第50話 安眠の魔法
「ホウキさん、すいません」
隙間だらけの木の壁の向こうからエミーリアの潜めた声が聞こえてきた。
「なに気にしないでくれ、逆に私がいることで落ち着かないのではないかい?」
「お優しいんですね」
「そう素直に褒めらると少し恥ずかしいな」
「でも本当に外でよかったんですか? 寒いですよ」
「ああ大丈夫、私はホウキだし、それに魔法使いだしね」
ブドルク男爵夫人の邸宅の庭は塀で囲われているので強い風が吹き抜けることは少ない。
時折、気まぐれな風が穏やかに走り込んで来るくらいである。
そんな風にもカタつく物置小屋が、エミーリアの寝床だった。
あの後、ローガンはペンダントのこともあり一度商会に戻った。
そして残された面子で食事が必要な、つまり私以外は昨夜の竈の火亭で昼食を済ませた。
その際、エミーリアの顔を見て女将さんは、一瞬リブラ教官に詰め寄り、エミーリアが間に入るという一幕があった。
エミーリアの様子を見た女将さんは、素直に自分の早とちりを謝罪し、お詫びに昼食の量をサービスしてくれた。
ついさっき起きたイレギュラーズの騒ぎが、まるでなかったかのような穏やかな昼食の時間が過ぎた。
といえでも、やはりエミーリアの食はどうしても細くなっていたが。
その後、拠点に戻ってきたリブラ教官たち今後の計画と必要になるものについて話し合いがされた。
その中で、イレギュラーズのこともありエミーリアの身辺警護が必要ではないかという話が出た。
そこで寝る必要もなく、また怪しまれることなく男爵夫人の邸宅敷地内に留まれるという理由で私がその役目を買って出た。
マナ還元のこともあり教官やアキラは今日くらいはと言ったが、すでに睡眠は必要がないくらいには回復していたのでそのまま押し通した。
肉体がある者には適切な睡眠が必要であり、恐らく明日からは教官もアキラも忙しくなるだろうから、せめて私が背負えるところは背負っておかなければならないと思ったからである。
しかし、改めてみると物置小屋は酷い状態だった。
壁は隙間だらけで、床は土がむき出し。
これで寒冷な時期もあるこの王都の中でよく体を壊さずにいられるものである。
それを言うと、彼女は慣れているし、藁もあるので丈夫ですからと答えた。
「お腹が空いてる時はちょっとつらい時もありますけどね」
聞くだに年若い女の子が過ごすべき環境ではないが、そう思うのは私が恐ろしく恵まれた世界で過ごしてきたからであろう。
きっと同じような境遇の子はこの物語世界には少なくないはずだ。
だからといって、目の前の女の子の苦境をよくあることだと放置する理由にもなるまい。
「ちょっと姿を見せてもらっていいかな?」
「あ、はい、そちらにいけばいいですか?」
「いや、扉を開けてくれるだけでいい」
私は周囲に目がないことを確かめてから、扉の前に移動する。
建付けの悪そうな扉が、意外なほど無音で開いた。
間から顔を出したエミーリアが、私の姿を見てちょっとぎょっとした表情になる。
だが、すぐその表情を引っ込めた。
「やはり中にお入りになって下さい。汚いところですけど」
「いや、さすがに年頃の娘さんの部屋に入るのはね。で、ほんのちょっと待っててもらえるかな」
私はそう言ってから、イメージを結ぶと魔法を発動させる。
寒さを遮断するヴェールで彼女の体を包む。
朝まで十分に持つように周囲のマナもふんだんに使わせてもらった。
まだ昼間のこともあり本調子ではないが、この程度ならまったく問題はない。
「これでよし」
「?」
不思議そうな顔をするエミーリア。
「安眠の魔法をかけたんだよ。ということでお休みなさい」
「あ、はい、ありがとうございます。それではおやすみなさい」
エミーリアが扉を閉めたのを確認してから、元の位置に戻る。
再び薄い木の壁に立てかかると、その向こうで彼女が横になる気配が感じられた。
土の上に敷いた藁に、薄い毛布にくるまって潜り込むといっていたが、今の魔法で朝の冷え込みも問題はないだろう。
壁越しにいるホウキを気にせずに、良い夢を見ることができればいいのだがと思う。
しかし、しばらくしてから壁の向こうからエミーリアの小さな声が聞こえてくる。
「ホウキさん」
「ん?」
「ちょっと、お話してもいいですか?」
「眠れないのかい?」
「ええ、ちょっといろいろあったからだと思いますけど」
それも無理からぬことか。
野盗にイレギュラーズに魔法使いに、舞踏会と王子様である。
どれだけてんこ盛りなのかと、確かに気が張って眠れなくても仕方があるまい。
見上げると大きな月が深々と輝いていた。
「それにいつもは1人なので、こんな風にお話ができる人がいるのがちょっと嬉しくって」
「そうか、それならこんなオジサンよりも、アキラかリブラ……の方が話も弾んで良かったかな」
リブラ教官のことを昼間呼び捨てにしたこともあり、エミーリアたちの前ではそれを通すことにされたのだがどうにも慣れない。
そんなこちらのぎこちなさにも気が付かない様子で、彼女は潜り込んだ藁を揺らす音をさせながら、少しおかしそうにした。
「ホウキさんって、おじさんなんですか?」
「ああ、おじさんもおじさん、四十路目前のオジサンだよ」
「声とか聞いていると、そんな感じはしないですよ」
「おだてても何もでないよ」
それからしばらく小声でとりとめもない話、それこそ本当にどうでもいい話をしているうちに、彼女の話声はやがて穏やかな寝息へと変わった。
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