第34話 月夜の帰り道
店を出る際、女将とアリソンが見送ってくれた。
「いやー、あんたら大した食べっぷりだったねぇ!」
あの豪快そのものといった感じの女将さんが感心しきりだった。
「大変おいしかったです。これからも頻繁に顔を出させていただいても構いませんか?」
「ああ、こっちとしては願ったりだね。昼も開けているからいつでもおいで!」
そう言って、女将は大きなバスケットをアキラに手渡した。
それはリブラ教官が、明日の朝食として持ち帰ることができるものがないかと頼んだものだった。
考えてみれば、家や調理器具、燃料となる薪は確保したが食材が一つもない。
そしてリブラ教官もアキラも料理ができない。
いや、本当の意味でできないという訳ではない。
アキラの場合は、単にこれまで料理について学ぶ機会と時間がなかっただけだ。
基本的に飲み込みが早く、なんでもそつなく行える天才肌なので習えばすぐできるようになるだろう。
問題はリブラ教官の方だった。
彼女の場合、腹がある程度膨れ、任務に支障が出なければなんでもいいの精神の元、料理の技術レベルが原始時代で止まってしまっている感じである。
ある意味、サバイバルなどには向いているのかもしれないが、それを日常の生活の中にまで適用してしまっていた。
そのためアキラが同居するまでは、食事はほぼ任務用の保存糧食、しかも開けて食べるだけのもので過ごしていた形跡があった。
とりあえずエミーリアがいい店を紹介してくれたおかげで、食生活のレベルは高い水準で保てそうだった。
鎧戸の隙間から漏れ出てくる月光は眩しいほどで、床に幾筋もの線を描いていた。
「ちょっとここで待っていてください。荷物を置いたらアキラに送らせますから、あと掃除用具はまた明日使うので置いていっていいですよ」
扉の向こうから声が聞こえ、鍵を開ける音が聞こえる。
月明りを背負い二つの人影が家の中に入ってくる。
「ただいま帰りました」
アキラはそう言うと、居間の木製テーブルの上にバスケットを置くや、すぐに踵を返す。
「それではエミーリアさんを送ってきます」
「お願いします」
グラハムさんが用意してくれていたランプに火を入れながらリブラ教官がその背中を見送る。
オレンジがかった灯りが部屋に広がるのと、扉がしまるのはほぼ同時だった。
男爵夫人の邸宅へは、塀沿いにぐるりと回りこんで10分程である。
アキラもいるので心配はないのだが、念のため引き続き映像と音声を送ってもらっていた。
ゆっくりとしたペースで並ぶように歩いていた二人だが、徐々にエミーリアの歩みが遅くなる。
そして道程の半分ほど来てその足が止まった。
「どうかしましたか?」
心配したアキラが尋ねるとエミーリアが首を振る。
「いえ、ただ今日は楽しかったなと思って、こんなに楽しかったのは何年振りだろうって」
その顔は笑っているが同時に泣いていた。
「なんでだろう。楽しかったのに、楽しいのに、そう思うと何でか前に進めなくなっちゃって……」
彼女は目尻に浮かんだものを拭う。
月明りの下に晒されたその細い指はかなり荒れていた。
「……」
アキラが彼女に近づき、その手を自分の両の手で包み込む。
「じゃあ、一緒にリブラさんのところに戻りませんか?」
その言葉にエミーリアが驚いたような表情を見せる。
「戻らなかったら、奥様に怒られてしまいます」
「エミーリアさんはどうしてもあの家にいたいのですか?」
彼女は言葉を失い、答えを探すように視線を地面に彷徨わす。
「あの、でも、奥様には育てていただいた御恩が……」
「でも、アリソンさんも言っていたじゃないですか、あなたは十分それに報いるだけ働いたと」
上がっては下がる瞳には、確かに光への羨望がある。
しかし。
「やっぱりできません!」
そう言って彼女は、手を振り切って逃げ出すように走り出す。
「明日の朝、また迎えにいきます。必ずいきますから!」
アキラはその背中に声を必死にかける。
だが、その時にはすでに彼女の背中は月明りの下、かなり小さくなっていた。
アキラが扉を開けて入ってきた。
「無事、エミーリアさんを送りとどけてきました……」
「ご苦労様です」
「ああ、おかえり……」
あの後、アキラは気配を消しつつきちんとエミーリアが男爵夫人の邸宅に戻ったのを確認していた。
だがエミーリアが帰った時、すでに男爵夫人の邸宅のすべての扉が閉められていた。
どうするのかと見守っていると、エミーリアは庭にあった小さな物置小屋に入っていった。
どうやら、そこがエミーリアの住居のようであった。
隙間だらけの小屋の中、彼女は一人何を考えているのだろうか。
きっとそんなことを考えているのだろう、アキラは入ってきた後は無言でそのまま2階へと上がっていった。
それを見送った後、リブラ教官がこちらを向く。
「何かあったのですか?」
簡単に先ほどのやり取りとエミーリアの境遇の説明をする。
「そうか、では今後の打ち合わせは、もう少ししてからのほうがいいな」
そう言って彼女はストーブのところまでいくと、上に乗っていたケトルのお湯をマグカップに注いだ。
それから少しした頃、アキラから思念通話が入った。
<オトーサン>
<ん?>
<僕はどう言ってあげれば良かったんでしょうか>
少し考えてから答える。
<さあな、私も正解なんてわからんよ。人の抱えている問題とか求めている言葉なんてそれぞれだからな>
<そうですか>
<まあ、とりあえずは明日の朝、笑顔で迎えにいってあげな。思いは届けることはできるし、何はともかくこれからさ、彼女のことについては>
<ちょっと自信はありませんが明日の朝、がんばってみます>
<まあ、そう気負いなさんな。気負いが過ぎると逆効果ということもあるからな>
<はい>
<で、今後のことを教官が話し合いたいみたいだからさ、折を見て降りてきてくれるかな>
<はい、オトーサン>
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