図書室の彼のひみつ

久里

第1話 図書室の彼は、変わり者?


 金曜日、放課後の図書室。


 時計に目をやると、もうすぐ午後四時。


 カーテンの隙間からこぼれだした西日が、本の匂いが充満するこの部屋を蜂蜜色に溶かしだす頃。


 あたしが時計から目を外してドアの方に目をやった、その時だった。



 また、彼が来た。



 ほとんど音を立てることのない、やさしく控えめなドアの引き方ですぐに彼なのだと分かった。


 女の子みたいに艶々のその髪は、彼が歩くたびにサラサラと揺れる。肌は真っ黒な髪と対をなすように、なめらかな白。真珠みたいにきらめく、きれいな肌。


 真新しいピカピカの学ランに包まれたその身体は、男の子にしては華奢な方。でも、制服の裾からちらりとのぞくその手は、女の子よりも一回りも大きくて、ところどころ骨ばっている。

 

 


 この言葉が彼以上にぴったり当てはまる人を、あたしは知らない。


 彼の名前は、月島つきしま 直翔なおと


 この春から入学してきた、あたしの一つ年下の後輩だ。



 彼は、いつも通り、あたしのいるカウンターの方へと向かってきた。

 黒い髪を揺らしながら、雪のような白い手に、重みのある分厚い本を携えて。


「返却、で大丈夫だよね?」


 彼は薄い唇を引き結んだままこくりと頷いて、無愛想にその本を突き出してきた。


 その表情は長い前髪に隠されていて、いまいち読み取れない。片手で受け取ったあかがね色のハードカバーの本は想像していたよりも重くって、慌てて両手で持ち直した。


 本の裏表紙をめくって、貸出日を確認する。

 

 やっぱり、昨日付だ。


 また、こんなに分厚い本をたった一日で読んじゃったんだ。

 いつも思うことだけど、活字嫌いのあたしには到底、信じられない芸当だ。


 月島くんは無言のままあたしが本の返却手続きを済ませるのを見届けると、すぐに踵を返す。


 そのすらりとした足はこのまま図書室から出て行こうとしていた。


 あれ?


 一冊返したら一冊借りていく、それがいつもの彼のルール。


 だから、今日も彼がお気に入りの一冊を見つけるまではここに残っていくものだとばかり思っていたけれど……。


「今日は、本借りていかないの?」


 月島くんが、ゆっくりと振り返る。

 彼の表情は、やっぱり長い前髪に隠されていてぜんぜん読み取れない。

 薄いけれども肉感的な形の良い唇が、今日、初めてあたしの前で言葉を発する。


「ええ。まだ読み終わっていない本があるので」


 久しぶりに聞いた彼の声は、グラスに注いだ水みたいに透明で心地良かった。


「そっか」


 あたしの言葉に小さく頷くと、彼は図書室を出て行った。


 図書室に響くのは、今年の春から三年生になった先輩方が受験という試練に備えてカリカリと鉛筆を走らせる音だけ。


 彼の去っていた図書室は、やけにだだっ広く感じられた。



 今年の春から高校二年生になったあたし、日向ひなた 由花ゆかは、一ヶ月前くらいに行われた委員会決めという大事な大事なじゃんけんで惨敗した。


 第一希望だった美化委員は人気が高かったからしょうがないけど、第二希望だった生徒委員は二分の一の確率だったのにあっさりと負けた。その後もあたしは、むしろ一度勝つことよりも難しいと思うほどに負け続け、気づいたら一番人気のない図書委員になっていた。


 みんなが図書委員を嫌がる理由は、単純明快。

 数ある委員会の中でも一番拘束時間が長いことにある。

 一週間のうちに何回か図書室に行って、じっとカウンター席で図書当番をしなきゃいけないのだ。


 よほどの本好きであれば天国なのだろうけれども、今時、本を読む高校生なんて本当に珍しい。スマホを筆頭に、漫画、テレビ、ゲームと分かりやすく魅力的な娯楽に充ち溢れているこの時代だ。現に、あたしのクラスにも自ら図書委員を志望する子は一人もいなかった。そして、クラスで一番運の悪かったあたしが、その役を押し付けられらというわけだ。


 活字嫌いのあたしが図書委員になったって言うと、みんなに笑われる。


 そうなった経緯は一言も言っていないのに、


『えーっ、由花がー? どうせ、じゃんけんに負けたからでしょ?』


 と、即座に決めつけられる。


 失礼ね! って怒りたいところだけど、本当のことだからぐうの音も出ない。


「うう……間違っても、本の似合うおしとやかな女の子キャラではないって分かってはいたけど……」

「なーにいじけてんのよ、由花」


 親友のともみがあたしの目の前の席を陣取って、コンビニの袋をぱさりとあたしの机の上に置いた。


「ふーん。由花がおしとやかな女の子キャラ、ねぇ……」


 ガサゴソとビニール袋の中から取り出したおにぎりをくわえながら、ともみは切れ長の瞳を細めてあたしを見る。どこからどう見ても、ニヤついている。


「馬鹿にしないでよ!」

「んー、気のせいじゃない? それより、お昼ご飯食べなくていいの?」


 うまく話を逸らされちゃった。


 でも、言われてみればお腹がすいているし、もう昼休みだ。机の横にかかっているスクールバッグからお弁当を取り出して、あたしも机の上にお弁当を広げた。  

 そこで、ふと、ともみに聞いておきたかったことを思い出した。



「ねぇ、ともみ。月島 直翔君って知ってる?」



 漆黒の髪を揺らして図書室を出て行く彼の姿が頭をよぎった。

 今日は月曜日。彼と最後に会ったのは、三日前のことだ。


 あたしがその名を口にした瞬間、親友は意味ありげに唇の端を釣り上げた。


「もしかして……由花、あの子に興味があるの?」


 一瞬、心臓を触られたみたいで、ちょっとドキッっとした。 


 でも、すぐに冷静になって、ニヤついているともみに慌てて反論した。


「そ、そういうのじゃないの! でも、あたしが図書委員の放課後当番の時、いつも必ず来るから、自然と名前を覚えちゃったのよ」


 月島くんは、あたしが放課後図書当番の金曜日、必ず図書室にやってくる。


 三年生なら、勉強に集中できる図書室に頻繁に来ているのも頷けるけれど、月島くんはまだ今年の春に入学してきたばかりの新一年生。もちろん新入生でも図書室を利用している子はいるんだけど、必ず毎週見かけるのは、今のところ彼だけだ。


「月島くんってちょっと前まで、中性的な美少年が入学してきたって噂になってた子でしょ。たしかに、顔まではよく見えなかったけど、遠めから見ても雰囲気のある子だった。でも、由花がああいうタイプが好きだったなんて、ちょっと意外かも」


 あたしは少しだけ身を乗り出して、机にバンッと手をつく。


「だーかーらっ、そういうことじゃないんだってば! 信じてくれないと、そろそろ本気で怒るよ?」


 頬を膨らませて怒った。

 ともみは口をもぐもぐさせながら、腑に落ちないという顔をする。


「ふーん……まぁ、とりあえずはそういうことにしておいてあげる。でも、月島くんって、結構な変わり者らしいよ」


 変わっている? 


 聞き捨てならない発言に、耳がぴくりと反応する。


「それって、どういうこと? たしかに、無類の本好きって意味では今時の高校生にしては珍しいかなぁとは思うけど……」


 ふっくらとしたたまご焼きを口に運びながら、あたしは首をかしげる。


 ともみは「そういうことじゃなくて」と前置きをした後、顔を寄せてあたしの耳に向かって囁いた。



「あのね、誰も彼がお昼ご飯を食べているところを見たことがないんだって」



 心臓が、ドキリと飛び跳ねた。


 たまご焼きを挟んだまま、お箸を持っていた手がぴたりと止まる。


 誰も、お昼ご飯を食べているところを、見たことがない? 

 黒いインクを垂らしたように、嫌な予感がじわじわと心のうちに広がっていく。


「ど、どういうこと? お昼に一緒に食べる友達がいないってこと?」


 周りの子よりも、ずっと大人びた雰囲気の香っている彼だ。


 中学生から進級したばかりのクラスメイトたちは、月島くんからすると子供っぽく映るのかもしれない。


 だとするなら、入学して早々にクラスに馴染みそこねているのだとしても全然おかしくない。それどころか、むしろそっちの方がしっくりくる。失礼だけど、彼がクラスメイトと和気あいあいと過ごしている絵面はどうやっても浮かんでこなかった。

 

 ともみは「中学時代から仲の良い後輩に聞いたんだけど……」と、声のトーンを小さく落として、ひそひそと語り始めた。


「月島くん、あの見た目だし、入学当初はモテていたらしいの。実際、勇気ある女の子が一緒にお昼ご飯でもどうかってちょっかいをかけにいったらしいんだけど、『僕、ご飯は一人で食べる主義なので』って、容赦なく跳ねのけたんだって。後日、その噂を聞き付けた男子たちが『月島って大人しそうな雰囲気なのに、案外ハッキリした物言いするんだな。お前のこと気に入ったわ。なぁ、俺たちと一緒に飯行かねー?』って、誘ったらしいんだけど『女子だから断ったわけじゃない。僕は、ご飯を食べたい、って言ったんだよ』って突っぱねて、そのまま教室を出て行っちゃったんだって」


 予想を飛び越えたショッキングな内容に、口があんぐりとあいてしまった。


 女の子からの誘いを断っただけなら、まだ分からなくもない。

 よっぽどちゃらついていれば別だけど、入学して早々に異性とお昼ご飯というのは周りの目も気になるだろうし、結構ハードルが高いとは思う。


 でも、男の子からの誘いも断っちゃったって、一体どういうこと……?

 誘ってきた子が、あんまり気が合わなさそうなタイプに見えたのかな。


「それから、月島くんのことを誘う猛者は一人もいなくなったわ。まぁ、そんなことがあったのなら、当たり前だけどね。おまけに彼、お昼になるとふらふらと行方をくらませていなくなっちゃうのよ」


 そう言ったともみは、まるで学校の怪談でも語るかのようで、少しだけ楽しそうだった。


 もしかしたらあまりクラスに馴染んでいないのかもしれないとは思っていたけれど、まさか、予想外だ。


 そんな風に誘いを断ってしまったら、どうやっても角が立つ。どちらかというと争いごとは好まなそうなタイプに見えるのに。そうまでして、一人の時間を確保したかったのかな。


「屋上とかで、一人で食べているのかな?」

「さぁね、私も詳しくは知らないの。でも、かなり変わってることだけは間違いないでしょうね」

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