第31話 掃除

 グラハムさんはとりあえず必要なものを確認後、馬車にセントバンスさんを乗せて商会へと戻っていった。

 後ほど必要な燃料などを持ってきてくれるそうである。

 だが、彼が戻ってくるまでの間にもやることはたくさんあった。


「さて、我々も始めますか!」

 ドレスの袖をまくりながらリブラ教官が妙に生き生きとして言った。

「あの、お嬢様」

 まさしく借りてきた猫のように部屋の隅で固まっていたエミーリアが口を開いた。

「ああ、そういえば正式な自己紹介がまだでしたね。私のことはリブラと呼んでください。エミーリアさん」

 それはいろいろと思っていたものと違う返答だったのだろう。

 エミーリアが非常に慌てたように答える。

「そんな、私ごときがそんな呼び捨てなど無礼なことはできません」

「私本人がいいと言っているのです。何が無礼なことがありますか」

 そう言って、リブラ教官はエミーリアに近づき、その手を取る。

「わかりましたね」

 教官がしばらくその手を握り続けていると、エミーリアの細い肩から少しだけ力が抜けた。

「はい、わかりましたリブラ様」

「まあ、今はそれでよしとしましょう。で、エミーリアさん、あちらにいるのがアキラです」

「アキラです。改めてよろしくお願いしますね。エミーリアさん」

 アキラが頭を下がる。

「こちらこそよろしくお願いしますアキラ様、それと先ほどはありがとうございました」

 エミーリアも頭を下げる。

「いえいえ、怪我がなくてよかったです。あと、できれば様をとってもらえるとありがたいです」

「いえ、そんな」

「いえいえ、気にしないで」


 しばらく二人の様を付けるつけないのやり取りが続くの微笑ましく見つめていたリブラ教官だったが、咳払いを一つする。

 エミーリアの体が突然驚かされた猫のように跳ねると、慌ててリブラ教官の方へ深く頭を下げた。

 無造作に束ねられた長い髪が肩口から流れた。

「大変申し訳ございません! リブラ様」

 少し緩んできたかに見えた緊張が再び彼女の全身を包んでいた。

「あ、いや、こちらこそ、すみません。驚かせてしまったみたいね」

「いえ、そんな」

「とにかく、顔を上げてくださいね」

「はい」

 恐る恐るといった感じで灰色の頭が持ち上がる。

 彼女が上目遣いに教官の様子を窺う。

 それを見てリブラ教官が参ったなといった感じで小さく微笑む。

「えーと、先程エミーリアさんが私に何かを訪ねようとしていましたが、何か聞きたいことでもありますか?」

「あ、いえ、リブラ様が一体これから何をしようとしているのかと思いまして、申し訳ございません」 

 その質問にリブラ教官は顎に手を当て小首をかしげた。

「ん、決まっているではないですか、この家の掃除ですよ」


 その言葉にエミーリアが慌てる。

「え、そんなお嬢様が掃除をすることなどございません! お金もいただいたのですから私がしっかりと掃除をさせていただきます」

「いいえ、1人でやったら大変ですよ、みんなでやりましょう。それに私は掃除が好きですから気にしないで下さい」

 その言葉に偽りはない。

 リブラ教官は、掃除大好き人間なのである。

 ちなみに家事としては、続いて洗濯、というよりもアイロンがけが大好きであった。

「さあさあ時間は有限です。みんなでやってさっさと終わらせてしまいますよ」

 戸惑うエミーリアをよそに、リブラ教官が掃除の準備を始める。

「さあアキラ君も2階から始めますよ。井戸が奥にありましたね。まずは水を汲んで、雑巾で……」

「リブラ様、そんなことは私が行います」

 いつの間にか、リブラ教官の大掃除の流れにみんなが巻き込まれていた。


「ほう、これは大分綺麗になりましたね」

 馬車で燃料用の薪などを運んできたグラハムさんが、掃除が進んだ家の様子を見て関心したような声を上げた。

「元々、昨日のうちにエミーリアさんが掃除をしておいてくださいましたので」

 リブラ教官の言葉にエミーリアが恥ずかし気に俯く。

 彼女も掃除の間に、多少打ち解けてきていた。

「それに必要そうな最低限の家具や調理具などが揃っているのは助かりました」

 前の住人が残していったという家具類は自由に使用して良いことになっていた。

「確かに、前の借主は細かい鍋なども置いていっているようですので、短期ならそのまま生活するにも苦労はなさそうです」

 その後、グラハムさんが持ってきた藁束とシーツ、毛布で寝台を整えて今日の作業は終わった。

 さすがに食材を買い込んで料理するまではいかない状態だったので、夕食は近くの酒場で取ることになる。

 お礼の意味も兼ねてリブラ教官がグラハムさんも食事に誘ったが、これから商会の方で会食と打ち合わせがあるということだった。


「では、また何かありましたら遠慮なく仰ってください。お手伝いいたしますよ」

 そう言って彼は手綱を打った。

 軽い嘶きと共に4頭の巨馬に引かれた馬車が動き出す。

 その姿を皆で見送りながら思う。

 祝祭での商いのために王都に来たはずなのだが、到着からのこの数日グラハムさんは多くの時間を私たちのために割いてくれていた。

(いい人なんだろうけど、いい人過ぎるよな)

 エミーリアに本当にホウキとして使用され、埃まみれになった状態のまま、私はグラハムさんの商いの方が少し心配になった。

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