第4話 イレギュラーズ
イレギュラーズ。
それは『異質なる者たち』。
空間の『傷』から生まれ出でて死と苦痛と狂気を振りまく存在。
彼らの目的は何なのか、そもそも目的といえるものを持っているかも謎だった。
なぜなら、我々は彼らのことを本質的には理解できないから。
表面的には我々のような感情などを持っているようにも見えなくもないのだが、深くその本質を理解しようとすると越えがたい拒絶によって阻まれてしまうのだ。
それは突如、目の前を飛び越えられない深い断崖に隔てられたような感覚である。
そのような異質を孕んイレギュラーズは特異点が発生した物語世界、特に中心要素の近くに現れやすかった。
境界図書館でも、物語の異変や特異点の発生原因に彼らが関係しているのではと永年研究されてきたのだが、未だもって完全なる解には至っていないそうである。
ただ、イレギュラーズが存在することで特異点による物語の破綻と物語世界の終焉が早まることだけはわかっていた。
考えても見て欲しい、例えば恋愛的な物語の中に突然、正体不明の怪物が現れて暴れまわったらどうだろうか。
よしんば恋愛的内容から、バトル物への転向に成功したとして、その中で主人公があっさりと食い殺れてしまったら。
また、物語を構成している文章の文字や内容が、突然意味不明な異質なものに置き換わったらどうだろうか。
イレギュラーズという異質な存在はそのような影響を物語にもたらした。
それは物語を破綻させる。
そして、破綻した物語は観測される力を急速に失い、それにより物語世界は終焉へと向かうのだ。
そんなイレギュラーズの中には、存在するだけで世界を終焉へと向かわせるという『名を持ちし者』と呼ばれる強力な個体な個体も存在するのだが、そこまでとはいかなくとも、イレギュラーズが出現することは物語世界にとっては危機的状況なのである。
故にやつらは私たち司書が排除すべき形ある敵なのだった。
「イレギュラーズと『傷』の反応については、こちらで行った事前探知では反応はないわ。でも、こちらからは探知できない小さいものや、新しく発生する『傷』もあるから、警戒はしておいて……って、リブラ、あなたには必要ないアドバイスだったわね」
リブラ教官は現在の境界図書館の司書の中でも屈指の武闘派だった。
そして、私たちを担当する前は主に緊急性が高いイレギュラーズへの対処に主に従事していたそうである。
そういう意味では確かにイレギュラーズに関する対応は教官に任せてしまって問題はなかった。
「いや、心配ありがとう。もちろんこちらでもイレギュラーズに対する警戒はきちんとしていくつもりだ」
そう言ってから、リブラ教官は少し沈黙する。
それから珍しく恐る恐るといった感じでこう切り出した。
「あとできれば、もう少し特異点の中心要素に関する情報はないのだろうか」
それは確かに私も思っていた。
今回、物語世界の社会事情や物価などの基礎情報についてはそれなりに詳しい事前情報があった。
しかし、肝心要である特異点の中心要素である少女についての情報は、『ブドルク男爵家にいるエミーリア、女性』以上、である。
ほとんど情報がないのと等しい状態だった。
教官の言葉にマドカさんが手を合わせる。
「本当に悪いとは思ってるのよ! でもこっちも多くの任務のサポートと情報収集を同時並列で行わなくちゃいけないから、リソースが全然足りなくて!」
「すまない、皆が大変なのはわかっているから気にしないでくれ」
実際のところ、現在、境界図書館はかなりひどい人材不足状態に陥っていた。
原因は4年前にあったイレギュラーズの大群による境界図書館への襲撃。
それまでも境界図書館が外的な脅威に晒されたことはあったそうだ。
しかし、基本物語世界にしか出現しないと思われていたイレギュラーズの直接的な襲撃。
その戦いは熾烈を極め、多くの司書とアイオスが犠牲になった。
しかし彼らの懸命な働きのおかげで、境界図書館に所蔵されている各物語世界の『世界の書』と境界図書館の中心である『Aシステム』は直接的な被害を免れたそうである。
『世界の書』は各物語世界の観測と交流、そして『渡る』ために必要な存在であり、それを失えば通常手段では境界図書館はその世界への干渉手段を失ってしまう重要なものだった。
だが人的な欠落は大きく、事件直後の境界図書館はその能力が襲撃前の半分以下に落ち込んだそうである。
事件から4年経った今でもその爪痕は大きく残り、特に深刻だったのがマドカさんのような直接的に司書のサポートができるアイオスだった。
なので『現場でできることは、現場で』というのが標語のようになっている。
とはいえ私が境界図書館に迷い込んだ時にはすでにそのような状態になっていたので、『情報不足は自分の足で補え』は私にとっては当たり前のことだったのだが、ただそれでも今回は少し酷い。
「今回は特異点周辺の物語情報の欠落があまりにも酷くて……、そのせいで装備の選定とかもなかなか進まないし、錬金工房もどんどんせっついてくるし、だから急いでリストを作ればこちらの指定とは違うものを出してくるし! そもそもの特異点の中心要素の割り出しとそれに対する世界からの修正オーダーのレスポンスが鈍重で! しかもいらない情報が山のように送られてきて、その中に紛れている必要上の仕分けと確認が大変で!」
どうやら火がついてしまったようだ。
マドカさんの艶っぽい唇から吐き出される愚痴はどんどん加速していく。
そのうち大空へテイクオフしていきそうな勢いだ。
「わ、わかった、いつもサポートありがとう、感謝している! それではこれより現地任務を開始する! マドカ、加速状態への移行と調整をお願いする」
明らかに藪蛇をつついてしまったリブラ教官が慌てて宥めつつ、そう言う。
するとある程度吐いてすっきりしたのかマドカさんの顔が再び仕事モードに戻った。
眼鏡がクイっと上げる。
「了解、それではこれより加速状態でのサポートに移行します」
その言葉と共にマドカさんの映像が一瞬乱れる。
境界図書館は、物語世界の狭間に存在し、独自の時間流の中にあった。
そのため任務の際には境界図書館と任務先の物語世界を接続する時間流、時間の速さを調整することで任務にかかる時間を短縮することができた。
どういうことか具体的にいえば、調整にもよるが、任務先の世界で1週間の時を費やしても境界図書館内の時間では7時間しか経っていないということが可能なのである。
ただその際、境界図書館側で支援する側もこちらの速度に思考速度が追い付かないといけなかった。
それは超早回しの映像を見て、それに反応するようなものである。
もちろん通常の人間には時間流の調整管理および支援は不可能だった。
それが行えるのはマドカたち一部のアイオスのみである。
「接続時間流を加速倍率48倍に設定、各種データリンク問題なし」
「感謝する。引き続き世界の書の観測と支援をお願いする」
「了解、それではこの通信は一旦終了するけど、何かあったらすぐ連絡をちょうだいね。あ、そうそう!」
何かを思い出したようにマドカさんが手を叩く。
「これから王都の方に移動するのよね?」
「そのつもりだが、何か?」
リベラ教官が怪訝そうな表情を浮かべる。
「だったら、その前にちゃんと現地の衣装に着替えてね、さっきも言ったけど苦労して選定したんだから! 何より境界図書館の制服は目立ちすぎるわ」
「ああ、わかったありがとう」
「アキラちゃんに衣装は預けてあるからきちんと着替えてね」
そう念押しをした彼女の眼鏡が意味深に光った気がする。
少し嫌な予感がする。
「では交代で準備をしよう。アキラ君、マドカから預かっている衣装を出しておいてくれるか」
アキラは頷くと再び【心室】を発現するために鍵を召喚した。
それからしばらくして、私は先程の嫌な予感の正体を知ることになる。
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