第5話 ポラリス

「まったくポラリス様にも困ったものだ……」 

 森の小道を進みながらリブラ教官がぼやく。

 彼女が道に突き出した枝葉を避けるたびに若草色のドレスの裾が華麗に揺れた。

「でも、似合ってますよ」

 大きな背嚢を背負って、その後ろに続いていたアキラが宥めるように声をかける。

「似合う、似合わないの問題以前に、この姿では任務に支障がでてきそうだ」

 今、彼女が着ているのは、この森には不似合いな良家のお嬢様が着ていそうなドレスだった。

 それでも森の小道を滞りなく抜けていけているのは、リブラ教官の身のこなしが大きいがドレス自体も通常のものよりも体を動かすことを前提にデザインされている面があるのだと思う。

 それにアキラではないが、元から透明感がある肌とそのドレスの若草色が良くマッチしていた。

 今、誰かに出会ったら森妖精といっても信じてくれそうだった。

 雷光のバーサー……もとい、『雷光の騎士』と謡われ、境界図書館屈指の武闘派と呼ばれる彼女がこのような恰好をすることは任務でもレアだろう。

 境界図書館に少なからず存在する彼女のファンにこの映像を売りつければ高値で売れそうである。

(しかしなぁ)

 マドカさんの意味深の笑みの正体はこれだった。

 確かに現地のお嬢様として溶け込むにはもってこいだが、正直このドレスの選定に力を裂くならもっと別の方面にリソースを裂いて欲しいところである。

 しかし、これが彼女の気晴らしになるというのなら、日頃の感謝も込めてリブラ教官を生贄に捧げるのも悪くはないかもしれない。

 そして、この一件にはもう1人、強大な黒幕が存在していた。


 そもそもアキラが【心室】でこの衣装を出した時、リブラ教官は着用を渋った。

 再びマドカさんを呼び出し、衣装について「必然性が見えない」「現地に溶け込むには必要だ」と2人で大分やりあっていた。

 結局議論は並行する。

 ならばとりあえず王都までは制服のままで、とリブラ教官は考えたようだがそこに思わぬ声が介入した。


「はいリブラちゃん、今回の任務では制服禁止ね! これ図書館長のワタシの命令だから」

 突如、リブラ教官とマドカさんの通信に割って入ってきた人物がいた。

 年の頃は12、3歳、どこか儚さを醸し出している美少女。

 ただ、その悪戯っぽい表情がその雰囲気を台無しにしていた。

 その身体がふよふよと宙に浮かんでいる。

 それは立体映像だからではなく、本当に映像元の彼女が浮かんでいるのだった。

 微妙な上下の動きに合わせて澄んだアクアマリンの長髪がたゆたい揺れ動く。

「ポラリス殿! 一体どういうことですか!」

 少女は私が図書館内で本名を知る数少ない人物の一人だった。

 本名はミチル、境界図書館内ではポラリスと呼ばれている。

 その正体は境界図書館において頂点の存在であるはずの図書館長その人だった。


 見た目こそ可憐ともいえなくない少女だが境界図書館の始まりから存在しており、その実年齢は数千歳とも数十億歳とも言われている。

 よく言うロリババアというジャンルに入る何かだった。

 その割に精神年齢はほぼ見た目の年齢と変わらない。

 内面の成長は年月の経過だけではないということを体現しているような存在でもあった。

 直接表舞台に出ることが少ないため、彼女の本当の姿がこのような少女だと知らない司書も意外と多い。

 ただ、こんな存在が頂点にいるためか、物語世界の存亡を左右する組織であるにも関わらず境界図書館は組織としてゆるい部分があった。

 組織内の縛りというものが苦手な私としてはそこには大いに助けられている面はあったものの、世界のことを考えると正直どうなんだという感じは現在進行形でしている。


 ただ、4年前の事件後の混乱期も、彼女が組織を守り乗り越えてきたのも事実だ。

 今、私の目に映っているもの以外の『何かが』きっとあるのだろう。

 そう信じたい。

 数多の世界のためにも。


「だってトーサンとアキラちゃんから聞いたよ。リブラちゃん、プライベートでも制服か支給品の訓練服ばっかりで女の子らしい恰好してないって」

 リブラ教官がこちら見る。

 そのエメラルドに燃える瞳には『後で話がある』と書かれていた。

 思わぬ形で飛んできた火の粉に我々は身震いをするしかなかった。

「だ・か・ら、今回はワタシが用意したそのドレスで任務にあたること! もう一度言うわね。これ図書館長命令だから!」

「いや、だからの意味がわかりません! それに任務に支障が……」

「境界図書館が誇る司書騎士のリブラちゃんなら大丈夫!」

「しかし!」

 教官がさらに食い下がろうとすると、ミチルが不満げに頬を膨らませた。

「それ以上、駄々をこねるなら……」

 髪と同じ色をした瞳が意味深に細められる。

「今すぐ『制服』だけ、こちらに戻すよ」

 それは冗談ではなく、彼女の権限と力を使えば本当にできる可能性があった。

「え? いや、ちょっと待ってください! さすがにそれは、ここではやめて下さい!」

「やめて欲しかったら、大人しくワタシの命令にしたがいなさい。さあ、どうするの?」

 しばらく唸っていたリブラ教官だったが、最後には力なく肩を落とした。

「……わかりました。ご命令に従います……」

「よろしい!」

 そして、現在に至るである。

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