第39話 お客

「それでは行ってきますが、くれぐれも無理はしないように」

 帽子と外套を身に着けたリブラ教官はそう言い残し、アキラを連れ立って出かけて行った。

 これから男爵夫人の邸宅を訪ね、エミーリアにカナン商会に夕方まで出かけるのでその間に昨日の掃除の続きお願いすることを伝えることになっている。

 カナン商会へは舞踏会についての相談をしに行くだのだが、同時に私とエミーリアを2人きりにするという目的もあった。


 なぜ2人きりになる必要があるかといえば、その方がトリックと疑われる可能性が低いからである。

 リブラ教官が、魔法使いだと信じさせるために目星をつけていた魔法とは『私』のことだった。


「自ら自立し、言葉をしゃべるホウキなど魔法以外の何物でもあるまい」

 楽し気な光を瞳を宿してリブラ教官がそう言った時は、何を言っているのだろうかこの人はと思った。

「いや、いや、いや、さっきもいいましたが【浮遊】はトリックでなんとかなるものですし、会話だって腹話術的なものでいくらでもできますし」

「ならば、近くに誰もいなければ問題あるまい」

「いえ、いえ、いえ、どう考えても壮大なドッキリにしか見えませんて!」

 狼狽える私は、助けを求めてアキラの方を向く。

 するとアキラは唇の片側をかすかに上げた。

「オトーサンみたいにひねくれて物を見る大人はどうかと思いますが、まだまっすぐなエミーリアさんなら大丈夫だと思いますよ、僕も」

 どうやら、先ほどの意趣返しのつもりらしい。

 その後は、私は抵抗したものの多勢に無勢、結局『ホウキの魔法使い』路線で進むことで押し切られてしまった。


(本当にどうしたものやら)

 心でため息と共に、扉の向こうで錠がかかる大きな音がする。

 用意もあるのでエミーリアが来るまでには、あと1時間はかかるかと予想する。

 泣いても笑っても、そこからが勝負だった。


<トーサン>

 家を出てすぐにリブラ教官が思考通信を送ってくる。

<どうかしましたか? 今ならまだ計画変更できますよ>

<いや、心置きなく魔法使い役を頑張ってくれ。このシンデ何某を育てよう作戦の成否は、今日のあなたの働きがなければ始まらないわけだから>

 なんだろう、私の双肩にいきなり思い責任が乗ったような気がする。

<それよりも今日はエミーリアと会話する時はできるだけ【思考会話】を使用して、窓から覗かれない位置での行動を>

 その指示が意味するところは数少ない。

<お客さんですか?>

<ああ、気を付ければ問題はないとは思うが、一応不測の事態にも備えておいてください>

<わかりました>


 リブラ教官の思考通信に返事をしてから30分ほど経ったころ。

 静かにただ窓の隙間から漏れ入る光に輝く埃が空間を漂っていた。

 その静寂の中、私は居間の壁に寄りかかりながら【探知】の魔法を展開していたのだが、寄せては返す感覚の波に引っかかる気配がある。

 門の方から入ってきたが、その気配は扉の方へは向かわず、裏の方へと回る。

 裏口あたりで、しばらくとどまった後、どうやら壁沿いに進み始めたようだが、少し移動してから動きが止まった。

 エミーリアはリブラ教官から鍵を預かってくるはずなので、表から来る。

 なので彼女ではない。

(教官が言っていた、お客さんだろうか)

 教官は問題ないだろうと言っていたが、危険人物の可能性もある。

 エミーリアが鉢合わせて累が及ぶといけない。

 私は相手の詳細を掴むために【探知】の魔法の発動形態を変化させる。

 広がる波ではなく、触手のようなイメージ。

 それは恐ろしく長く伸びる手で手探りをするような感じである。 

 ただ実際に手で触れるのとは感覚は違う、どちらかといえば触れた対象の大まかな情報を感じ取ることができる、という方が正しいかもしれない。

 こういった時はリブラ教官の【鷹匠】の鷹の目のように、直接視覚情報を得られる魔法の方が便利なのだが、その系統を私は習得していなかった。

(今度習得に挑戦してみるか)

 そんなことを思いながら、触手を伸ばしていく。


 壁沿いに魔法の感覚の手を進ませる。

 先程反応が止まった当たり、伝わってくる状態から土間のようである。

 触手を這わせると窓があった。

 探っているとその窓の閂が器用に外されゆっくりと開き始める。

 その開いた窓から侵入しようとしている人物に軽く触手で触れていく。


 体の大きさからいって小柄な人物、十代前半といったところか。

 顔の下半分を布で覆って隠しているようだ。

 アキラが着ているようなこの世界のでは標準的な七分袖のシャツとズボン。

 腰の後ろに隠しているのは、金属で構成された物体。

 形状や薄さから小さなナイフだろうか。

 その人物は窓から土間に降り立つ。

 音はまったく届かない。

 人相情報を得ようと、その顔により触手を密着させた時だった。

 驚いたようにその人物が後ろに飛びのいた。


 正直、こっちが驚いた。

 こちらの【探知】の触手の存在が認識できるのだろうか。

 少し触手の気配を薄くして改めて侵入者に触る。

 しかし今度は反応がなかった。

 だが、その間もしきりに自分の顔を触っているところを見ると何かに触れられた感覚はあったが、それが何かはわからなかったようである。

 それだけでも驚きだった。


 魔法を使用する者でも、普通は【探知】の魔法の接触を認識することは難しい。

 よほど勘がいいか、マナの変化に敏感な人間でもない限り。

(一体何者なのだろうか)

 警戒レベルを引き上げる必要があった。

 イレギュラーズではないのはわかっているが、人間だとしても油断していい訳ではない。

 異能の技を駆使し、世界を渡るのは境界図書館の司書だけではないのだ。

<教官。お客さんらしき人が、家の中に侵入してきましたがどうしますか?>

<とりあえず害はないと思うが、しばらく様子を見てくれないか?>

<相手こっちの【探知】の魔法に反応したんですが>

<ほう、それは驚きだな。とりあえず身の危険を感じたら自衛するように、それまではできるだけ相手の出方を見てくれ>

<わかりました>

<あと、もしエミーリアが鉢合わせして、万が一危険が及ぶ可能性があった場合は、彼女の安全を最優先で>

<わかっています>

 お姫様がいなくなってしまえば、そもそもこの物語は成立しない。


 そうこうしているうちに、侵入者は忍び足で居間と土間の間の部屋に入り、しばらく様子を見た後にこちらに向かってきた。

 扉の向こうで聞き耳を立てている。

 何者もいないことを確認したのか、ゆっくりと、それこそ宙を舞う埃の流れも大きく乱さぬくらい、慎重に扉が開かれていく。

 薄暗がりの中、徐々に隙間が広がっていくそれは、ホラー映画とかのワンシーンのようで心臓に悪い。

 まあ何度もくどいようだが、私には現在は心臓もないのだが。


 隙間から顔が少し除く。

(あれ? 彼は)

 居間に誰もいないことを確認してから、扉を開いて小柄な少年が入ってくる。

 赤茶の布で顔の下半分を隠しているが、その栗色の髪色と瞳の様子でカナン商会で出会ったあのローガンという少年だとわかった。

(そういえばリブラ教官は、この子が足音を殺すような歩き方をしていると言っていたな)

 目的を探るためただのホウキのふりをして静観をしていると、彼は居間の中心まで来て何かを探すかのようにあたりを見渡す。

 その視線がこちらを向く。

(?)

 何か怪しまれるような挙動でもしてしまったかとさらに気配を消すように努める。

 しかし、ローガンはまっすぐこっちに向かってきた。

 板床の上を歩いているにも関わらず見事に足音を消している。

 その手が私の柄に触れた。

 そして、私を持ち上げると、ひっくり返したり、穂の部分を分けてみたりと弄繰り回す。

 正直くすぐったかがとりあえず我慢するしかなかった。

「やっぱり、セントバンスさんの気のせいかな?」

 口を覆った布が震える。

「何か秘密が隠されているかもしれないって、どう見てもただのホウキだしな」

 心の声がそのまま表に出ているようだった。

 私もその傾向があるが、監視の目があるとは知らずに見事に情報が駄々漏れである。

 どうやら彼はセントバンスさんの指示を受けて、私を調べてにきたようだ。

 そういえばずっとアキラが後生大事に持ち歩いていたわけだし、最初にセントバンスさんに会った時も、彼はこちらの視線に気づいていたそぶりがあった。

 そこから何かあると考えてローガンに調べさせた、という事なのだろうか。

 酔狂としか言いようがない。

 とりあえず、このまま何もないただのホウキとして認識してくれるならそのまま行かせた方がいいようである。

 それにさっきの【探知】の魔法への反応を考えると、下手にマナを操るようなことをすると気づかれる恐れがあった。

「ん? なんだろうこの模様は?」

 その時、ローガンが見つけたのは情報デバイスの模様だった。

 今は柄と一体化しているのでただの模様に見えるが、下手にいじられてデバイスが外れるとまずいかもしれない。

(どうする)

 迷っている間に、ローガンの指が情報デバイスの模様にかかろうとする。

 だが、その指がぴたりと止まった。


 その瞳が玄関の方へ向く。

 静かに私を元の場所に置くと、音もなく奥の部屋に戻り扉を閉めた。

 その直後、玄関の木製の扉の向こうで人の気配がする。

 そして、鍵を開けようとしている苦闘している音が聞こえてきた。

「失礼します」

 ようやくといった感じで錠前が外れる音がして、扉を開いてエミーリアが入ってくる。

 どうやら見事に鉢合わせする寸前だったようだ。

 再び意識を集中し【探知】の魔法を発動。

 静かに広がった波が、先ほど侵入してきた窓当たりにいるローガンの存在を感知する。

 どうやら彼女が来てくれたおかげで、大人しく撤退することを決めてくれたようだ。


 エミーリアは何も気づくこともなく、居間の窓を開けてい光を室内に呼び込んでいく。

 光と共に流れこんだ空気が居間をかき混ぜ、細かい埃を躍らせる。

 エミーリアは、昨日置いて行っていた木桶に入っている掃除用具を覗き込んでいた。

 本来なら適当な頃合いを図ってエミーリアに話かけないといけないのだが、ローガンが完全に離れるまで待つ必要があった。

 その後も遠方から覗かれる可能性も考慮しなくてはいけない。

 リブラ教官の指示はこの状況を予想してのことだったのだ。

(さてはて、どうしたものか)

 と思っていると、つかつかと近づいてきたエミーリアが私の柄を掴んだ。

 昨日に続き、どうやらホウキとして使われてしまうようである。

 【探知】を一回解除し、埃と摩擦よけに【防護】の魔法を自分に展開。

(ひとまず、掃除に付き合いながら少し様子見だな)

 そう思った時である。

 扉をノックする硬質な音が居間に響いた。

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