第66話 リヨンド伯爵邸
鉄柵で囲われたリヨンド伯爵の王都屋敷の敷地は、そこそこの広さの芝生と花壇がある前庭、それに左右対称の本館を合わせるとサッカーコート1面分は優にありそうだった。
リヨンド家の領地はさほど広くはないと聞いていたが、それでも面積が限られている内区でこれだけの大きさの敷地を取れているのだ、伯爵の爵位は伊達ではないといったところか。
正面の鉄柵門は、昼間だからだろう大きく開いており、細かい石畳を敷き詰めた広い道が正面玄関まで続いていた。
「入っていいんですよ、ね?」
空に伸びる正面ゲートのアーチを見上げながら、アキラが確認するように聞いてくる。アーチの中心には伯爵家の紋章が飾られ、いかにも貴族の屋敷の正面玄関と言った感じだ。正直、生まれてこの方、こんな屋敷とは縁がないのでどうすればいいのか私にもわからない。
最初は、ゲートの横に守衛でも立っていて、取次をしているのかと思ったがそんな人影はなかった。入ろうと思えば誰でも侵入できそうなのだが、大丈夫なのだろうか。そういえばセントポール地区の邸宅の多くも、塀に設けられた門には扉自体がないパターンが多かった。防犯上どう考えても問題がありそうだが、そこらへんは大らかな世界なのかもしれない。
<エミーリア、このまま敷地内に入ってしまっていいのかい?>
「はい、この石畳の道は来客用の道でもありますので」
エミーリアが強いまなざしで館の正面玄関を見据える。
どうやら昼食を食べ、一回落ち着く時間を持ったことはいい方向に働いたようだ。
といっても、エミーリアは食は大分細くなっていたのだが。
「では、いきましょう」
珍しくエミーリアが自分が先頭となって石畳の道へと踏み出した。
その道を半分ほど進んだところで、どこからか犬の激しい吠え声が聞こえてきた。思わずエミーリアが足を止める。どうやらここからは見えないが、どこかに犬がいるらしかった。
吠え声が近づかないところを見ると、どこかに檻があるか、繋がれているのだろう。
生きた警報装置といったところだろうか。
とりあえず、あまり吠えられ続けるのは迷惑だし、犬も疲れるだろうから、私は穏やかさと親愛の心象をイメージし、それを乗せたマナを解き放った。
すると、激しいかった犬の鳴き声が止む。
【共感】魔法の応用で、動物たちにある程度のイメージや情報を届けることができるのだ。夜、ペギョールを追い払う際に使用したのはこれである。
(さて、これでよし)
そう思った瞬間である。
また、犬が吠えだした。しかし、それは警戒の吠え声ではなく、どうやらかまって欲しい旨を訴えているようである。
悪いが、屋敷の人にかまってもらってくれ。
犬の訴えを無視して我々は正面玄関に辿り着く。そこには白く塗られた巨大な両開きの扉があり、その横に目立たない小さな通用口らしい扉があった。
エミーリアは通用口の脇から伸びている紐を引っ張る。なんでも地下の使用人部屋の鐘に繋がっているそうだ。
少しの間の後、小さな扉ののぞき窓が開いた。
「失礼ですが、どなた様でしょうか?」
屋敷の使用人だろうか、穏やかでメリハリの利いた声が扉の向こうから聞こえてくる。
エミーリアは自分の名前を告げ、マンセット商会のカリバドル氏の紹介であること、子爵に取り次いで欲しい旨を告げた。
「少々お待ちください」
覗き窓のスライド式の戸が閉められた。
5分も待たなかったような気がする。ゆっくりと白塗りの扉が開かれた。
「子爵様がお会いになります。どうぞこちらへ」
先程の声の主だった。年の頃は60代といったところか、中肉中背だが折り目がついたような立ち振る舞いとその声はまさに貴族の屋敷の使用人といった感じである。
「そちらはお預かりいたしましょうか?」
扉をくぐり、吹き抜けとなった玄関ホールに足を踏み入れたところで、男性はアキラが抱えている私を見てそう言う。
「いえ、こちらも重要な品ですので」
アキラが断ると、男性は少し懸念の色を見せる。
「失礼ですが、中身はなんでしょうか」
エミーリアとアキラが顔を見合わせる。
ここで変にごねても後に悪影響がでかねない。アキラが何かを覚悟したような顔をした。
「ホウキです」
そのきっぱりとした物言いに、使用人の男性は一瞬、聞いた言葉の意味がわからなかったようだ。
「ホウキでございますか?」
「はい、間違いなくホウキです!」
エミーリアもアキラに続く。
「確認してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
アキラが男性に私を手渡す。包んでいたシーツが剥がされと、私の生まれたままのホウキの姿が現れた。
「ホウキでございますね」
「「はい、ホウキです」」
アキラとエミーリアの声がハモり、玄関ホールに響いた。
男性はそれにちょっと押されるように一歩下がる。
「でしたら、なおさらこちらでお預かりしても問題はないのではないでしょうか」
「いえ、申し訳ありませんが重要な品なので」
男性は改めて私を見回し、異常がないことを確認する。
「失礼ながら、普通のホウキのように存じますが」
「はい、ただのホウキですが僕が仕えている家の家宝なのです」
「家宝、でございますか?」
折り目がついたような貴族の使用人が困惑の表情を大いに浮かべた。
まあ、ホウキが家宝なんてどんな家だよというところだが、実際、伝統がある家には他から見たら価値がよくわからない家宝もあるのは確かである。
「失礼いたしました。それではお気をつけてお持ちください」
一応無害だと判断したのだろう、そう言うと男性は私を包みなおそうとするが、アキラがそれを止める。
「包み方がコツがありますのでこちらで」
さすがに全体を包まれると視線が通らないので所々に覗き穴を作るということが必要だった。このちょうどよい包み方を見つけるためにも、当初は四苦八苦したものである。ほんの数日前のことがえらく遠い過去のように思えた。
<すまないね、苦労ばっかりかけてしまって>
<なにを言ってるんですがオトーサン、いつものことじゃないですか>
「これで大丈夫です」
「それでは、こちらです」
とりあえず、この奇妙なやり取りは飲み込んでしまうと決めたらしい。男性は改めて折り目正しい切れのある動作で2人を案内する。
その背中を追い玄関ホールを抜け、左に曲がった廊下の先、一番奥の突き当りの大きな両開きの扉の前まで来る。
どうやらそこが子爵の執務室のようであった。
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