第32話 『竈の火』亭

 夕食を取るために近くに良い店がないかとエミーリアに尋ねると、近所の酒場を紹介された。

 セントポール地区の市場近くに建つ『竈の火』亭。


 名物女将によって切り盛りされているというその店は、夕方の早い時間から盛況を見せていた。

 広い店内にはいくつもの円形の木製テーブルが並び、それを囲んだ仕事終わりの男たちが陽気にジョッキを傾けている。

 そして、その賑やかな喧騒の合間を縫い、給仕の娘たちがせわしなくテーブルの間を行きかい、皿を運び、時にカウンター向こうの厨房へオーダーを叫んでいる。

 どうやら席は2階にもあるらしく、楽し気な声が上からも降ってきていた。

 リブラ教官達は、そんな店内の中でもカウンターに比較的近い、隅の少し奥まった位置にあるテーブルに通される。

 そこはまったく見えないという訳ではないが、他のテーブルからは比較的視線が通りにくい位置だった。

 もしかしたら、教官たちのため気を遣ってくれたのかもしれない。


 ちなみに掃除で汚れた私は、家の方で留守を任されている。

 まあその場にいなくともその酒場の賑やかで楽しそうな雰囲気や、素朴だが豪快で美味しそうな料理の数々の様子、そして会話内容などはアキラの情報デバイスからの映像と音声で伝わってくる。

 伝わってくる……。

 自らに【浄化】の魔法をかけながら、このホウキの身を恨まずにはいられない。


「エミーリアさんは小さい頃にあの男爵家に引き取られたのですか?」

 リブラ教官の問いかけに、エミーリアが小さく頷く。

「はい、元々、母と二人だけだったのですが、その母が私が幼い時に病気で死んでしまって、その時、男爵様が家に連れて行ってくださって、それ以来あそこにお世話になっています」

 チラッとリブラ教官がこちら、正確にはアキラの方を見た。

「それは大変でしたね」

「いいえ、本当ならそのまま死んでいてもおかしくないところ、ここまで生きてこられたのですから私は運がいい方です」

 2人が話をしている最中にも、テーブルには湯気を上げる料理の皿が次々と運ばれてくる。

 具が大量に入ったシチューに、肉の串焼き、鳥らしき物のタレ焼きに、焼いたイモ類、ゆで卵、パン、チーズ。

 これまで宿泊していた内区の高級宿の食堂と比較する、正直こちらの方が豊かに見える。

 ただ、傍から見るとどれだけ食うんだという量ではある。

「あら、エミーリアじゃない、ついにあの奥様のところを出たの?」

 皿を持ってきた給仕の若い娘がエミーリアと面識があるらしく声をかけてくる。

「え、あ、違います。私はしばらく、こちらのリブラ様のところでお手伝いをすることになって……」

「なんだ、そうなんだ。あんなところさっさと出ちゃえばいいのに!」

 随分と簡単な調子でこの娘はエミーリアに男爵夫人家から出ることを勧める。

「そんな、奥様にはこれまでこんな私を育てていただいた御恩がありますし……」

「恩っていっても、ろくに食べさせてくれない上にこき使われてるんだからもう十分返してるって! なんだったらうちで住み込みで働いてもいいんだしさ!」

 娘の言葉にエミーリアがどう答えたらいいのかといった感じの困った顔をする。

「アリソン! 料理ができてるよ! 喋っていないでさっさと運んじゃいな!」

 カウンターの方からよく通る声が響いた。

「あ、じゃあ、私はいくね。しっかり食べていきなよ。元気があればなんだってできるんだから!」

 そう言ってアリソンと呼ばれた娘は立ち並んだテーブルの間を縫って喧騒の奥へと去っていく。


「申し訳ございません。彼女はアリソンって言うんですけど、ここの女将さんの娘で市場に来た時によく会う人で……」

 消え入りそうな声で説明する彼女だった、突如その前に音を立てて木製のジョッキが置かれた。

 ジョッキからは湯気が揺らめき立つ。

 続けてアキラの前にも同じ物が置かれた。

 びっくりして映像の視線を上げると、そこには剛毅という言葉が似合いそうな大柄の女性がいつの間にか立っている。

 情報デバイスからの映像とはいえ、これだけ目を引く体格なら気づきそうなものなのに、私だけでなく恐らく現場にいるアキラもその接近に気が付いていなかったようだ。

「エミーリア! 随分と久しぶりな気がするね! 相変わらずのやせっぽちだけどちゃんと食べてるかい?」

 その声は先ほどアリソンを呼んだものと同じだった。

 つまり彼女はカウンターでアリソンを呼んだあと、湯気が立つジョッキを2つもって、この大柄な体で決して通りやすいとは言い難い人々の喧騒を縫い、かつ私やアキラに気づかれずにここまで来たということになる。

 ちょっとした達人技だ。

 少なくとも、私にはできる自信はない。

「女将さん! あ、リブラ様、こちらこの『竈の火』亭の女将さんです」

「リブラと申します。お初にお目にかかります。で、こちらはアキラです」

 リブラ教官が立って挨拶をしようとするのを女将は片手で制する。

「そんな畏まらなくていいさ。私はアデール、さっきエミーリアが言った通りここの女将をやってるよ」

 それからテーブルの上、主にエミーリアの前に視線を動かし、それからリブラ教官の方に再び視線を向ける。

「まあ、うちの料理は貴族様が食べるようなお上品な物はないが味は保証するよ! たんと飲んで、食って楽しんでいっておくれ!」

 女将は豪快に笑う。

「あと、この乳はあたしからのサービスさ! そっちのアキラっていったっけ、その子も細っこいからね! あとあんたには葡萄酒がいいかい?」

 どうやら、アキラとエミーリアの前に置かれたジョッキは何かのミルクを温めたものらしい。

「いえ、私もお酒は飲みませんので、よかったら彼女たちと同じものをいただければ」

 その言葉に女将は改めてリブラ教官の姿をまじまじと見る。

「そうだね、あんたももうちょっと付くところに付けといた方がいいね。じゃあ、あと一つ乳追加だね!」

 そう言って、女将さんはずんずんと奥の方へと歩いて行った。

 途端にエミーリアが立ち上がり、テーブルに額を付けるようにして頭を下げる。

「申し訳ございません。女将さんはいつもあんな感じで決して悪気がある訳では!」

「落ち着いてくださいエミーリアさん、みなさんが驚いて見てますよ」

 リブラ教官の言葉に顔を上げたエミーリア。

 周囲の客の好奇の目が集まっていることに気づき、慌てて座って両手で顔を覆ってしまう。

「申し訳ございません!」

「何も謝ることはありませんよ。さあ顔を上げてください。せっかくの料理が冷えてしまいますよ」

「はい、申し訳ございません」

 そろそろと手を降ろし、エミーリアが顔を上げる。

「では各自で好きに取り分けて食べましょう」

 リブラ教官はそう言うと、早速自分の木製の取り皿に料理を盛り始める。


「いただきます」

 アキラも両手を合わせてそう言うと料理を取り始めた。

 エミーリアはアキラのその行動を一瞬不思議そうに見てから、おずおずとイモを一つ自分の皿に取る。

 そして、それを恐る恐るといった感じで手で分け、身を縮めるようにして口に運ぶ。

 そんな彼女の様子を見てリブラ教官が声をかける。

「エミーリアさん」

 彼女は慌てて、イモを皿にもどした。

「申し訳ございません。リブラ様」

 どうもいざ食事の段になってから、彼女の様子がかなりおかしかった。

 いや、なんとなく原因は予想はつくのだが。

「食べられなかったり、苦手な食べ物は?」

「いえ、そんな、私ごときがそんな好き嫌いなんて」

「なら! 今日は頑張ってもらったのでたくさん食べてもらわないと困ります」

 リブラ教官は立ち上がって、彼女の取り皿にこれでもかというくらいに料理を盛った。

「そんな、お金もいただいているのにこんなにも、奥様に怒られてしまいます」

「そうですね。今、お金を払って雇っているのは私です。ならば私の言うことは聞くのが道理では?」

「あ、その」

 エミーリアは困った顔をして口ごもるが、腹の虫は意識とは無縁で正直らしく高い鳴き声を上げた。

 彼女は顔を真っ赤に染めて下を向いてしまう。

「人間、働けばお腹が空くものです。そして働いた人間は十分に食べるべきです」

 そういえば誰かも同じようなことを昼間いっていたな。

「さあ、あなたは十分働きました。それは目の前にある食べ物に十分に値します。だから遠慮せずに食べてください」

 教官がエミーリアの手にフォークを握らせる。

 次の瞬間、衝撃でテーブルの上の食器類が小さく飛び跳ねた。


 突然の音に酒場中の視線が集まり、思わずエミーリアも顔を上げた。

「そうだよ! エミーリア! 働いた奴が食べることを遠慮する必要なんて一つもないんだ! ついでに言うと残したら私が怒るよ!」

 見るといつの間にかジョッキをテーブルに置いた姿勢で女将さんが立っていた。

 どうやら皿が跳ねた原因は女将さんらしい。

 どれだけの力で置いて、さらにどれだけ頑丈なジョッキなんだよと思わずにはいられない。

「さあ」

「さあ!」

 迫るリブラ教官と女将さんにエミーリアが圧倒されているところに、アキラが声をかける。

「これとっても美味しいですよ!」

 そう言って、彼女の皿にタレを付けて焼いた鳥の肉をそっと取り分け、にっこりと笑った。

 アキラにしては珍しい、口角がよく上がった大きないい笑顔だった。

 エミーリアがゆっくりとアキラが取り分けた肉をフォークで刺し、口に運ぶ。

 しばらく、咀嚼してから飲み込む。

 その口元が緩んだ。

「美味しいです……」

 その様子に彼女に迫っていた二人も笑顔を見せる。

「さあ、どんどん食べましょう」

「ああ、足りなかったらどんどん注文しておくれ!」

 残したら怒ると言いながら、すでに恐ろしい量の料理があるこのテーブルに、女将さんは恐ろしいこと言う。

(まあ、残ったらなんとか持ち帰りをさせてもらえればいいか、エミーリアに持たせてもいいわけだし)

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