第9話 帽子
呼び止める声に目を向けると、ベンジャミンさんが馬車の荷台から飛び降りてきてリブラ教官のところまで走ってくる。
「どうぞこれを」
彼が差し出したのは、麦わらか何かで編まれたつばの広い帽子だった。
クラウンと呼ばれる山の部分を一周する紺色のリボン。
教官の瞳の色と似た羽飾り。
「これを私にですか?」
突然のことにさすがのリブラ教官も少々困惑したようである。
「はい、内区へお行きになるのにカツラも帽子もお持ちの様子ではなかったので、もし新たにお買いになる予定でしたら、ぜひこの帽子をお使いください……」
グラハムさんが何かに気が付いたかのように手を打つ。
「私としたことが失念しておりました。もし、よろしければ使ってやってください」
「あ、いえ」
「こんな藁で編んだ帽子と思うかもしれませんが、形も着け心地も工夫に工夫を重ねてドレスにも合うよう作ったものですので、ぜひ!」
熱く迫るベンジャミンに促され、リブラ教官が帽子をかぶる。
確かに彼の言うように素朴な素材でできた帽子であったが、ドレスにも違和感なくマッチしていた。
「似合いますよ!」
<おお、かわいいかわいい>
私とアキラの言葉に、リブラ教官が顔を隠すように帽子を目深にかぶる。
「ありがとうございます。今、お代を」
「いえ、これは助けていただいたお礼です」
「そう、ですか」
お礼といわれてしまえばリブラ教官としては断れない。
「ありがとうございます」
リブラ教官が一礼する。
するとグラハムさんがにこやかに口を開く。
「いえいえ、もし使っていただけるなら、改めてお礼を述べないといけないのは私どもの方ですよ」
「どういうことですか?」
「その帽子は、こいつが我々の街の新しい特産品として作った物。今回の祝祭にあわせて王都で売ってみようということで持ってきたのですが、ただ店の軒先に並べるよりもお嬢様のような美人が使ってくだされば、その方が宣伝となるというもの」
その答えに、リブラ教官が再び帽子を目深にかぶる。
「そのような、逆に評判を下げてしまいます」
「いえいえ、絶対そんなことはありませんよ、ねえ、アキラさん」
グラハムさんに問われたアキラが力強く頷く。
「ええ、大丈夫です! きょ……、お嬢様」
教官の体が帽子に隠れるようにさらに縮まった。
石畳が敷き詰められた大通りをせわしなく人と馬車が行きかっている。
しかし無秩序というわけではなかった。
馬車道と歩道は敷石の色で分けられ、また馬車道も標石で中央が仕切られ左側通行が義務付けられているようである。
グラハムさん達と別れた後、私たちは内区へと向かい大通りを進んでいた。
今日は内区で男爵家とできればエミーリアを確認後、その近くに拠点を定めるという算段になっていた。
<教官、ドレスについて文句を言わなくなりましたね>
今後の事を考えているとアキラが思考通信で話しかけてくる。
その目は先を進むリブラ教官の背とゆれる帽子のつばを見ている。
<あの帽子がいい方向に働いたな>
元々、容姿やスタイル。それに姿勢も良いことに重ねて、ドレスと帽子の組み合わせの妙もあった。
自然と衆目を惹きつける結果となっている。
まさにグラハムさんが狙ったとおりの見事な宣伝効果だった。
また、教官としてはお礼として貰ったものの、多少なりとも義理を感じているようで、それに応えようとしている様子み見て取れる。
私としては良い相乗効果だった。
<ところでオトーサン、その帽子のことで少し気になったことがあるのですが>
私も思わずその後ろ姿に見惚れていたところでアキラが思考通話を続ける。
<なんだい?>
<さっき、ベンジャミンさんが言っていたじゃないですか、『カツラも帽子も持っていないようだったから』って、あれ、どういう意味だと思います?>
そういえばと思い、周囲に目をやる。
大通りには女性の姿も数多くあったが、帽子をかぶっている人もいればかぶっていない女性もいる。
帽子が必須というわけではないようだった。
ただ、彼は『内区に向かうのに』とも言っていた気がするので、今いる外周区とは違うのかもしれない。
それに。
(カツラというのもよくわからないな)
しばらく周囲の様子を見ながら考えた結果、ある可能性に思い至る。
<髪の長さと髪型が問題なのかもしれないな>
<長さと髪型ですか?>
<ああ、リブラ教官の短髪って、この物語の文明レベルだと女性としては珍しんじゃないかな>
<そういえばそうですね。僕がいた世界でも女の人があそこまで短い髪にするのって、つい最近になってからだって聞いたことがあります>
<もしかしたら、文化的な面で女性の短髪というのは何か意味があるのかもしれない。だから、短髪の女性は外ではカツラをかぶったり、帽子をかぶる必要があるとか……、あとベンジャミンさんが内区と言っていたから身分的なことも関係してくるとか>
<そういえば……、預かった装備の中にカツラありました……>
<マジか……>
<てっきり、潜入時の変装にでも使う物かと……>
確かにこれまでにも変装関連の魔法が苦手なリブラ教官のため、装備が用意されていたこともあった。
<あとでマドカさんに聞いてみよう。もしわからなかった時は、世界の書から情報検索をかけてもらう>
<そんなことにリソースを使ってしまっていいんですか?>
<うちのパーティーの教官かつ、最大戦力に関わることだからな、背に腹は代えられない>
変なことが発覚して挙動不審に陥ってもらっても困るのだ。
<まあ、いざとなったら私の魔法でなんとか、できるかなぁ……>
街中にはバスやタクシーに近い辻馬車が走っていたが、私たちはひたすら歩いて内区との境である城壁までやってきた。
内区への門の前はかなり大きな広場になっており、通過のための改めを待つ馬車や人が列をなしていた。
ただ、中には列には並ばずに門前の役人に何かを見せて通り過ぎていく馬車や人の姿もある。
恐らく、内区に住居がある貴族やその使用人、または御用商人といったところか。
見せていたのは何らかの身分の証明書だろう。
とりあえず私たちは、素直に一般の人々の列に並ぶ。
並んでいる間に確認したところ、このように改めが厳しくなったのはここ数日のことらしかった。
確かに門の前に作られた改め場の囲いも急ごしらえといった感じである。
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