第67話 リヨンド子爵

 男性が扉をノックする。

「旦那様、エミーリア様とお付きの方がおいでになりました」

「どうぞ」

 中から声が聞こえ、我々は執務室に通される。

 部屋の中に入ると、重厚な執務机の向こうで40代後半の男性が立ち上がり我々を出迎えた。

「エミーリア、兄上が亡くなってからだから10年近くぶりになるか」

 背の高い、しかし少しひょろっとした感がある身体を清潔感のある白いシャツに包んだ子爵は、上品な口ひげを揺らしながらそう言うと、ゆっくりとこちらに歩み寄る。

「はい、お久しぶりでございます」

 エミーリアがドレスの裾をつまんで一礼した。

「しかし、大きくなったね」

 穏やかな空色を湛えた瞳でそう言い、子爵はエミーリアを間近で改めて見た。その瞳が一瞬驚いたように大きくなり、その後、彼女を安心させるように目じりの皺を少し深くした。それからアキラの方を見る。

「こちらの子は?」

「あ、はい、今私が日中お手伝いさせていただいている方の従者で、アキラさんと言います。今日は私に付き添ってくれました」

「子爵閣下、お初にお目にかかり光栄です。アキラと申します」

 私を後ろに回し、アキラは流れるように淀みのない動作で子爵に挨拶をした。雀百まで踊り忘れずというが、幼い頃に叩きこまれていた所作が時折顔を出すことがある。

「そんな畏まらなくて構わないよ、今日はエミーリアのためにありがとう」

 そう言い、子爵は並びの良い白い歯を見せて笑った。

「畏れ入ります」

 アキラはそう言って顔を上げた。

「さあ、立ち話もなんだ、そこにかけて話をしよう」

 子爵の男性にしては繊細な指先が示したのは、執務室の中央に備えられた応接セットだった。

 マンセット商会でカリバドル氏との面会の際の応接セット同じような構成であるが、こちらは白色を基調とした豪華な、しかし嫌みの無い装飾が施された物だった。

「さあ、どうぞ」

 子爵自らにうながされ、畏れ入りながらエミーリアとアキラが長ソファーに腰掛ける。

「ハンネス、お茶とお菓子の用意を頼む」

 子爵は、入り口で待機していた先ほどの男性、ハンネスさんに指示を出す。

「畏まりました」

 ハンネスさんは、一礼すると部屋を出る。

 執務室の扉が静かに閉められた。


「さて」

 子爵がエミーリアの方を見る。

「今日、午前中に突然マンセット商会の方から手紙が届けられて驚いた。兄上の遺言とそれに関連したことで君が訪れるはずだとね」

 ブドルク男爵の遺言。それはカリバドル氏との話の中では出てこなかった話である。

「本当に突然だった」

 その言葉にエミーリアが小さくなって謝罪した。

「突然の訪問になってしまい申し訳ございません」

「いやいや、その事自体はさして気にしないでいいよ、幸いなことに今日は外出するような用向きもなかったしね」

 エミーリアを安心させるように子爵はそう言って朗らかに笑う。そこからは彼の穏やかな人柄があふれ出ていた。それもきっと彼が伯爵家の婿として見出された一因なのだろう。

「ただ、兄上の遺言というのが、私としても気になるんだ」

 そう言った子爵の瞳の光は引き締まり、エミーリアが抱えている書類袋を見ていた。

「見せてもらえるかな?」

「はい」

 エミーリアは書類袋から、中型の封筒を取り出すと子爵に差し出す。

「マンセット商会のカリバドルさんが、まずこちらをお読みになるようにと言っておられました」

「失礼」

 子爵は封筒を受け取ると、政務机の方に歩いていきナイフで封筒を開いた。

 そして、中身に目を通す。

「なるほど」

 そう一言し、再びエミーリアたちの方にやって来た。

「事情はだいたいわかった。あと、他にも預かってきたものがあると思うのだが」

「はい、こちらです」

 エミーリアは立ち上がり、今度はあの大きな革封筒を子爵に手渡した。その厳重な封印を見て、子爵は再び執務机の方へ行き、慎重に封印を解くと中身を取り出した。

 封筒の中にはさらに手紙や書類のようなものが入っていたようである。執務机の上にそれらを並べ、子爵はそのうちの1通の封筒を取りあげて開くと、中の手紙に目を通しだす。だが、そこに書かれた文字を追ううちに、子爵の眉間に縦じわが寄り、その瞳は明らかに何か深刻な問題を見つけたかのように緊張感を纏った。子爵はやがて手紙を持った手を下ろす。

「そういうことか」

 恐らく意図せず漏らしてしまった声だ。

 そのどこか呆然とした顔も併せて、手紙の内容がかなり衝撃的、もしくは重要だったことを示している。エミーリアもそれはわかったようで、心配そうに子爵の顔を凝視していた。

 

 扉をノックする音が、一瞬止まっていた執務室の時を動かし始める。

「お茶をお持ちいたしました」

「ああ、入ってくれ」

 子爵の声を受け、ハンネスさんとカートを押した侍女らしき女性が入ってきた。エミーリアとアキラの前に、焼き菓子が盛られた皿が置かれる。

「旦那様もこちらでよろしいでしょうか?」

 ハンネスの声に子爵は無言で頷く。カートの上で3組カップにお茶が注がれ、微かに柑橘系のような香りを含んだ湯気が緩やかに立ち上った。

 そして、それぞれがアキラとエミーリアの前、そして2人の向かいに置かれた。

「旦那様、他に御用はございませんでしょうか?」

 ハンネスさんの言葉に子爵は緩やかに首を横に振る。

「いや、ない。それとしばらくは余程火急の用件以外では、こちらに来ないように」

「畏まりました」

 一礼してハンネスさんと侍女が執務室を後にした。

 再び静かに扉が閉じ、執務室は再び静まり返った。


「冷めないうちに飲むといい」

 子爵はそう言い、やや疲れたような様子でソファにどっかりと腰掛けると、自分の前のカップを手にする。

 爽やかな香気を放つ湯気を吸いこみ、小さく息を吐いてからカップを傾けた。

 そして、静かにカップをソーサーの上に戻すと、エミーリアの方をまっすぐと見る。

 エミーリアは背筋を伸ばしてその視線を受け止めた。

「正直、どこから話せばいいのか、私も戸惑っている」

 少し湿り気を帯びた重い声が、子爵の戸惑いを如実に現していた。

「そうだ、まずは舞踏会のことだ」

 どうやら、カリバドル氏の手紙にエミーリアが舞踏会への参加を希望している旨が記されていたらしい。

「王宮への紹介は私がしよう」

 子爵はやや疲れた様子だが、笑みを浮かべる。

「ありがとうごいます」

 エミリーアが頭を下げる。

「顔を上げてくれ。何、他にも紹介状を書いているから、そのついでさ」

 その中にはブドルク男爵夫人とその娘たちも入っているのだろう。

「でも子爵様、私は貴族籍がありませんが大丈夫なのですか?」

 その言葉に子爵は小さな笑顔を浮かべ立ち上がると、執務机から1枚の羊皮紙を持って来る。

 そして、それをテーブルの上に置いた。

「これは何かわかるかい?」

 何かの証明書類のようだった。エミーリアがその羊皮紙の上に走る文字を追う。

「これは……、貴族籍の証明書? でしょうか」

 子爵は頷く。

「そう、そして名前の欄を見てごらん」

 子爵が指さした箇所にはこう記されていた。

『エミーリア=ブドルク ブドルク永続男爵家 家人』

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