第65話 3通の手紙

「しかし、なぜ舞踏会に参加したいのですか?」

 カリバドル氏のその問いかけにエミーリアが躊躇し、こちらを見た。

<私たちの目的は内緒で>

 小さく頷いた彼女は、詰まりながらも王子に以前助けられたこと、その時に借りたハンカチーフを直接会って返したいことを述べた。それを穏やかな笑みを浮かべながらそれを最後まで聞いたカリバドル氏は、ゆっくりと立ち上がった。

 解放されたソファが喜びの声を上げる。

「事情はわかりました。先程申しました通り少し時間がかかってしまいますが、ここでお待ちいただけますか?」

 カリバドル氏の言葉にエミーリアがうなずく。

「では、少しの間失礼いたします」

 彼は緩やかに一礼してから、のそのそとした足取りで部屋の外に出る。


 なんともいえない沈黙が応接室に降りた。

「一体、どういうことなんでしょうか?」

 エミーリアがどこか呆然とした様子で言った。その灰色の瞳は、ここではないどこかを見ているようである。

<さあ、私にもさっぱりだけど、本当になんとかなるなら、一気にいろんな問題が解決するな>

「そうですね……」

 エミーリアが深く息を吐いてソファの背もたれに少し寄りかかる。

 その直後、ノックの音が響いた。

 まさに跳ね起きて、エミーリアが姿勢を整える。

 もう一度ノックの音がした。

「エミーリア様、お連れの方をご案内いたしました。よろしいでしょうか?」

「あ、申し訳ございません。どうぞ」

 エミーリアの返事と共に扉が開かれ、アキラが入ってきた。

「それでは、今お茶をお持ちいたしますので、お座りになってお待ちください」

 先程、私たちを案内した男性がそう言って扉を閉じる。

「一体どうなっているんですか?」

 アキラが周囲を見回してから、エミーリアの隣に腰を掛けた。

<それが、私たちもよくわからないんだ。ただ、舞踏会への参加できる可能性が出てきた。あとエミーリアがブドルク男爵家からの自立については手伝えるって話がでてきたな>

「エミーリアさん、あの家を出るんですか?!」

 舞踏会の事よりもアキラにとってはそちらの方が大きい出来事のようである。エミーリアはアキラの方を見ずに小さく頷くと、また何もない空間に視線を合わせながら口を開いた。

「夜にペギョールさんが私なんかどうなっても良いってはっきり言っていました。そして、奥様も舞踏会が終わった後、私を何とかしようとしているとも。だったら、私はもうあそこにいる必要がないんだなって思ったんです。だから」

 恩を返しているつもりで今まであの家に留まっていたエミーリアだが、もはや自分がいる必要がない存在だと知らされたことにより区切りがついたのだろう。それは彼女のことを考えれば歓迎すべきことなのだろうが、その内心では様々な思いが入り乱れているはずだ。何の保証もないまま、新たな海に漕ぎ出そうとしている彼女にとって、カリバドル氏の助力が大きな助け舟になればよいのだがと願う。


 カリバドル氏が再び応接室に姿を現すには、それから2時間半は優にかかった。

「大変お待たせいたしまして、申し訳ございません」

 やや息が上がった様子のカリバドル氏は、そう言うと立ち上がって迎えたエミーリアたちに席を進めてから、自らも大きく息をつきながら向かいのソファに身体を沈めた。その下で、いつか折れるのではないかと心配してしまう抗議の悲鳴が上がる。

「それでどうだったのでしょうか?」

 ハンカチで汗を拭っているカリバドル氏にエミーリアが尋ねた。その口調は希望と失望の間の海で揺れ動いてる。するとカリバドル氏は、上気した顔を笑みにした。

「大丈夫でございました。これなら舞踏会への参加の願いも叶うかと」

 その言葉にエミーリアは灰色の瞳を大きくし、アキラは密やかに拳を握った。

「それでは早速ではございますが、今からの説明をよくお聞きになって、それをできるだけ今日中に実行に移すことをお勧めいたします」

 そう言い、彼は持ってきた革製の書類袋の中から何かを取り出す。木目が綺麗に浮き出たテーブルの上に並んだのは、大中小の封筒だった。

「まずリヨンド子爵のお屋敷に行き、私の名前を出して子爵に取り次いでもらって下さい、子爵のご都合がつけばすぐにでも会って下さると思います、エミーリアさんはリヨンド子爵はご存じですよね?」

 その言葉にエミーリアは頷く。

「男爵様がまだご存命だったころ、何度かお目にかかったことがあります」

「では大丈夫だと思いますが、もし万が一、取り次いでもらえなかった場合は、急ぎ私のところにお越しください。いいですね」

「はい」

「では、子爵と面会がかないましたら、直接、子爵にこちらをお渡しして、読んでいただいて下さい」

 分厚い指が指したのは、中型の封筒だった。

「そして、読んでいただいたら次にこちらをお渡しください」 

 示されたのは大きな方の革封筒だった。その封筒には封印がされ、さらに細い編み上げ紐が十字に掛けられ、口が容易に開かないようになっている。

「この封筒の中身が一番重要でございます。そして、決して替えがきかないものですのでくれぐれも慎重に扱ってください」

 今までにないほどカリバドル氏の目が真剣だった。思わずエミーリアは唾を飲む。

「わかりました」

 その言葉を受けて、再びカリバドル氏の顔が福福としたものへと変わった。

「子爵がこの封筒の中身を確認すれば、ひとまず舞踏会への参加については何とかなると思いますよ」

 そして、小さな封筒を指さす。

「そしてこちらですが、これは舞踏会の準備のためのものですが……」


 今朝は上るのに時間を要した石段を、帰りは意識する間もなく降り切った。石造りの建物の中にずっといたためだろうか、中天から差す日の光が妙にまぶしく感じた。見上げると夜からずっと空を覆っていた雲もいつの間にかどこかに消えている。

 相変わらず激しい馬車の往来を避けマンセット商会から離れたところで、我々はやっと息をついた。

「いろいろありましたね」

 アキラの言葉にエミーリアがうなずく。その胸には先ほどの受け取った革の書類袋がしっかりと抱えられている。

<しかし、まさかグラハムさんとカリバドル氏が甥と叔父の関係だったとはな>

 カリバドル氏が用意した小さな封筒の中身は、カナン商会に身を寄せているグラハムさんへの紹介状と舞踏会の準備の際にかかる代金の立て替えについての手紙だったのである。

<さすがにびっくりですね>

 本当のところグラハムさんの事よりも、舞踏会への参加がなんとかなりそうなことについてや、その他にも考えるべきことはあるのだが、これまで停滞していたことが嘘のように一気に進み始めたため、正直私もすべてを受け止め切れていない部分があった。そのため、逃げるようにグラハムさんの事について話題が振られていた。

(どうも、浮足立っているな) 

 とりあえず、一度どこかで落ち着く必要がある。実際のところ先への展望が見えたようにも感じるが、すべてはこれから訪れるリヨンド子爵家でのやり取り次第であった。ぬか喜びになるとも限らない。

 こんなことになるとわかっていれば、私ではなくリブラ教官が一緒に来るべきだった。

 とりあえず、ここにはいない教官への報告も必要である。

 それら諸々を含めて、今やるべきことは。

<昼食にするか>

「そうですね、考えたらもうお昼を過ぎています」

<だったら、下手に内区の店を探すより、少し歩かないといけないが竈の火亭にしよう。たぶん、その方がエミーリアも落ち着けるだろ?>

 しかし、エミーリアは何か別の考えで頭が一杯のようで【思考会話】に気が付いていない。私はその灰色の頭を柄で軽く小突く。外から見れば、アキラが手にした白い長物で彼女の頭を小突いたように見えるようにした。

「痛っ!」

 エミーリアは左手で小突かれた箇所を押さえる。しかし右手でしっかりと書類袋は抱えたままだ。

「ちょっと、オトーサン何をするんですか!?」

 アキラが慌てて、エミーリアの頭に手を伸ばす。

<朝、リブラも言っていただろう『空腹は強卒すら弱卒にする』って、これから行く子爵家のことやいろいろあるだろうけど、今は食事をしっかりとって次に備えるべきだ>

「はい……、そうですね」

 頭を押さえて涙目になったままでエミーリアは頷いた。

 その瞳に意思の光が戻ってきていた。どうやら、少しは地に足が着いたようだ。


 竈の火亭で昼食を取りながら、私はリブラ教官の方に進行状況を報告した。

<そうか、それは朗報だな。で、そのリヨンド子爵というのは、確かブドルク男爵の弟だったな>

 ブドルク男爵の弟はリヨンド伯爵家に婿入りしていたが、現在は伯爵の従属爵位である子爵の地位を名乗っていた。

<はい、エミーリアも幼い頃、何度か会って面識があるらしいですが、男爵が亡くなられた後では初めて会うことになるそうです>

<ひとまず、少しでも面識があるならエミーリアも屋敷を訪れやすいだろう。ところで、マンセット商会がなぜエミーリアに換金ができる紙を渡していたかについてはわかったのか?>

<それが、カリバドル氏はその点についても子爵に説明をしてもらうようにとのことでした>

<では、すべてはこれからの子爵とのやり取り次第なんだな>

 そう改めて他人に指摘されると急に緊張感が湧き上がってくる。

 エミーリアの事を言えた義理ではない。

<はい、それについてはひとまず、エミーリア自身の意思と流れに任せてみようと思っていますが、必要なら助け船をだしてフォローします>

 一瞬の途切れの後。

<頼りにしている>

 それは恐ろしくまっすぐで素直な思考だった。

 なぜだか胸が少し高鳴った。

<と、ところで、そちらの状況はどうですか?>

 照れ隠しに、リブラ教官の進み具合の方へと話題を変える。

<それが今日もセントバンスさんとは時間がとれなかった。約束を取り付けようにもはぐらされてばかりでな。どうも避けられている気がする>

 祝祭直前で忙しいというのはわかるが、それでもやはりこの対応の変わりようは何かあるとしか思えない。そこら辺をローガンから引き出されればいいのだが、昨日はわからないと言っていた。

 それが、本当か嘘かもわからないが。

<とりあえず、こちらが上手くいけば無理にセントバンスさんと交渉を持つ必要がなくなりますから>

<そうだな、その方がいいな。改めてよろしく頼む>

<エミーリアと一緒に善処します>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る