第33話 彼女の事情

 料理が残るのではないかという、私の心配は杞憂に終わった。

 テーブルを囲んだ三人はよく食べた。

 エミーリアは、それでもまだ年齢相応の量であったが残り二人は少々常識外だった。

(いや、確かに以前からよく食べはしていたが)

 今日の様子を見ていると、私が時折用意している彼女たちの食事についても、量を少し考え直さないといけなかった。


 それはともかくとして、人はお腹が膨れると精神的にも余裕が出てくるものである。

 おかげでエミーリアの口も大分軽やかになっており、雑談ならば潤滑に進むようになっていた。

 そこでリブラ教官が本筋に近づいていく。

「エミーリアは、祝祭はどうするのですか?」

 いつの間にかリブラ教官はエミーリアから『さん』とって呼ぶようになっていた。

 それはより親近感を出すため、エミーリア本人にも意識させないうちの変化であった。 


「私は……、奥様に祝祭の間は敷地から出ないように言われていますから」

 それまで楽し気にしていたエミーリアの顔が一気に曇る。

「なぜですか? せっかくの祝祭ですよ」

「奥様方ご一家は、私が用事以外で表を歩くのをお嫌いになりますから、私があまりにみすぼらしいからと」

 その言葉にアキラが持っていたスプーンを強く握りしめる。

<アキラ、スプーンが砕けてしまう>

 私の声にアキラが深く息を吐き出すのがわかった。

 どうもアキラはずいぶんとエミーリアに思い入れるところがあるようだ。

<大丈夫です。オトーサン、ありがとうございます> 


「でしたら見栄えが良ければ大丈夫ということですね。エミーリア、ちょっと立っていただけますか?」

 リブラ教官の言葉に少し首を捻りつつも、エミーリアは素直に言葉に従う。

 教官は立ち上がった彼女の横に並ぶ、それから後ろに回りこんだかと思うと、今度はエミーリアの体を回転させて自分の方へ向けさせる。

「あのリブラ様?」

「うん、もう大丈夫です。ありがとう」

 不思議そうにしながら席についたエミーリアに、リブラ教官がさらに質問をぶつける。

「ところで今回成人なさるハインゼル殿下がどんな人物かエミーリアはご存じですか? 私は王都も初めてですので、何か知っていたら教えていただければ助かります」

 王子とエミーリアには接点はないはずなので、あくまでもこれは彼女の王子への心象を探るための質問であろう。

 正直、これで王子への心象が最悪だった場合、今後の任務の難易度がはね上がることになるのだ。

 何しろ、その場合はその心象の回復も我々の仕事になるからである。


 しかし、私の予想と反してエミーリアは突然力を入れて、王子について語り始めた。

「殿下はとてもお優しくて素敵な方です!」

 ずいぶんとはっきりとした言い切りようである。

「エミーリアは、ハインゼル殿下のことを随分と評価しているのですね」

「当然です! 王子の悪い評判なんて聞いたことがありません。それに……」

「?」

「これは内緒に、特に奥様方には秘密にしていただけますか」

 唐突にエミーリアが声を落とした。

「ええ、約束しますよ。で、なんなのですか?」

 リブラ教官は椅子を持ってエミーリアの傍に寄った。

 アキラも頷いてから、彼女の言動に注目する。

「実は……、私、以前に殿下にお会いしたことがあるんです」

 これは思いもよらない話が出て来た。

「どこでですか?」

 リブラ教官の声も小さくなる。

「あれは去年の夏のことでした」

 過去に思いを馳せた瞳でエミーリアが語りだす。


 その日は暑さが特に厳しい日だったらしい。

 ブドルク男爵夫人に買い出しを命じられたエミーリアだったが、近くの市場や店では必要な物が揃わなかったために、少し離れた区域にある王都でも指折りの大きさの市場に足を延ばさざるを得なかった。

 だが炎天下の中、長く歩き続けたことによる疲労とその日は元々体調が悪かったこともあり、市場の近くで気を失ってしまったそうなのである。

 気を失う直前に見たのは自分の方に迫りくる馬車。

 闇に落ちる直前に、彼女は自分の死を覚悟したそうだ。


 しかし、次に目を覚ますと彼女は市場近くの大きな商店の一室で寝かされていた。

 そして、傍らにいた自分と同い年くらいの金髪碧眼の少年が、彼女の体調を気遣いつつ状況を説明してくれたという。


 なんでも、少年が乗っていた馬車の進行方向に彼女が突然倒れこんできたが、ぎりぎりで馬車を止めることができたそうだ。

 そして、看病のために彼のなじみの商店の一室に運び込んだのだという。

 恐縮し消え入りそうなエミーリアに、その少年は優しく話かけ落ち着かせてくれたそうだ。

 それだけでなく彼女の事情を知ると、買い出しの品を揃えてくれた上に、男爵家の近くまで馬車で送ってくれたらしい。

 その親切な少年こそが、ハインゼル=オイステン殿下その人だったのだという。

 なぜ王子その人とわかったかといえば、その時に王子が彼女に貸し与えてくれたハンカチーフ、そこに刺繍された紋章が王子自身を現すものだったこと、そしてその後に彼女が目にした王子の肖像画が、まさにその人だったからだという。


 ハインゼル王子は市井の民の生活を学ぶため、外周区にお忍びで現れるという噂は以前からあったらしく、エミーリアが出会ったのはその視察中の王子だったということらしい。


「そのハンカチーフは今でも持っていて、お母さんの形見のペンダント同様、私の宝物です」

 そう言ってから、何かに気が付いたようにエミーリアは俯く。

「本当はお借りしたものだからお返ししないといけないのですけど……」

「エミーリアはそのハンカチーフをハインゼル殿下にお返ししたいの?」

「はい! できればもう一度直接お会いしてお返ししたいです。でも相手は殿下ですし、私なんかじゃ奇跡でも起きない限り無理ですけど……」

 どうやらその奇跡を起こすのが私たちの使命のようだ。

 こういった仕事ばかりなら世の中、幸せなのだが。

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