第43話 鍵と扉
たぶん、それは10代の頃。
確かに私は、この赤い単眼を持つイレギュラーズと対峙したことがあった。
夢の中で。
幼い頃からよく悪夢を見た。
同時に、私が見る夢は普通の夢とは少し違うものだった。
自分が夢を見ていると自覚できる明晰夢というものであり、同時に感覚が非常にリアルなものだった。
そのため、夢とわかっていたとしても感じる恐怖は幼い心を削るには十二分なものだった。
目が覚めるまで襲い来る悪夢の怪物から逃げ回るしかないない状況はまさに悪夢の中の悪夢。
幼い頃の私は、その状態にかなり悩まされ続けていた。
だが大人にそれを訴えても、幼子の戯言だとして誰一人として助けの手を差し伸べてはくれなかった。
いや逆に邪険にされた。
故に幼子の恐怖に満ちた日々は長く続いた。
だが、その度重なる悪夢の中で幼子はある能力を身に着ける。
それは夢の世界と、その中にいる自分自身を変質させる能力。
怪物に追いつかれない足、空を飛ぶ能力。
最初、それらは目が覚めるまでの間、悪夢から逃げ切るための逃走手段でしかなかった。
しかし幼子が大きくなり思春期を迎える頃には、経験を重ねたそれは悪夢の怪物を退けることが可能な能力へと成長していた。
そんなある夜のこと、私は広い夢の世界に出た。
時折あったのだ。
感覚的ではあるが、通常よりもかなり広いと感じられる夢の世界に出くわすことが。
そこでである。
今、目の前にいるイレギュラーズに出会ったのは。
確かにあの時もこのイレギュラーズは、人々を襲いその色を奪っていた。
(あの時は、どうやってこいつを追いやったんだっけ?)
夢と現実は違う。
そのことはわかっていたが、今のこの状況を打破するための足掛かりが欲しかった。
『傷』から触手がさらに溢れる。
このままでは、エミーリアが捕まるのも時間の問題だった。
だが、手足が全く出せない状況。
(これじゃまるで幼い頃に逆戻りじゃないか)
<逃げられないなら、立ち向かうしかないじゃない>
あの囁きが、もう一度思い出された。
そうだった。
最初に夢の中で能力を得ることができたのは、悪夢を見ることから逃げられないからこそ、その悪夢の中で『逃げ切る』という選択をし、その逃走という手段をもって悪夢に立ち向かうと心に決めてからだった。
逃げられないから、立ち向かうために逃げることを選ぶ、なんとも変な話ではある。
だが、その意思の少しの方向性の変化によって、幼子だった私の世界は確かに大きく変わったのだ。
(よし!)
私は逃れるように抗うのではなく、心の足腰に力を込めその場に踏みとどまるイメージを作る。
今、集められるだけの自分自身を集め、より合わせ一本の鋭い角とする。
そのイメージを開放し、眼前の赤い単眼に叩きつけた。
<sjdiago hggd soagpj!>
単眼に困惑が走る。
瞬間、私自身を縛る力が弱まった。
(今しかない!)
あの時、このイレギュラーズを彼方に追いやった力。
夢の中で悪夢たちを追いやった力。
<ドリームマスター>。
能力の名と共に結ぶべきイメージを思い出す。
真摯に心を研ぎ澄ましイメージを結ぶ。
最も大切なのはできるということを疑わないこと。
活性化したマナが輝きを抱き、私の内から溢れる。
突然の輝きを嫌い、漆黒の触手どもが激しくのたうつ。
その内、何本かが私に巻き付き、強靭な力で締め折ろうとした。
その瞬間。
《神の御名にて今命ず! 害成すこと能わず!》
【祓い】の言葉が光の波紋となる。
触手のうち、私と男たちを縛っていたものが黒い塵となって消え去った。
「オオオオオ!」
単眼のイレギュラーズが思考ではなく実際の音で呻きを上げた。
《続けて命ず!》
鈴の音のような音が広がった。
《悪しきもの 此より去りゆけ 邪(よこしま)も!》
再び光の波紋が広がり瘴気がかき消される。
イレギュラーズを光の粒子が包み『傷』に押し込んでいく。
間髪を入れず、イメージを結ぶ。
《我は閉ず!》
『傷』を囲うように扉が現れる。
そして、それが閉まり始める。
しかし、あと少しのところで触手が扉に巻き付き、押し返し、完全に閉まるのを阻止する。
「ソウカ! キサマアノトキノニンゲンカ! ワイショウナルクズガワレヲマタトジヨウトイウノカ!」
単眼の怒号が瘴気の風となって吹き付ける。
《黒鉄の鎖をもちて重ね閉ず!》
幾条もの黒光りする鎖が現れ、扉に巻き付き締め上げる。
しかし、それでもイレギュラーズは抵抗を続ける。
金属の軋み音の中、触手と扉の攻防が続く。
心を研ぎすまし、構築したイメージが崩れないように必死に支える。
ほんの少しでも気を抜くと一気に持っていかれるのがわかる。
随分長い時間、この攻防を続けている気がした。
それでも徐々に扉の隙間は小さくなっている。
(あと少し、あと少し……)
だが、その時だった。
閉じようとしている扉の下で物音がした。
僅かに動かした視界の中に、扉を見上げているエミーリアの姿があった。
その一瞬。
意識が逸れたほんの刹那だった。
一気に扉が押し返された。
隙間から這い出た触手がエミーリアに迫る。
(しまった!)
扉を押し返すが、このままでは先に触手がエミーリアに達してしまう。
もう一度、【祓い】をする時間も余裕もなかった。
彼女の存在を認識した漆黒の触手がエミーリアに触れようとした。
その瞬間だった。
それは暴風だった。
屋内に吹くはずがない強烈な風だった。
その風を纏った雷光の切っ先が赤い単眼の真ん中に突き立つ。
「ホオオオオ!」
悲鳴を上げながらイレギュラーズの体が『傷』の奥に押いやられた。
「今だ! 閉じろ!」
その声に封印のイメージを固める。
扉が完全に閉まる寸前に、『銀月の姫』が引き抜かれた。
重い音を立て扉が閉じる。
その上から鎖が幾重にも巻き付く。
何かがぶつかるような鈍い音と共に扉が揺れる。
急がねば。
最後のイメージを結ぶ。
《この鍵で》
鎖と扉にいくつもの錠前が現れる。
そして、それに対応する鍵が私の前に浮かびあがった。
《此と彼の地をば 断ち閉じぬ!》
鍵がそれぞれの錠前に刺さる。
《去れ!》
鍵か回転し施錠の音がする。
そして、自然と鍵が錠前から抜け落ちた。
地に落ちる前にそれらは光の粒子となって消え去る。
同じくして、扉が徐々に実体を失って消え去った。
残された空間には『傷』の跡一つない。
開け放たれた扉からは、穏やかな日の光が差し込み、いずこともなく鳥のさえずりすら聞こえる。
「すまない時間がかかった」
銀月の姫を鞘に収めながらリブラ教官が私の方を向く。
<いえ、助かりました。それよりもエミーリアの様子を>
床に転がりながら私はそう言ってエミーリアの方を見る。
彼女は床にぺたんと座り込んだまま、魂が抜けたように呆然としていた。
それはそうだろう。
非日常といっても、これはいくらなんでも刺激が強すぎる。
(さて、これからどうしようか……)
いきなり作戦は大きく蹴躓いてしまった。
(それでも彼女はなんとか守れたのだからよしとしよう)
安堵と共に意識が闇に溶けていくのを感じる。
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