「皆、それぞれに手の離せぬ用がおありだったようですのでな。そういう場合、我々の承認だけで事は足りまする」
眉根を寄せて、コンツェは小さく息を吐く。
謀られたというわけか。〝王太子になどなりたくはない〟自分に協力的な、四人いる兄王子達を退けてしまえば、よもや「エトワルト王子」の王太子推薦に反対する声はでない。
黄土色を元にした、黒糸で緻密な模様の施されたタペストリーが四方の壁に吊るされる、詮議の間。しん、とした空気の中にコンツェは自らの声を押し響かせた。
「ご挨拶が遅れ申し訳ございません陛下、只今戻りました。……それと、始めに申し上げておきますが、自分は王太子になるつもりはございません」
足早に歩くと、五つの空席の中から、一番出口に近い椅子に腰をつける。席に着いた息子を眺めて、王は喉奥で咳払う。何かを思案しているときの、かれの癖に違いない。
「その議題なら」
予想通り王は重々しく口を開き、鋭い目をわずかだけ細めた。近く退位を決めているくせ、この狡猾な脳はいっこうに廃れる気配を見せない。
「――とうに終わった」
コンツェは眉根を歪ませて、立ち上がった。
「嘘です」
「……嘘でも証明するものは何もない。そして儂は、この国の王だ」
〝王の発言には、元老たちも同意を示す〟と。それはこの国の元老院が、まったく形式でしか働いていない証拠でもあった。
「自分には、拒否する権利も無いのですか?」
ふっと哂って、王はその瞳を周囲へ向ける。
「権利はあったが、その刻限にお前はいなかった。理由があるならば、それだけだ。だが、儂もそこまで横暴ではない。少し時間をくれてやろうではないか? ……お前に紹介したい者もおるのでな、」
円卓の端を、父王はこつこつと中指の間接を曲げ打ち鳴らした。それが合図でもあったのか、コンツェが入り来たのと同じ扉から、一人の男が侍従に導かれて入り来る。
「お初にお目にかかります、コンツ・エトワルト王子殿下」
――メルトロー人。目の前に立ったその男をひと目見、コンツェは思った。頭にターバンを巻き、顔には目を除いて覆面がかけられていたが、わずかに見える肌の色は抜けるように白く、こちらを見据える瞳は宝石に似た透明な蔦色をしていた。どこか油断なら無い雰囲気を醸し出す男だ。
「メルトロー王より使節として参りました。カランヌ・トルターダ・アロヴァイネンと、申します」
含んだような笑みを、覗いている瞳にだけ浮かべてカランヌは礼をした。
「……ではやはり、テナンはメルトローと」
独立の算段をつけていることは、父が本土に現れたときから察していたことであったが……まさか、その延長に敵国メルトローと手を結ぶなど。
驚愕に口を開いたコンツェを見やり、斜に構えたような動作でカランヌは頷く。
「ええ。懇意にさせて頂くつもりでおります。我々としましては、殿下が王太子位につかれたほうが割合得だということも、お話しておいたほうがいいでしょうね。貴国は、いつまでもイクパルなどに付随している器ではございませんよ。という内容をこの度は直接弁論しに参ったわけですが」
つらつらと言葉を繋げるカランヌに、コンツェは顔を顰めるしかない。人を喰ったような話し方をしているのに、世事や回りくどさが全く無い。真実だけを、分かりやすく――皮肉って話している。
「なぜ覆面を? 後ろめたいことでもおありなのですか」
苦し紛れにコンツェの口を出た欠点を問う声に、カランヌは声を立てて朗らかに笑った。
「後ろめたいことならございますよ。私の顔は美しく、まして女のようですので、この国で曝し歩くには少々の勇気がいりましてね。宮廷のお遊び剣術なら得意なのですが、実戦ともなれば貴国の筋骨隆々とした男たちには敵いませんでしょう。護身のつもりでしたが、ご不快でしたら今すぐにでも、」
「いえ結構です。失礼しました」
これ以上、この男の話を聞いていたくなかった。胸焼けがしはじめたのを感じて、コンツェは振り切るように彼の言葉を遮る。
やりとりを見守っていた父王が、ふっと吐息で笑うのが聞こえる。一体、何が可笑しいというのか。
「しばらく滞在戴く。この男は、必ずやお前の気を変えてみせるだろう」
コンツェは放心したようにずるずる、と椅子を鳴らして立ち上がり、その自らの行儀悪さに眉をひそめた。
「気は変わりません。退室を許可願います」
許可しよう、という王の言葉を背中に聞いて、コンツェはそそくさと部屋を出た。
かつかつ鳴る大理の廊下を歩きながら、はて、と首を傾げる。あのメルトロー人……容姿をひと目見て、即座に出身が思い至った。言葉の節々にメルトロー特有の流れるような抑揚があったが、第一印象はそれよりも前だ。白い肌に薄い色の瞳、薄い色の髪――そこまで考えて、コンツェはいよいよ眉根を寄せる。
特徴だけ並べたなら、フェイリットは〝まぎれも無く〟メルトロー人ではないか? なのになぜ、彼女と多く接していてメルトローのことを思い出さなかったのだろう。
彼女の言った「リマから来た」という言葉を、あっさりと鵜呑みにしていたことに気づく。
「……メルトロー人」
素性を偽ったところで、彼女がメルトロー人でもリマ人でも変わりはない。敵国だと位置づけてはいるが、流れてきた人間を非難するほど、イクパル民族たちの心は狭くない。混血の国であるからこそ身に着けたおおらかさを、知らないほうが少ないというのに。
「なぜ…リマ人だと偽った?」
「偽りなどございませんよ、私はしっかり、メルトローから参ったと、申し上げたではありませんか」
耳元で聞こえた囁くような声に、コンツェは飛び上がった。
「ア、アロヴァイネン殿」
「伯爵、と」
にっこりと笑って、カランヌは頷く。
いつの間に、付いて来ていたのだろう。いや、考えれば供にあの部屋を出たのだとするのが、一番理屈にかなっているが……。それにしては、気配がまったく感じられなかった。まるで空気のように、今まで自分の脇に寄り添って来たのではと考えると、空恐ろしさに身が縮んだ。
「アロヴァイネン伯……その、聞いていましたか?」
「何を、です?」
屈託の無い顔を向けられて、コンツェは首を横に振るしかなかった。この男はどうにも苦手だ。そう思って、また歩き始める。せっかく戻ってきたのだから、妹の顔でも見に行くことにした。
しかし、隣を歩く歩調はまったく離れていく気配を見せない。だんだんと苛立ちを覚えて、コンツェは足を止めた。
「アロヴァイネン伯」
「何か?」
「俺……いえ、自分はこれから用があるのですが、」
「はい、私も、貴方に用が」
「……何ですか。ご用なら、今ここで伺います」
「用といいましてもねえ。貴方にテナンをご案内頂ければとても嬉しいのですが。お忙しそうなところをお頼みするのもどうかと考えていたのですよ」
まったくその通りだと、喉元まで出かかった言葉を思い切り飲み込んで、コンツェは愛想笑いを頬に貼り付けた。
「忙しくなどありません。が、出来ればこちらの用が済んでからではいけませんか。お待ち頂くのも難儀でしょうから、こちらからお呼びたて致します」
〝こちら〟という言葉に何度も力が入ってしまったが、この際仕方が無い。どうくるかと、はらはらしながら覆面から覗いている蔦色の瞳をみやるが、意外とあっさりカランヌは頷いた。
「それでは、」と踵を返して去り行く背中を見ながら、お呼びたてなんぞしてやるものかと、コンツェは思った。
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