第10話 リブラが嫌いなもの
30分程待っただろうか、ようやく我々の番となり、待ち構えている役人の前に進む。
そこには見るからに不機嫌かつ高圧的な空気をまとったお役人が待ち受けていた。
実際、私たちの順番が来るまでの間、かなりの人々が乱暴な改めを受けている様子を見ている。
「見たことがない顔だが、目的はなんだ?」
役人は長机に肘をついたままで、三白眼でこちらをねめつけてくる。
「はい、殿下の祝祭に合わせて親戚の家を訪問するためにカレプトから参りました。そして、この子は私の従者です」
帽子の下から覗いたリブラ教官の笑顔に、お役人の顔が一瞬呆けた。
しかし、すぐに誤魔化すように咳払いをする。
そして、改めてこちらを舐めまわすように見てから口を開いた。
「随分と遠いところから来たのだな。で、親戚というのは内区に住んでいるのか、何処の誰で、それを証明できるものは持っているのか?」
あるのなら出せとばかりに役人は長机を叩いてから、その掌を示した。
(うーん、これはまずいかもしれないな)
私の中で、少しの不安が鎌首をもたげた。
別にこの場を通行すること自体は難しくない。
いくらでも取り繕うことはできるし、向こうが納得する証明だってなんとかすることができた。
しかし、問題はそちらではなくリブラ教官の方である。
リブラ教官はこの手の権力を笠に着た役人が大嫌いだった。
特権階級による圧政に耐えかねて決起した革命軍の旗印として、10代そこそこの頃から戦っていたという彼女。
『圧政への抵抗の象徴』、『革命の戦乙女』と呼ばれ、常に権力側と戦い続けた経験が血肉に染みついており、その拒否反応というところだった。
だからといって任務中に突然ブチ切れたりはしないのだが、それでも先程からの人々に対する役人の態度に内心では苛立ちが高まっていそうである。
<トーサン、【偽装】魔法の準備を、対象はここにいる役人と番兵、あと周辺の列の人間にも>
事前に門での改めで怪しまれるようなことがあった時は、私の【偽装】の魔法で切り抜ける算段とはなっていた。
とりあえずは事を荒げずにここを通過することを決めた様子に内心ほっとする。
いや、そもそも司書騎士である彼女が、苛立ちで事を荒げると考えるのがおかしいのだ。
ただ、思わずそう思ってしまうようなことが、これまでに全くなかったかといえば嘘になるのだが。
実際、ある人にその点では言われていたこともあった。
<わかりました。打ち合わせ通りブドルク男爵家からの招待の手紙と認識させますか?>
<いや、思い切り身分が高い家の関係者と認識させるのがいいな! 確かアサイラム伯爵家だったか>
突然の予定変更である。
そして、一体何ゆえに身分が高い家なのか。
アサイラム伯爵家は、オイステン王国の中でも三指に入る大貴族だった。
これもグラハムさんから得た情報だったが、今年の祝祭には元々王都にいる彼の元へ、領地から一族郎党が数多く訪れる予定になっているそうなのである。
確かに、身分を偽り紛れ込むための隠れ蓑としては最適かもしれなかった。
(だけど、どうもそれが目的という感じではないよな)
嫌な予感はするが、とりあえず教官の指示通りに周囲にいる役人と番兵、そして比較的間近にいる列の人々を影響範囲に収め、【偽装】魔法の準備を行う。
<準備OKです>
<ではアキラ君。私の合図で手紙を彼らに>
<はい>
「どうした答えられないのか? 怪しいな。そこの詰め所で身体を改めさせ……」
「訪ねるのはアサイラム家です」
役人の一瞬浮かびかけたいやらしい笑みがその名に硬直した。
「な、んだと……」
「ですから、訪ねるのはアサイラム家です」
それを聞いた周囲の番兵達の間でも静かなざわめきが起こる。
「しょ、証明するものがあるのか?」
「手紙がここに。今回、父の名代として参りました」
リブラ教官が合図をすると、アキラが巻かれた羊皮紙を差し出す。
「失礼」
役人はそれを手にし、恐る恐る広げた。
その顔がみるみる青ざめていくのが傍目からでもわかる。
「こ、これはそのような事情とはつゆ知らず、大変失礼いたしました!」
叫ぶような声と共に、先ほどまでの横柄な態度が嘘のように役人の男は直立不動の姿勢を取った。
番兵たちもそれに合わせて慌てて姿勢を正す。
実は今、役人が見ているのは何も書かれていない羊皮紙である。
だが私の【偽装】の魔法によって、彼にはそれが本物のアサイラム伯爵からの手紙として認識されている。
そして、そう認識しているがゆえに、彼の脳内では彼自身が本物と思う手紙の内容が勝手に作り上げられてしまっているのだった。
視覚など感覚に直接働きかける通常の幻覚系の魔法などと違い、複数人で内容を確認されるとすぐばれてしまったり、効果が出にくいタイプの人間もいる癖がある魔法だが、立ち回りによってはこういう場合とても役に立つのである。
ちなみに私の数少ない得意魔法の一つでもあった。
羊皮紙を丁寧に丸めアキラに返してから、彼は低姿勢で言い訳を始めた。
「お嬢様、こちらはあなた様方とは違う下々の者が使う門でございます」
そう言って、並んでいる人々の方を指す。
「ここ最近は殿下の祝祭に乗じて悪事を働こうとする不逞の輩も多く王都に紛れ込んでおりますので、内区の方々の安全を守るために、どうしても改めの目も厳しくなってしまうのです」
その言葉にリブラ教官が笑顔を浮かべて応える。
「なにぶん王都は初めてでしたので勝手がわからず、私の無知でご迷惑をおかけしたのでしたら申し訳ございません」
役人が顔を引きつらせながら慌てて両手を振る。
「滅相もございません! 決して迷惑など、そのようなこと! ささ、どうぞお通りください。何でしたら馬車をお呼びいたしますか?」
「いいえ、結構です。それでは行きましょうか」
リブラ教官はそう言って歩きだす。
その様子に、役人が一瞬安堵の息を吐いた。
しかし、そんな彼の近くで教官は足を止める。
「ところで」
不意を疲れて役人が慌てた。
「はい! なんでしょうかお嬢様!」
「1つお尋ねしてよろしいですか?」
「アサイラム伯爵家のお屋敷への道順でしょうか? でしたらご案内させますが」
「いえそちらではなく、ブドルク男爵のお屋敷の場所はご存知ですか? 父の古くの友人で今回訪問してみようと思っているのですが」
出てきた家名に役人はしばらく考えこんだが、やがて焦った顔で周りの同僚や番兵に目くばせする。
しかし、皆が首を横に振る。
「恐れながら、まことにブドルクという御家名でしょうか。我々は聞いた記憶が……」
その時、一番の年配の番兵が手を叩いた。
「ブドルク男爵、確かにおられました!」
「おお、でかした。で、その屋敷はどこに」
「それがブドルク男爵は、もう10年程も前にお亡くなりになられていて、ご家族も内区から外周区に移られたはずです」
思わぬところで重要な情報が転がりでてきた。
リブラ教官は、やや驚いた顔をしてさらに情報を引き出そうとする。
「今は、外周区のどちらにお住まいかわかりますか?」
「そこまではさすがに。申し訳ございません」
「いえ、そうですか。わかりました、ありがとうございます」
「お役に立てずに申し訳ございませんでした。それではお気をつけて、アサイラム伯爵様にも何卒よしなにお伝えください」
ペコペコと米つき虫のように頭を下げる役人を後ろに残し、私たちは石造りの城壁をくぐり内区に入った。
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