09 砂漠の帝国

 イクパルは砂漠の帝国なのだという。

 一年を通して乾燥が続き、一度太陽が天まで昇ったなら、肌をじりじりと焼く辛い昼の暑さが訪れる。

 フェイリットは馬の背に揺られながら、ぼんやりと目を細めた。


 ―――暑い。


 山中では経験できない暑さが、こんなに辛いものだとは。どんな気候にも順応できる身体を持っているはずなのに、涼しい環境で育った経験のほうがまさっているようだった。


 あたりには草一本生えていない。想像していた足がずぶずぶ埋まるような、流砂の砂漠が広がるわけではないらしい。馬の蹄で歩けるほどの、時おり石の混じる安定した大地が続いている。

 馬で行く近衛たちの隊列は、まるで蛇のように連なって砂漠の向こうまで続いていた。

 休みなく進むその列のさなかで、フェイリットは渇いた口で唾を必死に飲み込む。 


「大丈夫?」

 馬の前に相乗りするコンツェが、わずかに振り返ってフェイリットを見る。

「大丈夫、ありがとう」

 この暑い気候と怪我による微熱のせいで、ずっと吐き気がおさまらない。それでも無理矢理に笑顔を返して、フェイリットは首を振った。

 しっかりしなくては―――自分はもっと頑丈だったはず。そう思いつつ、暑さから気を反らすために目を閉じる。


「帝都までは遠いの?」

「夕方には着けるはずだ。本当は駱駝らくだで砂漠の真ん中を突っ切ったほうが早いんだけど、こうしてぎりぎりに沿って行ったほうが安全なんだ」

「真ん中を?」

「そう。イクパルの地形図は見たことあるか」

「……ある、いや、ううん無いかな…」


 フェイリットの曖昧な答えに首を傾げつつも、コンツェは緩やかに笑った。

「そうだな、イクパルは砂漠の国とは言われてるが、ほとんどが乾燥した高原に覆われてるんだ。黄茶色の小岩がごろごろしているようなね。砂漠は国土の中心部になる。今俺たちがいるのは東側で、帝都は西になる。だから帝都へ帰るには砂漠を突っ切るか、迂回するかで道が違うわけだけど。行軍で砂漠を突っ切るなんてまだ聞いたことがないよ。兵の消耗も激しいし、大きな町もないから休息もできない」


「へえ……ずっと砂漠だらけの国だと思ってた」

「無理もない。エルベ海を隔てたテナンみたいな公国としか、国交も貿易もないからね。そのテナンでさえイクパルの属国だ。ほかに国が四つ、皇帝の直轄領も入れて全部で六つの領地で帝国が成りたってる」


 見上げると、彼の焦茶の髪が目に入る。アンは赤毛だし、ワルターはコンツェより薄い色の茶毛だった。昨夜に出逢ったあの男は、闇にも溶ける漆黒。

 サミュンからイクパルは民族の入り混じる国だと習った覚えがあった。その記憶は正しいのだろう。いくつかの公国に、皇帝の直轄領を加えて構成されるイクパル帝国……。


「フェイリットはリマに住んでたんだって?」

 コンツェが再び振り返る。彼の深い濃茶の瞳が、優しげに細められた。

「アルマの山の麓に住んでいたわ、ほとんど山の中。でもリマに近かったから、何度か降りて遊んだりしてたの」

「それじゃあ君が最初に話した言葉、あれリマ語だったのか」

 どうりでわかんないわけだ、と納得したようにコンツェが頷く。


 山で暮らしていた頃も、使っていたのはメルトローではなくリマの言葉だ。リマに近かったし、ふもとに降りても危ぶまれないよう習慣づけていた。そんな習慣も空しく、まさかイクパル人に拾われてしまうなんて。


「コンツェは、イクパル人よね」

「うん、だけど出身はテナン公国だ。父が帝国の貴族で、頻繁ひんぱんにこっちに渡って来てて。それにくっついてあちこち回ってるうちに、大佐に引っこ抜かれたんだ」

「貴族……ワルターさんも貴族?」

 フェイリットが不思議そうに聞き返す。ワルターは貴族と言うよりは、生粋の軍人といった雰囲気を醸し出していた。体格がよく、野性味を帯びた切れ長の眼が印象に残っている。


「いや、大佐は皇族。そういえばアンも皇族だ」

「アンも?」

 驚きの声をあげるフェイリットを振り返ったコンツェが面白そうに眺める。


「見えないか? 遠い昔には皇帝も出したことのある家柄だよ。近いところだと、アンの父親が前代の皇帝の宰相だったんだ。だから今の皇帝陛下やワルター大佐とは古い仲になるか」

「前代の皇帝の宰相っていうことは、今は違う人が宰相なのね」

「そう。今はアンの兄上が就いてる。――ところで疲れないか? 馬は初めてだろう」

「ちょっとだけおしりが」

「ああ、どこかで休めたらいいんだけどな」

 あたりを見回しながら、コンツェが息をつく。


 ワルターやアンがいるあたりとは、だいぶ離れた後方を走っていた。後ろのほうが進む速度が遅いためだ。痛み止めも多めに打ってもらったが、何かあったら前列まで馬を跳ばすよう言われている。


「そうだ」

 馬を走らせたまま振り返って、コンツェはフェイリットのわき腹を抱き上げる。

「掴まって」

 言われるがままコンツェの肩に右手を乗せると、

 ―――引き上げられて、ぐるりと身体をコンツェの前に降ろされた。

「寄りかかって。きっとこっちのほうが楽だ。暑いかもしれないけど」

 肩の辺りを引き寄せられて、そのまま背中をコンツェに預ける。なるほど、後ろでバランスをとるよりかは楽な気がした。


「…あ、ありがとう」

 でもなんだか、この体勢は恥ずかしい。フェイリットの身体をほどよく包む彼の腕は、思ったよりも太くがっしりとしていた。


「どういたしまして。まだまだ帝都は遠いから、しばらくそうやって寝てるといい。なるべく静かに走るよ」

 ぼんやりと頷いて、フェイリットは彼の言葉のままに目を閉じた。


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