第12話

何時間経ったのだろうか。綾子が帰ってきた。

「ただいま。」

呆然と座っている私を見て恐る恐る声をかけてきた。

「ああ、、、おかえり。出かけて貰って悪かったね。」

私は綾子の顔を見る事無く、テーブルの上の空っぽになったコーヒーカップを見つめながら話した。

「松原さん、綾子にも宜しく伝えてくれって言ってたよ。今何時?美容院で一番乗り出来た?私もそろそろ美容院行かないとなぁ。綾子の行きつけの美容院、男の人も行きやすい?今度行ってみようかな。」

息継ぎする事も無く話す私を綾子はどう思っているだろう。

私は私の中に溜まっている何かを言葉と一緒に抜き出したくて話し続けた。

「ああ、驚いたよね。急に松原さんが来て。ちょっと会社でトラブルが起きてしまって、今日は急遽全員休みになったんだ。松原さん、自分の部下の家に回って状況の説明しているんだって。大変だよね。私はパソコンを持って帰ってきてるから家でも仕事できるけど、昨日何も持たずに帰っちゃった人達はどうするのかなぁ。あ、でも急な休みで皆喜んでるかな。平日に休めるのはいいよね、映画館とかも空いてるだろうし。私も何か映画観に行こうかな。綾子も一緒に行く?今何か観たいのある?私は、ちょうど気になる映画があったんだよね、」

「あなた!」

異常に喋り続ける私の肩を綾子は両手で掴んだ。

「落ち着いて、、落ち着いてよ、、」

綾子の目を見る。心配している中に恐怖心が混ざっている様な顔をしている。

「、、、ねえ、何かあったならちゃんと話して?」

「何もないよ。会社のトラブルなんだ、私に何かあった訳じゃない。」

「でも、あなた、、なんかおかしいよ?」

「おかしくないよ、いつも通りだ。」

少し口角をあげてみる。きちんと笑えているのだろうか。

綾子は恐怖心の方が増した顔をした。


綾子の目をジッと見つめる。

私は部下を追い込んで自殺させました。

綾子には言えない。言いたくない。

この場所は一番落ち着く場所なんだ。


お互い視線を外す事無く沈黙が続く。

綾子の目には涙が溜まっている。

自分の旦那がおかしくなったのではないか、という恐怖心でいっぱいなのだろう。

視線をゆっくり外して、私は俯く。

「今日は金曜日だから、三連休になったんだね。たまにはゆっくりしようかな。」

そう言うと私は綾子を避け、寝室へ向かった。




それから土日は殆ど綾子と会話もせず、ただ家の中で死んだ様に生きていた。

綾子が仕事に行っている時間だけ、泣く事が出来た。

涙の意味は分からない。後悔?いや、私は松原の話を100%は理解出来ていない。

自殺した赤間への恨み?私の味方をしてくれなかった松原への恨み?

よく分からないまま、涙だけが流れていった。



月曜日。私は朝起きると身支度を始める。

物音で綾子も目が覚めたのだろう、リビングへやって来た。

「、、、会社、行くの?」

不安そうに尋ねてくる。

「なに?今日は月曜だよ?寝ぼけてる?」

目を見る事はせず、微笑みながらそう答えた。

「そう、、、」

沈黙の中、朝食を二人で食べる。

その空気に耐えられず、なるべく早めに食べ終わり出かける支度をする。

「、、、三連休ゆっくり休んだから仕事が溜まっちゃって。早めに会社行く事にするよ。」

「、、、わかった。行ってらっしゃい。」

綾子はもう玄関まで付いて来てくれる事は無かった。



自宅を出て、駅へ向かう。

外に出るのはすごく久しぶりな気がした。

私の気持ちなんて世界には全く関係無いのだ、と実感するほどに天気は快晴だった。

駅に到着すると、すぐにトイレへ入る。

個室の中で、鞄に入れておいた私服を取り出し着替え始める。

着替え終わり個室を出ると、鏡の前で帽子を深く被る。

「、、、よし。」

トイレを出て、会社の方面の電車へ乗った。


満員電車の中は、殆どスーツの人間でいっぱいだった。

私も数日前まではこの中の一人だったのだ。

会社の最寄りの駅まで誰とも会わない事を祈るだけだった。


最寄りの駅に到着すると、チラホラと同じ会社の人間を見つける。

より深く帽子を被る。


居ても立ってもいられず、思わず会社へ向かってしまった。

中に入る事は出来ないが、なんでもいいから様子を知りたかった。

会社の目の前にあるカフェに入る。

こんな場所にいても様子を知る事は出来ないだろう。

知っている顔ぶれが次々と会社のビルに入っていく。

社員が一人死んでも、他の社員はいつも通り働き続けるのだ。


−その時、指原が通るのを見かけた。

心臓がドクンっと鳴ったのが分かった。

指原は見るからに落ち込んでいる様だった。

社内で一番仲良い人間が自殺したんだ。それは相当辛い思いをしているのだろう。


私は何を求めてここに来たのだ。

指原を見かけてから怖くて顔を上げる事が出来ない。

俯いていると、甲高い笑い声と共に隣の席に30代ぐらいのOL2人組みが座ってきた。

気が散る笑い声だ、席を移動しようかと思い腰を少し浮かした瞬間、

「あっ!てか知ってる?自殺した子の話。」

「え?何?知らない。」

OLの会話に耳を疑った。

「うちのビルの5階のさ、映画の会社あるじゃん?」

「あー、うん。」

「あそこの社員が一人、先週自殺しちゃったらしいよ。」

「え?まじ?」

「その会社の人が金曜にエレベーターの中で話してるの聞いちゃった。」

少し浮かした腰を落とし、既に深く被っている帽子をより深く被る。

同じビルの人間か。

額に汗をかき始めたのが分かった。

「えー、やばくない?理由は?」

「それがさぁ、、、パワハラだって。」

「まじで?」

「上司の名前が遺書に書いてあったらしいよ、やばいよね。」

「え、でもそれってニュースになってもおかしくなくない?なってるのかな?」

「ううん、それが自殺しちゃった子のお母さんが公にはしないって事にしたんだって。まあ、マスコミとかにバレちゃったらアウトだけど。時間の問題じゃない?」

「うわーやばい。あの会社、そういう感じなんだ。やっぱ業界系ってブラックなんだろうね。」

「ていうか、このネタ、週刊誌に売ったらもしかしてうちらお金貰えるのかな?」

OL達の笑い声が頭の中で響き渡る。



終わった。

こうやってこの話はどんどん広まっていくのだ。

本当に彼女達がマスコミに売るかもしれない。

以前テレビで見た、社員が自殺をした会社の記者会見を思い出し、その謝る姿を松原や上の人間達に置き換える。

私は頭を抱え込んだ。


しばらくすると、OL達は人の気も知らずに楽しそうに去って行った。

私はもう精神の限界が近づいてきて、この場を立ち去ろうと思った。

その時、さらに私を追い込む光景が目の前にあった。


−綾子だ。

綾子がうちの会社のビルに入っていくところを見てしまった。

何故だ。綾子は今日自分も仕事のはずだ。

急いで携帯を取り出し、綾子へ電話する。

何度発信音が鳴っても綾子は出ない。

どうしたらいい?

綾子が会社を尋ねる事なんて今まで一度も無かった。

私が本当に会社に行っているのか確認しに来たのか?

まずい。誰か会社の人間と話してしまったら全てがはっきりとしてしまう。

やはり、綾子には事情を全て話しておくべきだった。

今後悔してもしょうがないので、急いでカフェを出て帽子をぎゅっと押さえながら会社のビルへ向かった。


恐怖心でいっぱいだ。

運良くエレベーターの中には同じ会社の人間は誰もいなかった。

動機が激しい。倒れてしまいそうだ。

綾子が会社の人間に接触する事を防げたとしても、この状況をどう話せばいいのだろうか。


5階に到着する。

死刑台のエレベーターが開いた気持ちだった。

バクン、バクン、バクン、バクン

動機の音で存在に気が付かれてしまうのではないだろうか。

ゆっくりと入り口に向かおうと角を曲がろうとすると、



「なんの御用ですか?お引き取りください!」

女性の大声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。

曲がり角からそっと顔だけ覗かせると、予感は的中した。

指原と、綾子が接触してしまった。

もう取り返しのつかない状況に逃げる様にエレベーターへ向かって走り、下のボタンを連打した。

二人の声が聞こえる。聞きたくない。早く逃げなければ。



エレベーターを乗ってから自宅に到着するまでの記憶は殆ど無い。

玄関のドアを閉めた瞬間、その場に座り込みゆっくりと深呼吸をした。

もう完全に終わった。綾子にも知られてしまった。


頭を搔きむしり、私は叫んだ。

「私が何をしたっていうんだ!仕事をしていただけだ!必死に働いてただけだ!私は間違ってない!自殺したあいつがおかしいんだろう!どうして私があいつに仕事を奪われなければいけないんだ!」


言い終わると涙が流れた。

これから先、私はどうなるんだろう。


−その時、携帯が鳴る。

発信者を見ると、綾子だ。

震える手で着信ボタンを押す。

うまく携帯が持てず、一度携帯を落としてしまう。

深呼吸をして拾おうとすると、

「、、、あなた?」

という綾子の声が携帯から漏れてきた。


怖い。

綾子と話す事が怖い。


ゆっくりと携帯を取り、耳元に近づける。

「、、、あなた、聞こえる?」

「、、、ああ。」

「あのね、、ごめんなさい、今あなたの会社に行って来たの。」

「、、、うん。」

「それで、、、全部聞いたわ。」

「、、、うん。」

「こんな大事な事黙っていて欲しく無かった。」

「わかってる。」

「わかってないから黙っていたんでしょう?」

綾子の声も震えているのが分かる。

「あなた、、、あなたが誤解だって言うなら私信じるよ。あなたが彼女を追い込んだりした訳じゃないって言うなら、信じる。」

彼女は誤解だと言って欲しいのだろう。

私の味方でいたいと思ってくれているのだろう。

涙が溢れる。

「、、、大丈夫よ。誤解なんでしょう?あなたがそんな事する訳ないもの。」

嗚咽を押さえられず喋る事が出来ない。

「あなたは優しい人だもの。私が一番わかってる。」

「わた、、、私は、、追い込んだりなんか、、、」

子供の様に泣きじゃくる私を綾子は電話越しに支えてくれている。

なんと情けない事だろうか。

「大丈夫、あなたは殺人犯なんかじゃないわ。ちゃんと話せば皆わかってくれるわよ。」

誰かに言って欲しかった言葉だ。

そうだ、私は殺人犯なんかじゃないのだ。

赤間を殺したのは、赤間自身だ。


「今から帰るから、これからの事ゆっくり話そう?」

優しい声に強く安心する。

「、、、わかった。」

本当に綾子と結婚して良かったと、人生で一番強く感じた瞬間だった。


少しだけ、ほんの少しだけ心が軽くなり、綾子の帰りが待ち遠しかった。


その日は久しぶりの心の底から微笑む事が出来た。

食事も取る事が出来た。

綾子と夜まで今後の事を話し合った。

引き下がると認めてしまう事になるから、会社が納得してくれるまで戦おうという決心がついた。

私がしてきた事はパワハラではなく、教育だ。と。



明日はきちんとスーツを着て、会社に行く。

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