第64話 マンセット商会

 御者の掛け声と鞭の音、蹄が鳴らす独特のリズム音。マンセット商会の石造りの建物の前は、今日も馬車の行き来が絶え間がないように続いている。その間をかいくぐり、私とアキラ、そしてエミーリアはマンセット商会の前まで来ていた。

 目の前には石段がある。

 ほんの数段上がれば、そこには開け放たれた入り口がまっていた。

 足を止めたエミーリアは、視線を下げ最初の石段をずっと見ている。

 私とアキラは、その様子を静かに見つめていた。

 その間も、人々が我々を避けるようにして石段を上り、そして下って来る。

 エミーリアがわずかに顔を上げた。

 その時、それまで雲に隠れていた太陽がわずかに顔をのぞかせる。

 降り注いだ光が白色に近い石段を輝かせ、光の道を描いた。

「行きます」

 エミーリアはそう言って石段へ一歩踏み出した。

 

 扉の向こうに見えるマンセット商会の建物の中は、カナン商会とは大分違っていた。木製の長いカウンターが店内を横断し、用意された長椅子で客と思しき人々が自分が呼ばれるのを待っている。まさに銀行を思わせる配置だった。

「何かご用件でしょうか?」

 どうやら、若輩の二人連れということで気になったのだろう。入り口をくぐろうとしたところで、手に杖を持った警備をしていると男が前に立ちふさがった。

 壁のように幅広の体の上で、ギョロっとした眼が2人を見下ろす。

 エミーリアがシーツで包まれた私を強く握る。

 そして、その小さな唇を開こうとした時。目の前の男が角ついた顔を何か疑問が出たかのように傾けた。

「お前さん、いつも3か月ごとくらいに来ているあの子か?」

 どうやら、男は季節ごとに商会を訪れていたエミーリアの顔を覚えていたようである。

「はい」

 エミーリアが答えると、男の表情から強張りが抜けた。

「いつもと違う服を着ているし、変な物を持っているから一瞬わからなかった。で、時期が少し早いようだが、今日もカリバドルさんに用か?」

「はい、取り次いでいただけますか?」

 男はチラと店内を見渡す。

「ここのところ忙しいから、時間があるかわからんがちょっと待っていろ」

 男はもう一人いた警備役らしい男に声をかけると、大きな体でなんとか邪魔にならないようにと、店内を大きく回り込みカウンターの端に辿り着く。そして、カウンター向こうの商会の人間を呼ぶとこちらを指さしながら何事かを伝え、また戻ってきた。

「今、確認してもらっている。それまで邪魔にならないところで待っているといい」

「ありがとうございます」

 エミーリアは男に頭を下げ店内に入る。

 ざわめきが絶えない店内は、やはり建物同様に歴史の重さを感じさせるものであった。客が座っている椅子や長椅子、それにカウンターいずれに使われている木材も経年によってのみ出すことができる艶やかさで光っている。私たちは、他の客から距離を取るように隅の方に立って知らせが来るのを待った。

 やがて、ひょろっとした細面の男がこちらに近づいてきた。

「エミーリアさんですか?」

「はい」

 エミーリアがうなずく。

「カリバドルが、お会いになります。ただしエミーリアさんおお一人です」

 顔を見たエミーリアにアキラが無言でうなずく。

「お願いします」

「では、こちらへ」

 私を抱えてエミーリアは、カウンターの向こうへと男に案内される。


「エミーリアさんをお連れしました」

 木製の扉をノックした後、私たちを案内してきた男性がそう言うと、中から返事があった。

「どうぞ、お入りください」

 男が扉を開いてエミーリアを通す。そこは応接スペースと思われる場所だった。部屋の真ん中には、カーペットが敷かれ、テーブルをはさんで向かい合わせになった複数人掛けのいかにもアンティークといったソファ。そして、ちょうど私たちが入った扉と対面するソファの前に年配の男性が立っていた。

 ふくよかな体型を趣味の良い光沢のある灰色の上品なベストで包んだ彼は、軽く一礼する。

「エミーリアさん、お久しぶりですね」

 そのふくよかさが幸いしているのか、髪も眉も真っ白ながら男の顔の皺は浅い。

「カリバドルさん、今日は突然押しかけてしまって申し訳ございません」

 エミーリアの言葉に、ふぉふぉと体を揺らしてカリバドル氏は笑って穏やかに首を振った。

「いつも来られた時に言っておりましたでしょう。『もし何かお困りのことがあったら、ご相談にお越しください』と」

 そして、エミーリアに向かいのソファを進める。

 エミーリアが座ると彼もソファに腰掛ける。アンティークなソファーが少し悲鳴を上げた。

「本日は、次回の約束の期日までは大分早いようですが、つまりそれは、何か困ったことがあり、ご相談があると、そういうことでよろしいでしょうか?」

 穏やかに見つめる視線を避けるように、エミーリアはその視線を一瞬目の前のテーブルに落とした。しかし、すぐにカリバドル氏と視線を合わせる。

「はい、困っていることがあります。ご相談したいことがあります」

 その拙い言葉が彼女の必死さを浮かび上がらせていた。


「わかりました、お聞きいたしましょう。その上でお力になれるようでしたら、ご協力いたします」

 ふくよかに垂れ下がった頬が揺れ、エミーリアの言葉を待った。しかし、エミーリアは再び下を向いて沈黙してしまった。

 耳に痛い沈黙が時と共に流れる。

 何をどう切り出すか、事前に話し合いはしていた。私たちが知りたかったのは、なぜエミーリアがこのマンセット商会で換金ができる紙を受け取ることができるのか、それが誰の手配によるものなのか、そしてそれがエミーリアの出生に繋がっているかである。しかし、カリバドル氏を前にしてエミーリアは、投げかけるべき質問が形にならないようであった。

 助け船を出そうと思考会話を展開しようとする。

 だが、その時だった。エミーリアは勢いよく顔を上げる。

 カリバドル氏を見るその瞳は濡れ、今にも泣き出すのではないかと思えた。

「私の出生について何か知っていませんか!」

 順序を一気に飛ばした、知りたい核心を直接つく質問である。

「あなたの出生ですか?」

 エミーリアの勢いを穏やかな瞳がやんわりと受け止めた。

「なぜ、出生のことがお知りになりたいんですか? そのことについて何か困ったことがあるのでしょうか」

「はい! 私、舞踏会に出たいんです! そして奥様のところも出たいんです! だから……」

 だからと言った後、エミーリアは言葉が続かない。恐らく、彼女なりの必死さで言葉を紡いだのだが、だからの次、それが何なのかが自分でもわからないのだ。言葉に窮したエミーリアが再びテーブルの上に視線を這わせ、私をぎゅっと握る。

 助け船を出して、もう一度、順序立てて仕切り直そう。そう私が思った時だった。

「本日はこのまま時間はございますでしょうか?」

 カリバドル氏が唐突に尋ねてきた。

 質問の真意がわからず、思わずといった感じでエミーリアは顔を上げた。

「少々、いえそこそこ時間はかかりますが大丈夫でしょうか?」

 今日は特段急ぐ用事はないはずである。

「あ、はい、大丈夫だと、思います」

「そうですか、ならば今できることをお答えしておきましょう」

 カリバドル氏が丸みを帯びた背筋を改めて伸ばした。

「まず、あなたの出生についてですが、残念ながら私は存じ上げません」

「そうですか」

 その言葉にエミーリアの睫毛が下を向く。

「ですが、今は亡きブドルク男爵とのご契約に基づき、ブドルク男爵家から自立につきましては微力ながらお手伝いできると思います」

 ブドルク男爵との契約。どうやら、換金できる紙についてはブドルク男爵が関係しているらしい。

「あと舞踏会の参加に関しましては、少々確認する必要がございますが、上手くいけばご要望を叶えることができるかもしれません」

 エミーリアだけでなく私も一瞬、その意味するところを理解できなかった。出生に関してわからないと言われていた時点で、半ば諦めていた舞踏会への道が突然開ける可能性がでてきたのである。

 気のせいかカリバドル氏の後ろに後光が見える気がした。

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