第48話 条件

「私、みなさんのお手伝いをします!」

 赤い目をしたエミーリアのはっきりとした声。

 その手にはアキラが渡したハンカチが握られている。

 今の彼女に鏡は酷だろう。

 ややこけた頬に残った幾筋の涙跡。

 生来の愛いらしい顔が僅かだが残念なことになっていた。

 しかし、代わりに今までこびりついた重い物が剥がれ落ちている気がする。

 そんな気がして、私はその顔は嫌いではなかった。

「ありがとうエミーリア」

 礼と共に、羞恥の上積みでもう一言加える。

「あとこれも覚えておいて欲しいんだ」

 エミーリアがこちらを見た。

「王都もそうだが、最初にいったように私たちは君も守りにきたんだ。私たちは君の味方だ」

 アキラの黒髪が大きく縦に揺れた。


「よし、とりあえずはエミーリアさんの協力は決まったということで、もちろんオイラも王都の危機を救うために協力させてもらいますよ!」

 ローガンの調子は変わらずに軽い。

 リブラ教官が目を細める。

「ふむ、協力してもらえるのはやぶさかではないが、ローガン少年、このことはセントバンス殿にはどう報告するつもりだ」

 何か、悪戯が見つかったかのように彼は肩を竦めた。

「そのまま報告したらダメ? っすよね?」

 リブラ教官が短く頷く。

「我々が魔法使いであるということも、できるだけ他の人々には知られたくないな」

 少年はその言葉ににやりと笑った。

「なるほど、ということはオイラは今、皆さんの重要情報を握っているともいえるんですよね」

「脅迫か?」

 リブラ教官の目がさらに細められる。

 彼女の口角が微小を浮かべるようにわずかに上がった。

 しかし、その上で瞳が剣呑な光を放っている。

 我々をというよりも、リブラ教官を脅迫しようとは命知らずにも程があった。


「リブラお嬢様はずいぶんと今までと雰囲気とか言葉遣いが違いますが、そちらが素っすか?」

 窓辺からの光が、ローガンの額あたりに滲み上がったものに反射して輝かせている。

「お気に召さないかしら」

 深紅を思わせる華の笑みが切り返した。

 触れれば斬れそうな空気がその花びらと共に広がる。

 私を含む全員が思わずテーブルからわずかに離れた。

「い、いえ、これから協力しようという時に遠慮は無用です。あ、あと、オイラの口を封じても逆に、セントバンスさんに怪しまれますよ! 身内をとても大事にする人で、お、怒らせるととても怖い人ですよ」

 全身から汗を流すその様子は、もう蛇に睨まれた蛙という言葉しか思いつかない状態である。


「そうだなセントバンスさんはやり手のようだからな。敵に回すとなると厄介だ、だが……」

 唾を飲む音がした。

「別に命を奪わなくとも君の口を封じる手段はいくらでもある。なにしろ私たちは魔法使いなのだから」

 ニヤリ。

 華のドレスが散った後には、魔王の笑みがあった。

 見ると明らかにエミーリアがドン引きしている。

 このままでは、せっかく前を見て進みだそうとする彼女の意思さえ凍り付きかねない。

<教官! エミーリアが怖がっています>

<そうか、ならしばらくアキラとトーサンで彼女を外に連れて行ってくれないか>

<余計にだめです!>

 思考通信で思いっきり叫んで後悔した。

 水平のはずの床が傾いているように感じる。

 体が滑った。

<本当に無理はしないで>

 教官の指は女性らしい細さながら、恐ろしく力強い。

 だが、その力強さが今は安心できた。


 リブラ教官がため息をつく。

「で、ローガン少年、君はどうしたいんだ?」

 シャツの袖で顔を拭った少年の身が前のめりになる。

「こちらのお願いを聞いてくれたら、今のことはセントバンスさんにも黙っておくっす、もちろんお手伝いもするっす!」

「ほう、で、きみの願いとはなんだ?」

 ローガンの目が今度はまっすぐこちらを見ていた。

(まさか、私は単なる物だと思って、くれとか言い出すんじゃないだろうな)

 と心配していると、ローガンが突然テーブルの天板に額をつけた。

「俺をホウキの旦那の弟子にしてください!」


「え?」

「はい?!」

「いいだろう」

 アキラの疑問と私の聞き返しとリブラ教官の即答が見事に重なった。

 顔を上げたローガンが我々を交互に見ている。

<ちょっと教官どういうつもりなんですか!>

 頭がくらくらするのはマナの還元現象のせいだけではないだろう。

<何、少しの間、師事することで事が済むなら安いではないか、もちろん魔法は教えないが>

 境界図書館の魔法を他世界で教えることは厳しく禁じられていた。

 物語世界の構成と根源に通じるその知識が、他世界で広まってしまえばどんな影響がでるかわからないからだ。

 過去にもそれでいろいろあったらしい。

「えーと、弟子にしてくれる、でいいんすか?」

「ああ君を彼、トーサンの弟子になることを認めよう。その代わり約束は守ってもらうぞ」

 ローガンの顔が喜色に染まる。

「やったー! もちろんっす。さっきのことはセントバンスさんにも内緒にします!」

「そうかありがとう。ただ、トーサンの修行は厳しいぞ」

「がんばります!」

 希望に目を輝かせる少年の姿がそこにはあった。

<弟子にするとは言ったが、魔法使いの弟子とは一言も言っていないしな>

 思考通信でリブラ教官が呟く。

<……>

 アキラの内心の絶句が漏れ伝わってきた。

 そしてローガン少年の純粋な眼差しがものすごく痛い。


「ところで、師匠」

 一瞬間が空いた。

「あ、もしかして私のことかい?」

 私はようやく自分が呼ばれていることに気が付く。

「そうすっよ、師匠」

「どうもその呼び方は落ち着かないな」

「じゃあ、トーサン先生がいいすか?」

「ま、まあ、そっちの方がまだマシか。で、何か質問が?」

「ええ、先生方が王都に来た理由とするべきことはわかりました」

 ローガンがエミーリアの方を見る。

「で、エミーリアさんのほかにいる、その『運命のつなぎ目』の『片割れ』を持っている人というのはわかっているんすか?」

「そういえば」

 涙の跡も薄くなった顔がこちらを向く。

「私はその人と会って何をすればいいんですか?」

 そういえば、肝心の部分の説明がうやむやのうちに流れていた。

「もちろん、もう一人の『片割れ』のこともわかっている。そして、エミーリアにはその人と会って『絆』を結んで欲しいんだ」

「絆? ですか。一体どんな感じでしょうか」

「まあ、難しく考えなくていい。そうだな、友達になるくらいの感覚でいいよ」

「はあ、で、その人はどんな人なんですか?」

 恐らく人見知りな面もあるのだろう、エミーリアが少し不安な顔をする。

「心配しなくていい、その人は君が知っている人だ」

「そうなんですか? どなたでしょうか?」

「それは」

 考えてみれば、これは彼女にとってうれしいサプライズになるのだろうか。

 それても、彼女の決心を揺るがす諸刃の剣となってしまうのか。

 どちらにしろ、いずれは言わねばならない。

 賽を投げるなら今だった。

「その人は、オイステン王国第一王子、ハインゼル=オイステン殿下さ」


「おーい、大丈夫すか~」

 ローガンがエミーリアの隣にいき、その目前で手を振る。

 しかし彼女の反応はない。

 小さな唇はわずかに開き、まさに魂が抜けた状態だった。

「先生、これはダメっすね」

 ローガンが肩を竦めて見せた。 

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