第11話 男爵夫人の噂
門を抜け、しばらく進んだところで内心で息を吐く。
＜あ～、色々な意味で疲れた＞
＜【偽装】魔法上手くいきましたねオトーサン＞
＜ああ、見事だったな。あの役人の青ざめた顔、印籠を見た悪党もあんな感じなのだろうな＞
思い出したのかリブラ教官がご満悦な顔をする。
＜教官＞
＜ん？ どうしたトーサン＞
＜いえ、なんでもありません＞
どうやら教官はあれがやりたいがために、偽装の内容を変更をしたらしい。
ちなみに彼女は、天下の副将軍を自称するご老人が出てくるあの時代劇の大ファンだった。
『強きを挫き弱きを助ける。あの権力の使い方は良いものだ』と、以前言っていたような気がする。
＜それにしても内区に男爵家がすでにいないというのは、思わぬ情報でしたね＞
＜ああ、グラハム殿から聞いた話から内区での探索は容易いと思っていたのだがな＞
外周区の喧騒溢れる活気とはまた別の、どこかしっとりとした歴史的な佇まいを感じさせる内区。
主に貴族や上級の役人たちの邸宅と、それを相手にする商店や施設などで占められている。
「とりあえず、さっきの情報の真偽を確かめてから、改めてブドルク男爵家の所在を調べてみよう」
結局、その日は一旦分かれて内区での聞き込みを続けた後、日が暮れたのでそのまま宿をとることにした。
しかし、この宿取りにも思いのほか苦労することになる。
内区には一般的な宿のような宿泊施設自体が数少ないのだが、現在祝祭の前ということもあり、どこも部屋が埋まっている状態だった。
話によると外周区でも雑魚寝の大部屋ならともかく、一室を確保しようとするのは難しいだろうとのことである。
祝祭まではまだ幾日もある中で、この状況とはいったいどれほどの人が王都に押しかけているのだろうか。
野宿という手もあるが、今から郊外へ出るのも骨であった。
その上でなんとか確保できた宿は、内区の中でも伝統と格式あるいわゆる高級宿という奴だった。
ありがちな一見さんお断りをされなかったのはよかったが、提示された金額を円換算して後悔した自分がいる。
長期の任務になることもあるので、資金はそれなりに潤沢に用意はされているのだが、だからといって無用に出費を重ねて良いというわけではないのだ。
私たちの部屋は、居間を兼ねた主寝室、そしてお付きの人用の小部屋、そしてやや大きめのバルコニーという構成である。
「やはり男爵家は、外周区に移り住んでいるようだな」
情報収集も兼ねた夕食の後、部屋の応接テーブルを囲い、私たちは本日集めた情報の内容を確認しあった。
「はい、当主が死んでからしばらくして、夫人と娘さんが内区の邸宅を売却して外周区の方に移ったという話です」
「なんでもブドルク男爵家は永代男爵家というやつの一つらしいですね」
永代男爵家は、オイステン王国においては領地がなく通常一代のみである男爵の称号を代々継いでいくことを許された家のことである。
貴族籍を持っているというだけで何かと優遇があるこの国においては、過去の戦乱時に功労者への恩賞として生み出されたものらしい。
「あとブドルク男爵家は、男爵家の中では珍しく内区にそれなりの資産を持っていたそうですが、ブドルク男爵の夫人というのがえらく浪費家だったらしくて、当主が死亡した後、残されていた現金資産を食いつぶした上に借金を作ったとかで、それが内区の邸宅を売り払う原因になったという話でした」
それを教えてくれたのは、グラハムさんに紹介してもらった内区で古くから店を出しているという飾り物屋の女将だった。
アキラがグラハムさんの紹介であることと、そして自分の主人が男爵家を探している件を伝えると、その口から立て板に水といった感じで情報があふれ出てきたのである。
その大部分はいかにもご婦人が好きそうなゴシップ色にあふれたものだった。
なので、すべてをそのまま鵜呑みにするのは危険だったが、それでも浮かび上がってくる男爵夫人の人物像というのは、他の情報と突き合わせてみてもあながち間違いではなかったようである。
「永代男爵家の爵位というのは、裏では金銭で取引されることもあるそうですから、もしかしたらブドルク男爵のそれも売り払っているかもしれないと言っていました」
座っている一人用のソファのクッションが異様に効きすぎて居心地が悪いのか、もぞもぞと体を動かしながらアキラが付け加える。
「私の方で集まった情報も似たような感じだな。あと一応ブドルク男爵家の邸宅、まあ元だがに行ってみたのだが……」
そこまで言った時、テーブルの上で魔法のケトルが白い湯気を上げてお湯が沸いたことを知らせた。
リブラ教官は魔法ケトルの動作を停止させると、目の前の金属製のマグにお湯を注ぐ。
マグの中が黒い液体で満たされ、部屋の中にコーヒーの匂いが広がる。
「アキラ君もコーヒーを飲むかい？」
「ありがとうございます。でも僕はいいです」
アキラが首を横に振る。
そして、教官が置いたケトルを持つと自分のマグに白湯を注ぐ。
「そうか」
その様子を見て、少し残念そうにリブラ教官はスプーンでマグの中を軽くかき混ぜる。
コーヒーを一口啜って、それから力んでいた体をほぐすかのように息を吐く。
「アキラ君のおかげで、任務先でもコーヒーをいただけるのはありがたいのだけど、なんだか私だけ楽しんでいるみたいで悪いな」
「いえ、そんな悪いだなんて」
ソファーの上で身を縮めるようにして白湯を啜っていたアキラが、慌てて首を横にふる。
ちなみに私には聞いてくれない。
まあ、ホウキですから。
「で、先ほどの話の続きだが、元邸宅の近辺で聞き込みをしてみたのだが、どうやら最近、男爵の弟にあたる貴族の邸宅に入っていく夫人を見かけたらしい」
故ブドルク男爵の弟は小さいながら地方に領地を持つ伯爵家に婿入りをしたのだという。
先代が高齢ながらまだまだ元気で地方の領地を治めており伯爵の地位は継いでいないものの、王都での諸事はすでにその男爵の弟がおこなっているとのことだった。
「では、今でも夫人は内区に出入りしているのですかね」
「いや、内区を出て以降、見かけたのは今回が初めてだったらしいので頻繁に出入りをしているようではない、それにその義弟にあたる貴族と夫人は、内区にいる時でさえ疎遠だったという話だ」
疎遠の親戚の元をあえて訪ねる。
しかも集まった男爵夫人の情報から考えるとその目的は。
「金の無心といったところでしょうか」
「わからない。そもそも今現在、男爵夫人が何によって生計を立てているのか、そして問題のエミーリアがどういった人物でどのような状況なのかもまったくわからなかった。ただ、男爵家には娘がいたらしいのは確かのようだ」
「ということは、明日からは外周区での調査ですね」
ただ外周区は内区とは比べ物にならない広さがあり、当てもなく探索するのはやや無謀に過ぎる面があった。
「こんな時こそ、マドカさんに情報の検索をお願いすればいいのではないですか？」
おずおずとアキラが提案する。
「まあ、しばらく自分たちで調査してみて埒が明かない場合そうしよう」
リブラ教官がマグを片手にうなずいた。
「ただ、特異点の渦中にある王都での情報検索だからね。マドカも言っていたが容易ではないし、かなり時間がかかる可能性がある、どちらにしろ我々自身での調査も絶対に必要だ」
その計画については、リブラ教官が夜の間に考えておくということとなりその場は解散となった。
そして、その夜はそれぞれのあてがわれた寝室へ分かれて就寝した。
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