第11話
10時ぴったりにインターホンが鳴る。
すぐにドアの鍵を開け、松原を迎え入れる。
「悪いな、午前中から。奥さんは?」
「大丈夫です。行きつけの美容院の今日1番のお客さんになってくると先程出かけて行きました。」
綾子は30分前に沈黙をかき消そうと無理矢理明るくそう言って出かけて行った。
「、、、そうか。気を遣わせて悪かったな。あとで宜しく伝えておいてくれ。」
「はい。どうぞ。」
松原をリビングへ通し、ダイニングテーブルの方へ誘導する。
「コーヒーで大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう。」
キッチンに向かってコーヒーを入れる。
コポコポコポコポ。手が震えているのが分かる。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
コーヒーを出して、松原の正面の椅子に座る。
さあ、ここからが始まりだ。試合開始のゴングが鳴った様な気がした。
「、、、早速だが社内調査で聞いた話の事実確認をさせて欲しい。」
「はい。」
長年一番落ち着く場所であったはずのこの場所が取調室へ変わった。
「先に伝えておくが守秘義務の関係で、誰が発言したのかは教えられない。」
そう言いながら松原は鞄の中から数枚の紙を取り出した。
そこには調査の内容が書かれているのだろう。
松原は険しい顔をしてどう切り出そうかを考えている。
「、、、まず、赤間の遺書によると赤間は持田の存在に耐えられない、という理由で自殺に至ってしまった。、、、思い当たる節はあるか?」
「、、、いえ。彼女は私の部下でしたので通常の注意をする事はありましたが、自殺に追い込む程の事は私はしていません。」
「ではここからは調査結果になるが、持田は自分の仕事が終わるまで赤間を帰さない様にしていた。もしも赤間が私用で先に帰る事があると、翌日は彼女に分かりやすく冷たい態度を取っていた。これは事実か?」
「そんな事していません、、、特別彼女に帰るなと言った事はありません。彼女も自分の業務をしていた為、たまたま私と同じぐらい退社時間が遅かっただけかと。赤間が早く帰ると言った日は帰していましたし、そこについて私が不満を持つ事はありません。誤解です。」
「、、、わかった。では次、赤間を会議室に呼び出し最長3時間ほど注意をした事はあるか?」
「、、、何時間かは覚えていませんが、ただ注意をしていた訳では無く業務のミーティングを会議室で行った事はあります。でもそれは通常の事かと思います。」
「ただ会議室で二人で行うミーティングだろう?、、、会議室の中で赤間が持田に責められて泣いていた姿を何名かが目撃している。通常のミーティングで部下が泣き出す事は無いだろう。」
「、、、責めていた訳では無く、通常の注意は何度かしました。ただそれは赤間の事を思ってです。彼女が今後仕事をしていく為にいくつかアドヴァイスをしただけです。、、、彼女は起伏が激しい面がありますから確かに泣き出す事は数回ありました。」
「赤間に対して不満を抱くと、赤間の業務範囲である打ち合わせにも同席させないという事はあったのか?赤間は周囲の人間に「打ち合わせに出させて貰えなかったから、何か不満を持たれているんだと思う。また会議室でミーティングしないと。」と漏らしていたそうだ。持田が行うミーティングは赤間が持田からの注意を全て受け入れ、謝った上で持田の下で勉強させて欲しいと言えばそこで終わる茶番のミーティングだ、と数名が社内調査で話している。」
「、、、なんですかその話、、、なんなんですか!」
思わず感情的になってしまった。
「そんな話をしたのはどこの誰なんですか?コミュニケーションを取る為の大事なミーティングだ!それに赤間を打ち合わせに出席させない時はいつだって赤間に原因がある時だ!」
「持田!落ち着け!冷静に話し合おう。」
今にも立ち上がりそうな私の肩を抑える松原。
「松原さん知ってますか?赤間は自分の思い通りにいかない事があると必ずそれを態度に出します。そんな態度、外の人間に見せられないでしょう?だから打ち合わせにも出す事が出来ない時があったんです!」
「わかった、わかったから、、、」
松原は頭を抱え、俯いた。
「、、、松原さん、はっきりと言ってもいいですか?」
「、、、どうした?」
「赤間、そんな事が理由で死んだんですか?」
そう伝えると、松原は目を見開いた。
「お前、、、本気で聞いてるのか?」
「はい。」
「理由はどうあれ、赤間は自殺したんだぞ?」
「だから、理由はなんだって良かったんじゃないですか?とりあえず上司の私の名前を書いておけば、と思ったのかもしれない。」
私は本気でそう思った。赤間の私への不満というのがあまりにも幼稚で、心底驚いていた。
「松原さんもよくご存知の通り、映画業界は厳しいですよ。相手先だっておかしい人は多い。そんな中で私は膨大な量の作品に関わっているんです。それは紛れも無く私の仕事だ。誰が打ち合わせに出るかだって私に決定権がありますよね。私にストレスを与える部下にわざわざ打ち合わせに出てもらいますか?私は赤間に対して異常な事はしていないし、追い込む事だってしていない。松原さん、赤間が自殺する事がおかしいですよね?私間違っていますか?」
バッと松原が急に立ち上がり、私を見下ろす。
「、、、持田、お前はこういう状況になっても自分の事しか考えられないのか?」
「え?」
「お前はよく働いている。それは皆もわかっている。赤間に出来なくてお前なら出来る事もたくさんあるだろう。、、、でもお前は基本的な事を忘れている。」
「私のどこが、、、?」
「うちの会社はお前の会社ではない。お前だけの作品なんていうのは存在しない、会社の為の作品なんだ。赤間もうちの社員だ。お前の独断で赤間の業務を減らしていい訳がないだろう?それを当たり前だと思っている内はお前とは話し合えない。」
「そんな、、私だって会社の事を考えて働いています!」
「会社の事を考えているなら、今後お前はどうする?」
「は、、?」
「自殺したんだよ!うちの社員が!お前がどう言おうとお前が原因になってるんだ!それを自殺した方がおかしい、だ?一度も自分の発言と行動を振り返らずに言ったよな?、、、お前どういう神経してるんだよ。」
今までにこんなに怒鳴り声をあげた松原を見た事が無い。
私は目を見開いたまま固まってしまった。
「、、、あの」
「持田お前、この前〇〇の女性社員が自殺したニュース見たか?」
「え、、、はい。」
「俺さ、あのニュース見て、パワハラって簡単な表現されるとさ、そんな事言ったら俺たちの若い頃なんてパワハラしか無かったよな、今の若者はそれで自殺しちゃんだな、そんな事で、って思ってたよ。でも、、、時代は変わったんだ。働く限り時代を理解していかなきゃいけないんだ。あの女性社員だって、赤間だって、この時代で頑張ろうとしてたんだ。自殺するまで逃げ出さなかったんだ。お前の目から見て、赤間は頑張ってなかったのか?」
赤間の姿を思い出す。どんなに私から厳しく注意を受けて泣いたとしてもすぐに切り替えて仕事を続けた。深夜まで仕事がかかったとしても、作品の事を考え楽しそうに働いていた。一つの作品が完成すると、毎回私に「絶対売れて欲しいですね、私宣伝戦略考えてみるので提案させて下さい!」とすごく良い笑顔で話していた。
そうだ、あの時だけは必ず赤間は笑顔だった。
彼女は本当に映画を愛していた。その笑顔を見て若い頃の私をよく思い出していた。
「今の時代、ちょっとした事でもパワハラだって上に訴える若者が多いんだよ。甘い若者だってたくさんいる。でも赤間は一度も俺とか他の上司に訴えた事は無い。仕事が楽しくて、映画が好きだからずっと耐えてたんだ。逆に赤間が俺たちの時代に合わせてくれてたんだよ。そんな人間から作品に関われるチャンスを奪っていったら、それは相当精神的に辛かったんじゃないのか?大げさかと思うかもしれないけど、自殺するまでにな。」
私は頭の中が赤間の働く姿でいっぱいになっていた。
松原の言葉を冷静に受け止めて、今すぐに赤間と話し合いをしたかった。
でももういない。赤間はもういないのだ。
松原は結局一度もコーヒーを口にする事は無く、とっくに冷めきってしまっていた。
私は冷めきったコーヒーをぼんやり眺めていた。
「持田、、、お前の今後についてはまだ決められていない。また今日も出社したら上と話す予定だ。、、、でもお前がもし戻ってくるなら、今日の話をお前なりに理解してから戻ってきて欲しい。」
「、、、はい。」
「また連絡するが、落ち着くまでは自宅待機だ。」
「分かりました。」
大事な事を言われているのは分かるが、空返事しか出来ない。
松原は帰り支度を始め、冷めきったコーヒーを一気に飲み干した。
「じゃあな。」と私の肩をポンっと叩き、松原は出て行った。
バタン、と玄関が閉まる音が聞こえたが、私は椅子に張り付いてしまった様にその場からピクリとも動こうとしなかった。
「今日から入社しました、赤間由理です。宜しくお願い致します。」
緊張しながら最初に挨拶をしてきた赤間の姿を思い出していた。
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