第40話 思わぬ危機

「はい、お待ち下さい」

 小首をかしげたエミーリアは、私を奥の扉近くの壁に立て掛けると玄関の方へ行く。

 【探知】を使わずともわかる、その向こうから伝わる複数の気配。

 2度あることは3度あるというが、嫌な予感がした。

 すばやく【防護】のイメージを結び、エミーリアの身体に適用する。

 他人へかける場合はかなり効果が低くなるがそれでもないよりはましだった。

「どちらさまでしょうか?」

 エミーリアが内側の閂を外した瞬間。

 私のすぐ横、奥の部屋の扉の方が勢いよく開かれた。

 驚き振り返った彼女の目に映るのは、顔の半分を隠したローガン少年の姿。

「だ、だれですか? あなたは!」

 強く床を蹴る音と共に、近づき伸びたその手ががっちりと彼女の腕を掴んだ。

「いいからこっちへ!」

 姿勢を崩し、よろけた彼女が扉から離れた瞬間。

 扉が開き、幾つもの影が雪崩を打つように今に侵入し広がった。

 それはいかつい男たち。

 ローガン少年は少女の手を強く引き、その男たちから逃れるように奥の部屋へ向かおうとする。

 しかし、目の前の事態が飲み込めずに足を硬直させた彼女が足かせとなりその試みは失敗した。

 隠し持っていた手斧や短剣を取り出した男たちが2人を包囲し階段脇の部屋の隅に追い込む。


 その間にも、男たちは素早く居間の窓を閉めると、一部が素早く奥と2階へと向かった。

 木の板の窓がしまる音と共に部屋は再び薄暗闇へと沈む。

 躊躇のないその動きで男たちは瞬きの間にこの家屋を制圧してしまった。

 二人を囲んだ男たちの手にする得物がかすかに入り込む光を受け、鈍く光る。

「命が惜しかったら騒ぐな」

 頭一つ図抜けた長身の男だった。

 どうやら男たちの中でもリーダー格のようである。

 隆々とした筋肉が服の上からでもわかるその男は、柄に毒蛇の意匠が施された短剣を手に前に進みると、鋭い眼光で2人を値踏みした。

「お頭、他に人はいませんぜ」

 2階と奥を改めていた男たちが、ローガン程ではないが足音も静かに戻ってくる。

 全部で8人。

 もしかしたら外にも、まだ仲間がいるかもしれない。

 【探知】で探ることはできるが、今は目の前のエミーリアたちの保護に意識を集中したかった。

 だが、とりあえずはリブラ教官たちには報告しなければならない。

<非常事態です! 家に武装した男たちが侵入、家の中には8! エミーリアとローガン少年が部屋の隅に追い込まれている>

 その報告を聞いて即リブラ教官が指示を出す。

<アキラ君はすぐに家の方へ向かってくれ、トーサン相手の目的は?>


「ガキがいるってネタは合っているが」

 お頭と呼ばれた男は、ローガンの方を一瞥してからエミーリアの方を見る。

「こいつは……、お嬢様ってわけじゃなさそうだな、ということはお前がエミーリアか?」

「なんで私のことを?」

 消え入りそうなエミーリアの声に、お頭が苛立ちの表情を浮かべた。

「ってことはお嬢様はお出かけ中か、おい、お前!」

 短剣の切っ先がローガンに向く。

「てめえが、アキラって従者で合っているか?」

 どうやらローガンの覆面を掃除のためのものと思ったようだった。

 男の言葉に一瞬考えた後、ローガンは頷いた。

「じゃあ、お前の鞄と金目の荷物はどこにある?」

 お頭はゆっくりローガンに近づく。

 伸ばされた鋼の刃がその首筋に当てられた。

 私はエミーリアにかけた【防護】の魔法をローガンにもかける。

 魔法に気づかれるかもしれないが構わない。

 少年の体を覆う、無色透明で薄くしなやか、しかし刺突にも裂傷にも殴打にも強いヴェールをイメージする。

 不可視のヴェールは少年の全身をふわりと覆って、やがて彼の体に密着しフィットする。

 ローガン少年は顔を微動だにさせないまま、こちらを一瞬見た。

 ゆっくりと彼の相手を刺激しないようにローガンは言葉を口にする。 

「今日は、全部お嬢様が持って行かれました」

「本当だろうな?」

 刃を首筋に残したまま、お頭は鋭い眼光をエミーリアに向けた。

 白く繊細な頤が震えながら小さく縦に動いた。

 ローガンの首筋から刃が離れる。

 お頭が2人からやや距離を取ると同時に、ローガンは恐ろしく小さくだが息を抜く。

 正直、私も同感だった。


<どうやら、男たちの目的は教官たちが持っている金品のようです>

 報告すると、リブラ教官からやや緊迫した思考が帰ってくる。

<まずいな……。相手の目的が金品ならエミーリアたちを生かしておく必要がない>

 確かに目の前の男たちは覆面をしていない。

 それはつまり、顔を見られても証言する口が残らないという意味である。

<私もすぐ戻る! トーサンは彼女たちの保護を最優先で、非常事態なので手段は問わない!>

<なんとかしますが、できるだけ早く願います>

 といっても、時間を考えればすぐには戻ってこれるような位置に2人ともいないのは明白だった。

 かなりの無茶をすれば別だが。


(さて、この状況、どう打開するか)

 正直、戦闘となると私はリブラ教官はもちろん、アキラにも遅れを取るだろう。

 それでも、この物語レベル1の世界の野盗相手ならば遅れは取らない程度には訓練を積んだつもりだ。

 ただ問題は、現在、エミーリアたちと男たちの間の距離が近いことである。

 ホウキの体ではどうしても立ち回りに制限があった。

 【防護】をかけてあっても、下手に乱戦模様ともなれば彼女たちに累が及びかねない。

(せめて、もう少し間に距離があれば)

 こういった場合は、【催眠】や【麻痺】といった対象を静かに無力化できる魔法が使えればいいのだが、今のところ実用レベルでそれらの習得には至っていない。

 共感系統の魔法に特性が高い私ならばそれらの魔法も適正が高いはずということだったのだが、どうしてもイメージを上手く結ぶことができなかったのだ。

 原因はついつい「相手を全身麻痺させるには、脳や神経にどのような変化を起こさせればよいのだろうか」といった理論的な理由を考えてしまうところにあるらしい。

 相手の状態に変化をもたらすという意味では、近い位置にある【偽装】は容易に習得できた。

 その差は恐らくちょっとした心の持ちようの違いなのかもしれない。

 可能性は無限大、しかし、ちょっとしたつまずきでも全く意味を無くしてしまう、それが個々の心が結ぶイメージを元にした境界図書館の魔法の難しさだった。  

(これも帰ったら習得に再チャレンジしないと) 

 とりあえずない物ねだりをしても仕方がないので、確実に使える魔法で現状の打破を考える必要がある。 


 策を考えながら男たちの隙を伺っていると、お頭が2人から離れテーブル脇の椅子に乱暴に腰を落とした。

 木製の床と椅子が軋んだ悲鳴を上げる。

「お嬢様はどこに行った? いつ頃帰ってくる?」

 お頭は言葉の最後で、テーブルの天板に手にした短剣を突き立てた。

 鈍い音が居間に響き、反射的にエミーリアが声を喉の奥から絞り出す。

「カナン商会に用事があると、夕食は一緒に食べるからそれまでには戻ってくると……」

 まずかった。

 情報が得られれば、もう彼女たちは用なしとして処分される恐れがある。

 アキラとリブラ教官の到着にはあとどれくらいの時間がかかる?

 どんなに急いでも、今、凶刃が彼女に襲い掛かれば間に合わない。

 今すぐ私がやるしかなかった。

 エミーリアたちの命と任務の成否がかかっている。

 私は腹を据えた。

 そして、同時に私の聴覚が微かにある援軍の到着の音を捉えていた。

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